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音のない世界で『対話』する“ダイアログ・イン・サイレンス”

友人が運営する、先生の学校のウェブサイトで紹介されていた『対話の森』。


この記事では『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』といって、視界を遮った状態での対話体験について書かれていたのですが、併せて紹介されていた『サイレンス』のほうに興味を持ち、聞こえない/聞こえづらい状況の中、自分はどんなことを感じるのか、どう表現するのかが気になって仕方なくて、音楽家の友人を誘って体験してきました。

アテンドをしてくれた、聴覚障害のじんちゃん。
体をめいっぱい使って、表情もコロコロ変わって、私たちに語りかけたり、笑わせてくれたり、引っ張ってくれたり、支えてくれたり、ほめてくれたりと、たくさんの方法で思いを伝えてくれました。
額には汗のつぶ。
その熱にすごく感動してしまいました。
そして、私たちもそれに倣って、顔や体を使って一生懸命に相手に伝えようと、受け取ろうとしていました。いわゆる、対話、です。
だからなのか、終わった後は運動したあとのような心地よい疲労感に包まれていました。

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この体験を通じて、
▣表現は自由であること
▣全てを理解する、してもらうことは難しいこと
▣わからないことは楽しい
▣「話す」ときはマスクで隠れていても表情がとても大事
▣相手に伝えるときは「熱」も一緒に伝わる
▣伝えた、伝わった、理解してもらえた、理解できたという達成感がある

こういうことに気づけました。

わからないことが楽しい。
そう思えたのは大きな収穫だったかもしれません。だから人は、時間をかけて関係を構築していくんだと、しっかりと肚落ちしたような感覚になりました。

そして、自分がいかに言葉によるコミュニケーションに頼っていたか、も。
もちろん、相手が何を期待しているのか、集団の中でどう振る舞えばいいのか様子を伺うことは常にやっているけれど、言葉にしなきゃ真意はわからないと考えていて、自分がそうしているから相手にも求めているところがある私。
言葉にすることが苦手な人、言葉以外だと表現できる人、それすらも難しい人、いろんな人がいるけれど、お互いが相手を思いやればそんな違いも笑って受け入れられると思うのです。
全てを理解することも、理解してもらうことも難しい。ピッタリ合うことって奇跡なんだ!と思っておけば、相手に求めることをしなくて済みそうです。

他にも、自分が言葉以外で表現すること、特に「間」を表現する必要があるということにも気づけました。
よく「隙がない」と言われるのは、こういうところなんだと反省しました。

対話の森。
一緒に行く人で表現方法や受け取り方が変わりそうな気がするから、また違う人と行きたいなぁと思いました。
何より、体験自体はもちろん素敵なんですが、こちらで働く皆さんがとっても魅力的だから何度も会いに行きたくなっているのが正直な気持ちです。
次は『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』のほうを体験してみたいです。

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体験を終えた後、音楽になっていない音を自由に奏でました。そんな衝動に駆られたのも不思議。




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