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終末は美しい

 焦燥感。

 人生という長く険しいマラソンコースを走っている筆者の背中に、いつもべったりと張り付いているものをこう呼ぶ。

 何かしなくてならない。生きているのだから、何か残さなければならない。当然、価値のあるものを作らなければならない。

 いつからだろうか。そんな考えに心を押し潰されるようになったのは。この世界に生まれてきたのだから、何か価値のあるものを作りたい。高校生になってからは、「価値」の正体も分からぬまま、逃げるように理系という道を志すこととなった。そして大学に入った。

 しかし、学びの場にいても、何も作ることはできない。ただ毎日、真面目に学校に来て真面目に授業を受けているだけで時間が過ぎていく。余談だが、「真面目」という言葉は筆者にとって褒め言葉ではない。不自由で不器用で意思がない、という罵倒の言い換えでしかなかった。
 髪の毛を染めてみたかった。制服を着崩したりしたかった。昼から登校したりしたかった。不真面目な行動として、こんなものしか挙げられない自分に嫌気が差した。

 創作を始めた。何か作らねばと思っていたところに、一言では説明できない様々な刺激があり、文章を書くことにした。しかし、恒常的には続かなかった。価値のあるものを作らねばならないという強迫観念は、キーボードを叩く筆者の指を縛り付けた。

 何かに挑戦しては、ほどほどのところまで頑張り、ほどほどの結果が出て「これ以上は無理だ。これ以上は価値を生み出せそうにない」と思った瞬間中断してしまう。勉強でも部活でも趣味でもバイトでも、全部同じことをやって来た。

 根は怠惰なのだ。それなのに、価値のあるものを生み出したいなどというくだらない焦燥感を引きずってこの世に生まれてしまった。そして自分の限界に絶望して逃げ出す。最近は、限界が見えてしまうギリギリの所で引き返す癖さえ付いてしまった。

 生きることに向きたい、という発言をTwitterでしたことがある。生きるのに向いていないのだ。だが、自殺するような勇気も自傷する勇気も、一切持ち合わせていない。だって「真面目」なのだから。

「終末」というジャンルが好きだ。人類が滅びた世界、あるいは滅びに向かっていく世界を描いた物語のことだ。そこにはもう焦燥感はない。何も生み出さなくていいし、何も残さなくてよいのだ。なんて気楽なんだろう。なんて自由な世界なんだろう。

 全てが終わりを迎えた世界で、生きることも死ぬこともせず、ゆるやかに過ごしたい。

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