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内気な少女が芸人になった

私の名前はまるいるい。
よく「まるいまる」と間違われるが、「まるいるい」だ。
ORANGE RANGEと同じシステムで覚えて欲しい。

神奈川県横須賀市出身で射手座のO型。
趣味は献血と人狼とマーダーミステリーとオーバークック2。
吉本興業所属の芸人だ。

「まるいるい」という名は2017年の夏、吉本の養成所に通っていた時に
「顔が丸いから「まるいるい」がいいんじゃない?」
と言って母が付けてくれた芸名だ。

母からは人生で2度、名を授かった事になる。
1度目は今から26年前、私の父が太川陽介さんに似ているからという理由で太川さんがレコード大賞で新人賞を取った曲「Lui-Lui」から取って「るい」と名付けられた。

私には姉と兄がいる。姉は母が、兄は父が名付けたのだが、二人とも名前自体にも漢字にも意味が込められている。

私はこの名を気に入っているから文句はないが、両親も他の2人と比べたら私の名付けにだけ手を抜いた事は否めないだろう。

両親が手を抜いたのは名付けだけではない。

両親は第一子である姉を育てる時、炭酸飲料は身体に悪いからと与えなかったり、英語教育に力を入れようと日本語もままならないうちから英語のアニメを日常的に垂れ流したり、蝶よ花よと手塩にかけた。

一方私は、両親が振り返った時には既に勝手にコーラを飲んでいて、日本語もままならないうちから「クレヨンしんちゃん」をスピードラーニングの如く聴いていたので他所で下品な言葉を発しては両親を困らせていた。

そんな育ち方をした私の幼少期の様々なエピソードを、「あの時は大変だった」と両親から散々聞かされてきた。

いくつか思い出して書き出してみる。

——私が1歳数ヶ月の頃、父の実家に家族総出で帰省した。母におんぶされる私に祖母が
「るいちゃん♪」
と声を掛けた。すると私は
「舐めんじゃねえ」
と返した。
祖母は笑い転げていたが、堅物の祖父に母は
「母親が家でそういう事を言っているから子供が真似をするんだ。」
と意地悪を言われてしまった。
実際は当時サラリーマン金太郎のドラマがテレビでやっていて、その決め台詞を真似ていただけらしい。

——ある日、母は聞かん坊の私を堪らず家の外に追い出した。それが「反省しろ」を意味する行為だという事を幼いながらも理解できる童は少なくないだろう。

追い出してから暫くして母が家の外の様子を伺うとそこには人気がない。
追い出しといて何だが流石の母も我が子に何か大変な事が起こったのではないかと心配になり、家の外に出た。当時2歳だった為そう遠くへは行っていないだろうと踏み、母はアパートの下の階を訪ねた。

そこには下の階の住民に出して貰った牛乳を飲み、寛ぐ私が居た。

おそらく家を追い出された事に対して罰を受けたという解釈より先に、自宅を追われたのなら他に寛ぐ場所を探すまでだ、という思考に至ったのであろう。そんな可愛げのない小童だった。

——私が幼稚園の年少組の時、2歳年上である年長組の兄の同級生である男児に意地悪をされた際に顔面パンチを喰らわせて泣かせてしまった。
「自分より強い相手でも鼻をパンチしちゃえば泣かせられるんだ。」
と語り、先生達に「姐御」と呼ばれていた。
暴力は世界中から排除しなければならない。23年経った今はそう思う。

——3歳の頃、父とスケートボードで遊ぶ為に公園に出掛けた。
父が操縦するスケートボードに私が両足を乗せて乗っているという状態だった。
石に躓き、転げてしまいそうになった瞬間、父は身を挺して私を守った。
結果2人共派手に転倒した。
娘の無事を確認し安堵していると、父は自身のお気に入りのスウェットの膝が破け血が滲んでいる事に気付いた。
「膝、怪我しちゃったよ。」
と照れ混じりに言う父に対して、私は
「お父さんが下手くそだから悪いんじゃん。」
と言い放った。
父も父で負けていないので
「そんな心無い事言う奴はこうしてやる。」
と2m程の高さのアスレチックの上から宙吊りにしようとした。
私は恐怖のあまり嘔吐して
「もうこんな事二度と言わない。」
と反省した。

——3歳の頃、同じアパートに住む同年代の子供達とおままごとをする事になった。
当時私の周りでは母親かお姉さんの役が人気だった。
だが、その日は
「るいちゃんはお父さん役ね。」
と不本意な父親役を割り当てられてしまった。
それを受けて私は
「おままごとやめる。台風ごっこをやる。」
と言って立ち上がった。
次の瞬間
「ブーーーーーーン!」
と言って両腕を広げて旋回しながらおままごとセットを薙ぎ倒していった。
当然周りの子達は泣き出してしまう。
満足げな顔をしている私を他所にその様子を終始ベランダから見ていた父はばつが悪かった。

この辺りが両親から何度も語られてきた私の幼少期のエピソードである。

お気付きだろうか。
これら全て3歳までのエピソードである。
「三つ子の魂百まで」という諺があるように、今現在の私もこの頃と性根は変わっていないように思う。

私の物心がついたのは小6辺りだったから、3歳の頃の記憶など微塵もない。記憶がないのが余計に恐ろしい。自分が自分であると認識する前からこんなにじゃじゃ馬だったとは。

変わっていないのは馬の部分だけではない。
我が家のホームビデオには、幼稚園で行われた誕生日会の映像が記録されている。私が通っていた幼稚園では月毎に誕生会が行われ、ホールに全児童が集結し、該当園児は壇上に上がって先生からインタビューを受けるという催し物があった。

年少の頃の誕生会のビデオには意気揚々と壇上に上がっていく私が映っている。自分の周りのお友達がインタビューをされている際には横槍を入れたりちょっかいをかけたりしている。両親に話を聞いていた通りの私だ。
しかし、自分にマイクが向いた瞬間口を噤み、オメガ(ω)になってしまった。

そういう性格も全く変わっていない。
普段は傍若無人なくせに自分に視線が注がれると何も言えなくなる。

学生の頃もこの性格によりとても苦労した。
人前が極端に苦手だった。目立ちたがり屋のくせに人の目が怖かった。

そんな私が芸人を名乗っているのだから、おかしな話である。


おまけ

0歳のまるいるい
1歳のまるいるい
2歳のまるいるい
3歳のまるいるい

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