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災害支援とは~能登半島地震・被災地を巡って~

輪島の朝市の火災現場の状況をみて、ガザや原爆投下後の被災地の様子が生々しく脳裏に浮かび、その光景と重なると感じた。地震発生から半年以上がたっているにも関わらず、たった3日後しかたっていないような復興の進み具合にショックを受けた。今になってやっと、取り壊しのための重機が入ったということだ。水道管の工事もちょうど私たちが行ったときに行われていた。実際に自分の目で見て、臭いを感じ、様々な感情が渦巻いた3日間であった。

半年以上たった輪島市内の歩道・車道

能登半島の情報の多くは、“被災地”という大きな言葉でまとめられ、報道されることが多いが、被災地の中で起こっている、村の中での対立、一人ひとりの人間が抱える大きな大きな問題、人々の小さな小さな声は、なかなか表にあらわれず、聞こえてこない。

街中にある貼り紙

迷い猫を探しているという貼り紙が街中の至るところにあり、ペットが居場所になっている人がこんなにもたくさんいるのだ、ということを知った。災害による、近所との関係性の変化、これからの不安など人々が抱える問題をペットという存在が多くの人の心の支えになるのだと感じた。人間がフォローしきれない部分がいくらでもあるのだと思わされた。

物理的に建物が壊れ、生業が壊れる。
復興とはそれらを物理的に元通りにするだけではなく、それによって、生み出された分断や精神的な傷、それらをみんなで支えていくことである、と。能登半島特有の、気質、平等の精神によって、仮設住宅があっても、誰も入らないという状況が発生していたということからも、分かるように、災害がもたらす人々への影響は物質的なものだけでなく、そこの社会にあるルールや暗黙の了解、人々の関係性に大きな影響があるのだと。

災害によってたくさんの人が傷ついている。親しい人を失った人はもちろん、災害によって今まで見えてこなかった問題が顕在化したことによる影響を受けている人もたくさんいる。

人間と真正面から向き合うことは、とても大変なことだ。とても苦しく、辛いことの方が多いから、関わらない方が楽である。技術革新が進む世の中において、AIが熟してくれる仕事はたくさん増えた。しかし、痛みを伴う出来事を経験した人間と本当に真正面から向き合うことが出来るのは、人間しかいないのではないかとも思った。人間同士だからこそ、そこにたくさんの傷や痛みが発生するのも事実であるが、それらを一緒に乗り越えていくことが、生きるということなのかもしれないと感じた。