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ネガフィルム

ネガチブばかり垂れ流している。反省はしている。誰がお前のネガチブ読みてぇんだよともう一人の私が言っている。すべては脳内物質の悪さなので許してくれなくてもいいからまぁなんかうるせえなとでも思いながら読み飛ばしてほしい。
夏は暑すぎて僕から気持ちは重すぎて。犬も食欲がないらしい。
しちがつ、なんて涼しげな名前して。

わたしの30代は、小さい人たちを必死に育てるという任務をこなして過ぎて行った。今、まだ少しちいさいひとたちのとても小さい頃の写真を眺めると涙が出るような気持ちになる、もう二度と戻らない、24時間、私の傍に、私を必死で目で追い求める人たちがいた時間。
しかし実際にはたしかに過酷な時間であって、人生を終えるとき、過去を思い起こせば間違いなく人生のなかでも指折り数えるに違いない試練の日々であった。

その日々が突風のように過ぎ去り(さなかは出口のないトンネルなのであるが)、さて、わたしはわたしの、わたしはわたしを、と考えたとき、わたしは空っぽだった。あれ、わたし、どうしたらいいの。どうしていたらいいの?

生きてるだけで上等 ですか。
そう思える日と 思えない日を繰り返して生きている。今日も。
生きている、息、をしている。
自分がたぶん、違う側面から眺めれば、
とんでもない贅沢ものなのだということも、
頭の裏側のほうでうっすら、分かってもいる。


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