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わたしのことすこし

とかいうタイトルにしておけばわたしのことに興味なんかないひとは目にせずに済むだろう(か)。
TwitterではところどころにちりばめているのでTwitterのフォロワーさんなんかにはわざわざ話すようなことでもない気もするが、わたしは広義の意味での(問題はアルコール依存症ではなかったので)ACである。たぶん両親ともに、きちんと専門医にかかっていたとしたら何かしらの発達障害と精神的な疾患があったであろうひとたちであった。(特に父は慢性的なうつだったのではないかな?)父はもう鬼籍。母親は甘やかしすぎて収拾のつかなくなった40代の息子(私の兄)とふたりで遠い場所で生きている。もう連絡も取っていない。いろんなことがあって。

今朝目覚める寸前に見た夢、私が現伴侶に「恋人として」愛されている夢だった。私は伴侶と初めて会話をした日から4か月後に結婚しているので、恋人時代というものをほとんど経験していない。
恋人として愛されている感覚がとても幸せで目が覚めてからもしばらく余韻が続いた。
それで気づいたのは、わたしには「家族としての愛(情)」のようなものは、分からないということ。伴侶とは家族になったので、もうそれは家族としての愛で(神のようなものの哀れみか、彼はとても愛情深いひとで、そうでなければ今のわたしはいないのだけれど)、
だから(?)私は、結婚してから、幼いころから欲しくてたまらなかった「帰りたい場所(家族)」を手に入れたにも関わらずずっとある種の空虚感がある。こんなに恵まれているのにどうして?とずっと思っていたけれど、今朝の夢が教えてくれた気がする。
我が子のことは、守りたい、とても大切、痛んでいたら代わってやりたいと思う…という親としての本能のようなものはとても強くあるが(私は母性本能が強い方だとおもう)あいしてる?と聞かれると、分からない。あいしてるんだとは思うけど、分からない、「家族を愛する」という感覚が。
それはたぶん、原家族を好きだとかましてや愛してるだとかいう感覚を持ったことがないし、愛されたという実感もないからだと思う。
だから割と人生の早い時期から恋愛依存のようなものがあって、とくに20代は完全にそうだったと思う。恋愛の愛なら分かるから。まぁ根も葉もないことを言うと、脳内物質とかの関係ですかね。
正確に言うと…そのころのいくつかの恋愛は、共依存とか支配被支配関係ばかりで、愛なんかじゃなかったと今になれば分かるけど。それでもないよりましだった。

わたしには愛がとても難しい。
でも自己愛みたいなものはあるんだろうね、こんなところにこんなことをあけすけに書き連ねて、わたしのことを知ってくれよみたいなことをしているわけだから。勝手なもんだ!人の愛を、素直に受け取れないくせにね。
だってわからないんだからしかたないじゃーーーん。とまぁいまのところは開き直っておくか。いつか分かるようになれたらいいね。






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