見出し画像

なぜキングオブコントに出ても売れないのか?【賞レースの幻想・後編】


この記事はYouTubeにアップした動画「なぜオリラジは芸人じゃないと言われるのか?」の台本です。動画で見ることを前提に書いたものなので記事としては読みづらい部分があると思いますのであしからず。

動画はこちらのリンクからどうぞ。


前回の振り返りと今回のテーマ

前回の動画では、賞レースに出ても大衆には売れない。そもそも、賞レースは業界内に名前を売る為のモノである。そういう結論になりました。

では、既に売れている芸人にとってキングオブコントに出る意味はないのか?というと、いや、そんなことはない。賞レースで勝つことは、「売れる」「食える」とはまた別の目的地、「芸人の格」を上げるために非常に重要な要素なんです。この「芸人の格」について考えていくと、なぜ「オリラジは芸人じゃない」と言われがちなのか、この理由が見えてきます。

現在、YouTubeの登録者数が最も多い芸人は520万人のオリラジ中田さんです。またtiktokのフォロワー数が多い芸人は、1200万人のウエスPでしょう。
しかし、彼らはしばしば「芸人じゃない」と揶揄されがちです。
中田さんはそんな言葉に対して「俺だって喋りひとつで表現活動をしている」と反論しますが、中田さんは一流タレント、一流のプレゼン技術と評されることはあっても一流の芸人と言われることは今はあまりないでしょう。
彼らの知名度や社会的な影響力、稼いでいる金額と比べて、芸人としての格は決して釣り合ってはいません。この感覚は一体何に由来するものなんでしょうか?

芸人の格とは何か?

さっそく、僕の考える結論を申し上げます。芸人の格、それは、
「様式美に則った競技をした上で」、「どれだけ多くの芸人から尊敬されているか」これで決まるものなんです。知名度や、集客力、お金、さらにはスキルや面白さすら、一切、芸人の格と直接の関係はありません。「様式美」と「尊敬」。芸人の格はこの2点で決まります。

まずは「様式美」について解説しましょう。
ここでいう様式美とは、芸人たるものコレをするべきという価値観のことです。これを図で示すならば、このようになるでしょう。


「芸人の格」をイメージする模式図


前回の知名度の図


前回の知名度の図が俯瞰の視点で、今回は横からの視点。業界内部にいくつものピラミッドがあるイメージです。知名度は広さで、芸人の格は高さということ。このピラミッド一つ一つが、「漫才」の山であり、「コント」の山であり、「TVバラエティ」「ラジオ」「大喜利」「トーク」といった芸人の格を上げる様式美の山になります。

価値観が多様化している現代では、芸人たるものコレをすべきなんて誰が決めたんだという声が聞こえてきそうですが、これらの競技が芸人の様式美だという価値観は他でもなく、芸人たち自身が決めてきたものです。

例えばコントならドリフ(全員集合:1970年~)、ダウンタウン(ごっつのTVコント:1991年~)、ウッチャンナンチャン(やるやらTVコント:1990年~)などのコント界の偉人に憧れて、俺たちもあんな風にコントがしたい!とマネをする後輩芸人が現れたり、彼らを目標にして新たに芸人になる若者が現れてコントの山を高くしていきます。こうして彼らを尊敬して後を追う芸人が増えることで相対的に彼らの格が上がっていったし、彼らのやっていた競技が強固な様式美となっていったわけです。

同じように価値観を作り上げたのは、漫才であれば漫才ブーム(1980年~)の芸人たち、ラジオであればビートたけし(ANN:1981年~)、とんねるず(ANN:1985年~)、TVバラエティであればドリフ(全員集合:1970年~)、萩本欽一(欽ドン:1975年~)ひょうきん族(1981年~)、大喜利であれば松本人志(一人ごっつ:1996年~)たちでしょう。そして彼らを目標に追いかける芸人たちが増えたことで一つの様式美として確立されたわけです。

ここで注意したいのは、芸人で初めてラジオをやったのがたけしさんなわけではないし、初めて大喜利をやったのが松本さんというわけではありません。しかし、「たけしさんのようにラジオをやりたいから芸人になった」、「松本さんの大喜利に憧れて芸人になった」という後輩たちが増えていくことで、芸人の様式美として確立して新たな山が出来て、その尊敬の対象であるたけしさんや松本さんの格が相対的に上がっていくというわけです。

かつての様式美

逆にかつては、芸人の様式美の範疇だったのに今では別の業界になっているものもあります。それは落語や怪談噺、マジック、モノマネなどでしょう。
特に落語は、芸人のやるべき競技の代表格だった時代があるにも関わらず、今では芸人のテリトリーというよりは落語家という独立した業界の競技になっています。その変遷にはグラデーションがあって、例えば、落語家であるさんまさんと漫才師である紳助さんが親友なのは有名な話で同じ営業を回るほど近い関係性だったはずなので、1970年代後半では落語も漫才も芸人の様式美のひとつだったはず。しかし、2000年頃にはオンエアバトルのチャンピオン大会の審査員を立川談志師匠が務めてはいるんですが、同時期に数人の若手落語家がオンバトに挑戦していずれもオフエアになっています。今では落語界のスターになっている実力者たちが挑戦しているにも関わらず全員そろって結果が振るわなかったことを考えると、既に落語はお笑い界隈の中の一ジャンルとして捉えられずに、落語というだけで客席にアウェイな空気感があったのでしょう。そして現在では完全に独立した別業界という扱いになっています。

新しい様式美

さらに言うと、2000年代以降に出来た新しい様式美もあります。
それは、リアクションと単独ライブです。
リアクションの山の代表者は、ダチョウ倶楽部であり出川哲郎。しかし、彼らはダウンタウンやウッチャンナンチャンと同世代でかなり古くから熱湯風呂やドッキリは行っていました。にもかかわらず、いじられ役・やられ役としての見え方しかしていなくて、彼らみたいになりたいと憧れる対象には長らくなっていなかったのでしょう。その価値観を変えたのが、おそらく有吉弘行ではないでしょうか?自身が毒舌芸で再ブレイクしたタイミングで「リアクションの殿堂(2009年)」というDVDを作り、方々で「自分の転機となった最高のDVDです」と伝えています。このころから、彼らがただのやられ役ではなく、リアクション芸の達人だという認識が広まり始め、今では彼らをレジェンド、一つの山の頂点として憧れる後輩芸人たちが続々と現れています。僕はこの上島さんを一つの山の頂点にするという行動が、有吉さんの恩返しだと思うのですが考えすぎでしょうか?

単独ライブを様式美の一つにしたのは、バナナマン、ラーメンズ、バカリズム、東京03といった、あの世代のコント師たちでしょう。これより前の世代の芸人も単独ライブをやってはいましたが、メディアの露出が増えるタイミングで自然と辞めていきます。そんななか、彼らは活動の軸として、まるでアーティストがアルバムを出すように定期的に単独ライブを開き続けます。しかし、収益的に稼ぎやすい業態ではないため、これをマネするためには結局メディアで活躍しなくてはいけないという活動スタイルではありました。その状況を打破したのが2010年代半ば過ぎからの東京03で、大きな会場の全国ツアーを主戦場にして、その宣伝としてメディアに出る新しいスタイルを確立したのです。さらにはここにコロナ禍でオンラインライブが市民権を得たことも相まって、単独ライブ中心の活動スタイルを目標にした後輩芸人たちが数多く現れ始めており、今では単独ライブが芸人の様式美の一つとして確立したといっていいでしょう。

さてここで、余談にはなりますが、向こう3~5年の間に新たな様式美になりうるものとして、ただのYouTubeとは一線を画した「YouTubeバラエティ」という山が出来て、若手芸人春とヒコーキがこの頂点になるのでは、と考えているんですが、これはまた別の動画で深堀りさせて下さい。

ここまでの話をまとめますと、様式美に沿った競技をした上で、後輩芸人がそれを尊敬してマネすることで、山の高さが上がっていき、相対的に芸人の格が上がる。
そして、まだ様式美とは認められていない競技であっても、それを尊敬してマネする後輩たちが増えていけば新たな様式美として確立する。
ということになります。

芸人の格の注意点

逆に言えば、様式美に沿っていない競技でいくら素晴らしい結果を出しても、それを尊敬する後輩芸人たちが増えて山を作るほどの規模にならない限り、芸人の格は上がりません。
たけしさんが映画で又吉さんが小説で大きな賞を取った時に、大衆への知名度や向こうの業界での格は上がりますが芸人としての格は上がらないということです。しかし、ダウ90000のように肩書きは劇団でも、M-1を勝ち進んだり、ライブでコントをすることで芸人の格が上がるわけです。

前回の動画でも伝えましたが、「売れる」「食える」そして「芸人の格」は、全員が全てを極めようとする必要はありません。それぞれ別の目的地なので各々の目指すものに合わせてバランスをとって考えるべきでしょう。
但し、この3つは、重なる部分こそあるけれど、基本は別々の戦略を立てて目指さなくてはいけません。これを理解していないと「賞レースに出ても収入が増えない」とか「TVやYouTubeで稼げてるけど、芸人じゃないって言われる」といったちぐはぐな状態になるのです。

松本人志の格の上げ方

このように、芸人の格の凄いところは、「面白い」こと以上に「尊敬」が重要な点です。先程は「あの人みたいになりたい」と思って尊敬される話をしました。しかし現在、最も格が高い芸人の一人である松本人志が取ってきた戦略はさらに奥深いものです。

松本さんは自分の面白さを見せるだけでなく、後輩が輝く環境を作る活動をし続けてきました。東京進出まではダウンタウン二人の面白さを見せることに重きを置いていましたが、
それ以降はガキの使いやごっつええかんじで、後輩が活躍するポジションを番組内に作りました。自分たちを引き立てる共演者として後輩を使うのではなく、番組の中で後輩の面白さも引き出すという活動をしたのです。

さらには、M-1ブームで漫才師に注目が集まっていたことへのカウンターとして、すべらない話(2004)やキングオブコント(2009)、IPPONグランプリ(2009)を立ち上げて、漫才師以外の芸人も輝ける場所を作りました。

こうして、自分の影響力を後輩へのスポットライトに変えていき、後輩を活かす場を作ることで、業界の尊敬を集め続けたわけです。
かつての徒弟制度のように直接弟子を育てること以上に、こういった活躍の場を作ることが有効なのは、孫世代・ひ孫世代ほど離れた後輩たちにも、自分の影響力でスポットライトを当てることが出来るからでしょう。

つまり、松本さんは番組ごとに適任の後輩を配置したり、賞レースを立ち上げて若手を発掘する形を取ることで、自分の影響力・注目度をより多くの芸人に分配しているからこそ尊敬され続けているのです。

オリラジが芸人じゃないと言われる理由

ここまでの話をまとめると、芸人じゃないと揶揄されがちなオリラジは、「漫才」や「TVバラエティ」といった先人たちが築き上げた様式美から外れて、リズムネタや音楽、プレゼン授業という独自のスタイルで活躍してきた。そして、その独自のスタイルに憧れて後を追いかけてくる芸人が一つの山を作るほどの規模に育たなかった。さらには、デビュー直後から常にメディアに出続けて、何度もブレイクを果たす実力者にも関わらず、その自分たちが手にした影響力を、後輩が輝くスポットライトに変える活動に力を入れて来なかった。これらが原因となって、圧倒的な知名度や社会的影響力と釣り合うだけの芸人の格を手にしていないのではないかと考えられます。

これを踏まえると、もしも今からオリラジが芸人の格を上げたいと思った時にやるべき戦略も見えてきます。それは例えば、「プレゼンの賞レースを主催する」作戦です。
松本さんが自分の得意な競技であるトークやコント、大喜利の大会を作って後輩芸人にスポットライトを当てたように、中田さんはプレゼンが得意な後輩にスポットライトを当てる大会を開けるはず。世間的にもプレゼンの第一人者と言えば中田さんですので、説得力も権威性も十分でしょうし、芸人界イチの登録者数を誇るチャンネル、かつビジネスや教養と馴染みあるチャンネルは、プレゼン芸人の大会を開くには申し分ないほどふさわしいメディアだと言えるでしょう。
「自分は芸人界の既存の様式美に馴染めずに苦労した経験がある。だからこそ、同じ悩みを抱えた後輩たちを救いたい。他の芸人は、プレゼンなんて芸人の仕事じゃないって言うかもしれないけど、俺だけは認めるよ。芸人である俺が認めるから、漫才が苦手でもコントが苦手でも、プレゼンが上手なら胸張って『俺は芸人だ』って言っていいよ。」こんなメッセージを秘めた大会を主催し続けることで、プレゼンを武器にする芸人たちが中田さんのもとに集って、芸人界の中に新たな山を作る規模に育っていくはずです。

賞レースと芸人の格の関係性

さて、話をキングオブコントに戻しましょう。
これは感覚的にも分かることでしょうが、賞レースで結果を残すと芸人の格が上がります。これを言語化するならば恐らく、賞レース自体が持つ権威性を付与されるからと言えるでしょう。つまりは、「M-1を獲りたい!」「キングオブコントを獲りたい!」といったように、その賞レースそのものに対する憧れや尊敬が既にある状態で、ファイナリストや優勝という結果を残すことで、その大会への尊敬がスライドして芸人自身にも向けられるのでしょう。

M-1創設当時の中川家と現在の中川家では芸人の格が大きく違います。それは勿論キャリアを積んでベテランになったことも理由の一つですが、当時に比べて今の方がM-1を尊敬している人が圧倒的に増えたことで、まるで株価が上がるように、初代M-1王者の格もこの20年で上がっていったのではないでしょうか?

先程までで、芸人から尊敬を集める為には憧れの的となり後輩にスポットを当て、長い年月をかけていく必要があるという話をしました。しかし、歴史ある賞レースは大会自体がこの長い年月をかける過程を既に経ています。なので賞レースで結果を出せばこの過程をショートカットして格を上げることが出来るんです。しかも、その賞レースが今後も尊敬され続ければ、自身のその後の活躍とは関係なく、残した結果の格が株価のように上がり続ける仕組みになっているのです。

この点において、賞レースは芸人の格を上げるためには非常に有効な方法だと言えるでしょう。この優位性をわかっていたからこそ既に大衆への知名度を獲得していた、M-1・2007年のキングコングや2021年のハライチ、キングオブコント・2011年のロバート、2019年のどぶろっくなども賞レースへの出場を決めたのではないでしょうか。

前回からのまとめ

前回からの話をまとめますと、賞レースに出ることのメリットは、ライブシーンから業界内に名前を売るためには非常に効果的であるが、既に業界に売れている芸人が大衆に売れる方法として使うには効率が悪い。しかし、既に売れている芸人にとっても、芸人の格を上げる方法として賞レースは有効である。

つまり、前回の「なぜキングオブコントに出ても売れないのか?」という問いの答えは、

キングオブコントはそもそも売れる為のものではなく、芸人の格を上げるためのものなので、キングオブコントに出ても、(大衆に)売れないのは当然である。

こんな結論になりました。

では、ここまで考えた理論を使って具体的な作戦を考えていきましょう。
次回、若手芸人・春とヒコーキが天才コント師として評価される戦略。ご期待ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?