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墓と田舎と私

こんにちは、ホリトモカです!普段は本屋で働いたり、漫画描いたりしています!

突然ですが皆さん。墓、参ってますか?
私は昨日、参ってきました。

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(古いスマホ使ってるんで今回出てくる画像全部荒いです)

今年はアレがアレなので遠方の親戚は来ず、家族の中で一番元気な祖母と2番目に元気な母親、そしてただ若いだけの私の3人での参戦でした。
アレと蚊・ハチ対策で完全防備です。帽子は祖母に「これがかわいいからかぶれ」とセレクトしてもらった品。

いざ、出陣!
辺境の地に居を構える我が一族の場合、墓参りとはかなり気合いを入れないと生還できない行事です。なぜなら

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家の裏にお山があって、その頂上付近のひらけた場所に墓が立ち並んでいます。この地域に住む人たちの墓地なんですが、なんでそんなとこに立ててしまったんや…と登るたびに思う、超自然。獣の領域。なるべく天に近い場所がいいってことかなぁ…。
そこまでえっちらおっちら登っていくわけです。

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途中、入っている人も誰の家のものかもわからない墓が放置されてたりします。夜は絶対行きたくない。

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(ちなみにこの墓が倒れたのはつい数年前で、祖父が山から鹿の頭蓋骨を持ち帰った数日後の出来事。骨を持ち帰った翌日祖父は肺炎で入院して、祖母もなにもない道で転んで手を骨折して入院したというめっちゃいわくつきの墓石である……)

途中で同じように墓参りしてる猛者に出会った。

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先祖の数でマウントを取りに行く祖母

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間髪入れず返していくおばさん

世界よ、これが日本の田舎だ。恐ろしいぞ。

さて、ここで「旧墓」の説明を。
日本は現在、死者は火葬して遺骨を墓に納骨する、という衛生的・かつコンパクトな方法が定着していますが、昔は穴を掘って土に埋める土葬が主流でした。
うちの場合は曾祖父までが土葬されていて、曾祖父の代までに亡くなった先祖に一人一つずつのお墓があるのです。

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曾祖母からは火葬した骨を納骨するタイプの現代のお墓になったのですが、墓を置いておくスペースがいくらでもあり、先祖への敬う心の強い田舎では、先祖の墓を新しい墓に移すことをためらい、旧墓(個人の墓)があちらこちらに立ち並んだままになっているのです!
それらをすべて回り、掃除して水かけて花供えてお経よむまでを全部の場所でやるという超過酷ミッション!

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農民だった我が家でもこの数。しかも大半のお墓がボロボロで彫られた文字も解読できず、いつの時代の先祖が眠っているのかわからないものばかり。

正直思う。

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自分が知っている先祖であれば、たまには思い出す時間があってもいいかな。偶像があるなら大切にしなきゃなという気持ちになる。
しかし、既に生存している家族の中には誰も生前のその人を知る者がいない。汗だくフラフラになって掃除していると、どうしてもこの考えで頭がいっぱいになってしまうのです。

私の両親はここ数年、せめて一つの墓にまとめて、山のてっぺんではなく家の横に移すべきだと祖父母に打診を続けているけれど、ご先祖様のおかげで今生きているんだからこの先も変わらず墓たちを守り続けていってほしいという祖父母の想いに変わりはない。

……難しい問題だ。

難しい問題だけど、何年か話し合ううちに祖父母以外の家族の間でひとつ方針のようなものは見えてきた。

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これが今の時点で出た答えで、私たちはこれが最良だと思っている。

色々な意見があるとは思うけれど、お墓というものがある理由は「今生きている人が、いなくなってしまった大切な人を想って、これから先を生きていくため」だと思うので生きている人にとってお参りしやすいお墓を作るっていうことはお墓事情において最重要ポイントだと思います。

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そんな思いの中、今年も墓に参ってきました。お盆の初めにもう一回参る予定があるので頑張らないと…。親戚の子供たちでゾロゾロ行くとちょっとした遠足みたいで楽しいんだけど、今年はそうはいきませんね。
近い将来やってくるであろうお墓じまいまでは、この文化を楽しみたいと思います。

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私はどんな〝しまい方〟しようかなぁ。

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