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デブとかぶたとか

私は体型を凄く気にしている。
多感だった小学校高学年から中学生にかけて、父と兄に「デブ」だの「ぶた」だの「レスラーみたいなガタイだな」などと散々言われたからだ。
それでも、私の体重は厚生労働省が定めた標準体重と丁度同じであった。見た目は確かに少しふくよかではあったが。
今となれば分かる。可愛さのあまりに戯れたくて、ちょっかいをかけたくて言ってしまっていたということ。
それでもその言葉は最も簡単に私を呪縛した。

当時付けていた日記を読み返しても、「今日は体重が◯キロになってしまった。ショック。」「今日も食べ過ぎてしまって体重がとても増えていた。明日から気を付けよう。」と常に体型のことが書いてあるのだ。その日記は小学校6年生の頃に書いたものだ。12歳。それにはとっても驚いた。私は人生の半分以上、体型のことを気にして生きているのかと。

高校3年生の頃、筋トレと美脚マッサージに励んだ結果数ヶ月で体重を5kgほど減らしたことがある。
そのダイエットが夏休みを挟んでいたため久しぶりに会ったクラスメイトにも「脚が細くなったね!」と言われ、体育の先生に「急に痩せ過ぎじゃないか?」と言われ、家庭科の先生にも「痩せたんじゃない?ちゃんと栄養摂ってる?」と言われたことで、私は有頂天だった。体育の先生と家庭科の先生だったという点もポイントが高かった。
痩せたらこんなにみんな反応してくれるんだ。嬉しい。心から嬉しかった。
そんなある日父が
「それ以上は痩せないで。」
と言った。
それが凄く嬉しかったのだ。
父は明らかに心配していたが、心配されるほど痩せられたという事実は歓喜の極みに値した。

そもそも、私は3ヶ月で8kg増えたり1ヶ月で8kg減ったり、体重の変動が激しい生き物なのだ。
流石にこの歳になったら体重よりも体脂肪率の方が重要だということは心得ている。
筋肉は脂肪より重いから、同じ体重でも体型は人それぞれ違うのだ。
それを知った上でも、食べ過ぎて十の位の数字が変わる日は落ち込んでしまう。もうこの呪縛からは解かれないような気がする。

ある日、その思いを父と兄に爆発させてしまったことがある。
パートナーに私の体型について言及されたことを相談した時。
その時は寧ろ痩せ過ぎだと指摘を受けたのだが、体型のことをとやかく言われたことが許せず、激怒してしまった。パートナーは太っている痩せている云々よりもただ栄養面で心配だっただけらしかったのだが、怒り散らかしてしまった。
一度太ってしまったら簡単には戻せない恐怖を知らないだろう。季節で食欲も体型も変わるから、食べてしまう、太ってしまう時期までは摂取カロリーを抑えておかなきゃいけないなどという長年自分の体型と向き合った結果生まれた思考の回路は読めないだろう。
長年で蓄積した被害者意識はそう簡単には拭えない。

「彼の言いたいことも分かる。心配なんだよ。」
父は言う。
「他人になんと言われてもこれが自分だってどんと構えていれば良い。気にするな。」
兄も言う。

「どの口共が言ってんだぁぁぁ!!!」
と泣きながら大暴れをした。言いたいこと言って暴れたらスッキリした。

父も兄も、思春期に体型をイジられるということの重大さを知らなかったのだろう。仕方ない。知らなかったのだから。
だから、これを読んだ誰かの親御さん、誰かの御兄弟には思春期の子供の体型をイジって揶揄うことをやめて欲しい。誰も救われない。

高校時代、明らかにダイエットの必要がないスタイルの良い女の子が、同級生の男子に「デブ!」と言われて本気でダイエットに励んでいる姿を見た。
他人の言動に動ずるその子が悪いのか?違うだろ。医者以外が他人の体型に言及して良いわけがないのだ。

どうか、誰かの軽口のせいで健康を害する少年少女が一人でも減りますように。

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