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私の家族の悪いところ【家族エッセイ】

今から綴ることは、私の短所の言い訳である。

私はお世辞を言うことや他人を褒めることが頗る苦手だ。
そして、褒められることも苦手だ。
その原因は育った環境にあると考えている。

私の家族は所謂‘‘イジる’’ことで仲を深めてきてしまった。
「家族」と一括りにしてしまったが、主に父と兄と私だ。

「ブサイクだなー!」
「デブだなー!」
「ハゲだなー!」
これらは常套句である。
(ハゲに関しては父に対してのみ適応される。)

全く時代に即していない不適切な家族なのである。

父はイジられるのが大好きだ。
父はミニバスケットボールチームの監督をしているのだが、選手の親御さんに
「なんだ、眩しいと思ったら監督か。」
なんて言われた際にはニコニコウッキウキで
「誰がハゲだってか!!!」
とツッコミを入れる。
別にそれが大面白ということではないのだが、そういう冗談を言える間柄であるということが父にとって非常に喜ばしくて心地良いのだろう。
私もそれは大いに共感できる。
だが、それは気心知れた仲限定だ。誰彼構わずイジられたい訳ではない。
だからこそ、イジることができるということは特別な仲だという認識になり、家族はそれの最上級なのである。

しかし、そういった冗談が通じない人もいる。当たり前だ。昨今のコンプライアンス情勢を鑑みると通じる方が異常なのかもしれないとすら思いはじめている。

大人になってからは、家族とイジりというツールを使って仲を深めてきてしまったことによる悪影響を感じるようになった。
他人のことを褒められないのだ。
褒められてこなかったからどう褒めて良いのか分からないのだ。
いつだか、仲良しグループの中の一人が可愛いと褒められている場面があった。
私はその子のことが大好きで、常に可愛いと思っている。
しかし、改めてそれを口にするのは気恥ずかしくて、黙ってその場を眺めていた。
すると
「るいって頑なに他人を褒めないよね!」
と指摘されてしまった。
なぬ。そうか、こういう時は口に出すべきなのか、と反省した。
だが、どんな顔をして褒めれば良いのかわからなかったのだ。

褒められた時もそうだ。どんな顔をして褒められたら良いかわからない。褒められることは大好きだ。褒めてくれる人も大好きだ。できれば何時何時も褒められていたいくらい。それであれば気の利いた反応が出来れば良いのだが、愛想笑いを浮かべて終わらせてしまう。恐らく相手には褒め損だと思わせている。

私は実家に帰った際に家族にイジられると心地良く思えるので、それ自体が悪いことではないと感じている。
しかし、褒められて育っていたら、他人をもっと上手く褒められていたのではないかと思わないこともない。育ちのせいにはしたくないが。
そして、今よりもっと自分に自信があったのかな、なんて思う夜もある。センチメタルな夜だ。
基本的に自分のことが大好きで、自分に自信を持っているが、それはそういう自分でありたいという願望がそうさせているだけで、根っからの自信家というわけではない。

とは言え家族は私を貶しているわけではないのだ。「ブサイクだなー!「バカだなー!」の言葉の裏側に「目に入れても痛くないなー!」「可愛いなー!」をひしひしと感じる。
しかし、それは長い時間を共にしてきた家族だから通用するのだ。
私はそれを友達にやってしまってはいないだろうか。おそらくやってしまっている。
「可愛いなぁ」は「可愛いなぁ」と言葉にしなくては伝わらないのだ。他人から言われた「ブサイクだなぁ」を「可愛いなぁ」と変換して捉えるのは不可能だ。

思えば両親の話を聞くに、父も母も自分の親に褒められて育っていないことがわかる。だから褒め方が分からなかったんだなと。

そういった反省を活かして、自分の子孫と触れ合う機会があったらたくさん褒めようと心に決めている。できるかどうかはわからないが。

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