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25歳が結婚適齢期っておかしくない??

と、ある百貨店に勤めていた私マルコウまま@かこ
どんな日々を送っていたかというと・・・


入社1年目は店頭に配属、出身学部の食物学科が災いしたのか?保存食品売り場に。
ところが思いのほか、上司、同僚に恵まれ楽しい日々を送る。


そして、2年目、信じられないことに人事の策略にかかって外商部の営業に配属となる。


ここでは割愛するも自分で自分の未来を予言してしまって、まったくその通りになるという恐ろしい現実を引き寄せてしまう羽目に・・・
上司に(人事のせいで誤解の)裏切者呼ばわりされながら涙の異動でした。(苦笑)


それから1年がたち、外商部配属2年目、業務はだいたいこなせるようになり、この年25歳を迎えようとしていました。


法人外商担当なので企業の課長さんや部長さん相手に(背伸びしながら)営業をする日々。
担当地域が事務所に近いこともあり、自転車で各社を回っていたのでした。

私にとって売り場に戻るまでのつらく厳しい、でも好き放題暴れまくった、それはそれは充実した3年半だったのです。(苦笑)


当初は、
「店頭に立っているはずだったのになんで自分がここにいるのか・・・?
あれだけ人事にはNOと言ったにもかかわず配属された外商部。
これって私の人生に意味がある出来事ってことなんだろうか・・・?」

何度も何度も空を見上げてはそうつぶやいていました。


それくらい、入社2年目、老舗百貨店の看板を背負いながらの営業は厳しかったのです。

営業をやった人ならわかってもらえると思いますが、なにしろ、営業ですからね”お客様の来店を待つ”店頭と違い、自分から攻めに行かないといけない外商の仕事はきついんですよね。看板があるとはいえ・・・
(男性ですら配属になったとたんに仕事をやめる人がいたくらいですから)


しかしながら、一方ではバブルの恩恵をこうむったこともありました。
当時はバブル期ということもあり、”経費で落とせる”ご時世。


お得意様担当者のおじさま方にどれほどご馳走になったか知れず・・・
そういう経験を20代前半でできたことはラッキーだったと言えるかもしれません。


うふふ


って、さっきの営業厳しぃ~っという泣きの言葉はどこへいったんじゃい!!?
現金な20代女子です(爆笑)


今でも忘れられないのが、ご馳走してくださるお得意様のどのおじさまも、
「おじさんは危険じゃないよー紳士だよ」
「君はうちの娘と歳が変わらんもんなぁ、娘みたいだよ」
っと太鼓判を押したように同じフレーズを言うんですよね(笑)


実際、ご馳走していただいたみなさん100%紳士でいらっしゃいましたけど・・・(笑)


と、まぁ、なんとなく私がいるおじ様率が高い環境はお分かりいただけたでしょうか?
そもそも外商部というところは、部署的にも百貨店の中で唯一といってもいいくらい男だらけの部署なんですね。


営業は私たちが配属されるまで女性は1人だけ、他は男性。
あと女性といえば各課にひとりづつサポート事務の女性がついているくらい。
基本はたたき上げの営業マンがうじゃうじゃいる部署なのです。


しかも、
(ここではまたまた割愛しますが、各店から放り出された??)
個性派ぞろい。(って先輩がが言うてたんです~)


大の男が上司に泣かされますからねぇ。
私は既に新入社員研修の際、その現場を見たことがあるのです(苦笑)
その場に居合わせた時、どれほどびびったか(汗)


パワハラなんて言葉は存在しない時代、今じゃ考えられないデスッ(怖)


こんな環境なので、入社して何年もたってない女子が外商部の営業にいるだけで、ちやほやしてもらえた時代でした。


(ただし、すべての人がそうしてくれた訳じゃありませんヨ。実績を作るまでは、嫌味だらけのからかいや負け惜しみの攻撃なんかもありましたからねぇ。世の中そんなに甘くない(爆笑))

ちやほやしてくれた同僚のおっちゃん達は、おっちゃんばかりでつるむより、花が欲しかったんでしょう(笑)帰りは、ほぼ毎日ちょこっと一杯”のお誘いをしていただきました。


お陰で、おっちゃん達と毎日ビールと枝豆と豆腐でその日の仕事の憂さ晴らしをし、いつのまにか同じ釜の飯をたべる仲間のようになっていったのです。


な、もので、店頭だと、”お局様”という存在になりつつある25歳でも、外商部にいると、ずーっと若いピチピチ女子扱いしてもらえる環境におりました。
仕事の内容はおっさん的ではありましたが、歳をとっている自覚はなかったのです。


(怖い怖いっ!!それが一番怖い!!いや、あぶない~)


一方、売り場で華麗なる百貨店レディをしている同期生は少しづつ結婚していく状況。


25歳ですから・・・


(愛すべきおっちゃん、いやおやじさん?に囲まれてどんどんおっさん化していく私・・・
このままどうなるのだろう・・・結婚の兆しってないんだけど・・・)


そんなこんなの日々を過ごしていると、両親もだんだん娘の事が気になってきたんでしょう・・・


自分たちが私の年齢のころには結婚していたこともあり、また友人の子供も結婚しだし、まだまだ娘は若いと思いつつ、実はどこか焦りのようなものを感じ始めたようでした。


「結婚したい人はいるの?」とか、
「ちょっとでもよさそうだと思ったら家に連れてこい」とか、両親が言い出すわけです。


確かに、私の周り、学生時代の友達も25歳を皮切りに何か月おき??というくらい結婚ラッシュが始まりました。


25歳から27歳の間は結婚式や2次会にどれだけ招待され出席したことか・・・。
余談ですが、この時はお祝儀貧乏でしたね。
何しろバブル期ですから結婚式が派手派手でした。(苦笑)


幸か不幸か?店頭と違って、外商部では、まだまだ若い若い!!っと言ってもらえてたので、周りが結婚しだしても25歳、学生気分が抜けません。(汗)

な、もので、結婚して家庭を持つという未来を描けなかったのです。
まぁ対象がいないから・・・実感もないんですよね。

因みに言い訳がましいことを言うと、さすがにそのころは若かったですから、ちょっとお付き合い程度の人はいないわけではなかったんですヨ(汗)

とはいえ、25歳の頃は高を括ってましたからねぇ。
会社でちやほやしてもらい、社外でもちやほやしてもらえてましたから。

まだ25歳。


バカ女子です(苦笑)


働いて3年なんだから結婚なんてもっと後でもいいやんっ!!
って思ってました。


一方、人の結婚式ばかり行っている私を見て親は益々焦りだす(汗汗)
「結婚適齢期25歳を過ぎるとどんどん薹が立つぞ・・・」
っと、 父親の言葉・・・


親だけではありません。
この頃、高校生の時代から英語の勉強でお世話になっていたアメリカ人の牧師さんからこんな話をしてもらいました。
(因みに私はクリスチャンではありません。それから牧師さんは日本在住30数年以上、日本語がペラペラですwww)


「かこさん、アメリカでは独身女性に対してこんな例え話があるんですよ」
と、牧師さんの話がはじまります。


「あるとき父親がなかなか結婚しない娘に『畑に行ってトウモロコシをとってきてくれ、たくさんの実がなっている大きなトウモロコシをね』・・・と頼みました。」


「ところが、娘が持って帰ってきたトウモロコシは小さな、しかも枯れかけのトウモロコシだったのです。」
「父親は、『身がたくさんついている大きなトウモロコシをとってきてくれと頼んだはずだが・・・』と娘に言いました」


「すると娘は、『確かに畑には実がたくさんついている大きなトウモロコシがあったけど、きっとこの先には今以上に大きく、もっとたくさんの実がなってるトウモロコシがあると思って、先に進んだら、畑の終わりに来てしまった。気が付いたら、夕暮れ、後戻りができず、結局とってきたのはこの小さな枯れかけのトウモロコシだった。』というのです。」

「この話は何を表しているのか?わかりますか?・・」と、牧師さん。


「自分はもっといい人に出会えると思って、選り好みをしているうちに歳を重ね、気が付いたら出会うきっかけを失ってしまう羽目になる・・・・という教訓です。
後戻りはできないのです。選り好みをしないで、地に足をつけて生涯の伴侶を探すことが大事なんですよ」


というお話でした。


牧師さんは高校生の頃から私を知ってくださっていたので、25歳という年齢で結婚の兆しがない私のことを親と同じように心配してくださってたのでした。


お気持ちはとても嬉しい・・・


とはいえ・・・


私が選り好みをしてる???(汗)
いやいや、だいたい、25歳結婚適齢期なんておかしくない???


男女雇用均等法時代だよ??働き出してまだ3年だよ??
そんな心配しなくても30歳までまだあと5年もあるし大丈夫じゃない??
結婚はしようと思ったらできるって。


今、結婚なんて無理!なのよ、私は・・・


今が楽しいし~。


そもそも25歳結婚適齢期はおかしいのだ!!


と、結局、牧師さんがお話ししてくださった甲斐なく、結婚する相手もいないくせにそう自己肯定するのでした。(苦笑)

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