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タタカウヒト ハ ウツクシイ

わたしは「負けたくない」と思うことが多い。

スポーツの世界では、『勝敗がつき、残酷なまでに順位が決まる』

その中で、『4年に一度』しか『挑戦できない』オリンピック大会。

各競技のトップアスリートと国を代表した選手たちの姿は、

とても『美しい』と感じる。

その舞台に立つまでのストーリー。

100人のアスリートがいれば、100のストーリーがある。

そして、アスリートを『サポートする』スタッフにもストーリーがある。

コーチ、監督、家族、所属クラブ、協会、友人、スポンサー、

競技用具のメーカー、学校、栄養士、マッサージ師、などなど。

それぞれのストーリーが折り重なり、交わり、支え、努力し、

それらの結果が、『ひとりのアスリート』を表現していると思う。

アスリート

また、『アスリートからのメッセージ』がとても重要だと思う。

国や文化が異なり、今でも紛争やテロ、戦争や政治的弾圧は存在している。

時に、アスリートは政治的に利用されることもある。

また、『平和な場所』でしか『アスリートは練習できない』。

『平和と貧困と経済格差』がアスリートの『成績』に影響していることは、

間違いないと思う。

『気合や根性だけ』で、勝ち続けることは、今や不可能なことだと思う。

『プロ』アスリートと『アマチュア』アスリート

『オリンピック』=各種目の『世界大会以上のレベル』

だと、わたしは思う。

だから、より一層の『感動』が生まれるのでは?と思う。

その中で、どの競技においても『プロ』として、

トレーニングを積んでいる『アスリート』が、

ほとんどの『メダル』を獲得している。

だから、『日本のアスリート』に対し寛容な姿勢と、

もっともっと支援するべきと考える。

わたしは『保証』ではなく、

『環境』と『アスリート』が『安心して生活できる仕組み』が必要と思う。

一つの提案として、Jリーグやプロ野球などの『興行収入の高い競技』から、

「興業化されていない競技」にもっと直接的な支援を考えてはどうか?

と思う。

愛を教えてくれた『スポーツ』

わたしが愛を感じた理由は、『どんなマッチ』でも、

相手に対する『リスペクト』があり、『相手への挑戦』があるから、

『美しい』と感じる。

わたしは、『アーチェリー』をしていた。

10代の頃は真剣に『将来オリンピックに出たい』と夢見ていた。

何より、『障がい者』の方々と『対等』にできたことが、

『平等』と言う考え方をわたしに教えてくれた。

お互いに真剣になり、勝てば喜び、負ければ悔しがる。

冗談を言ったり、お互いにアドバイスをする。

年齢や経験年数、性別を超えて、『本音』でぶつかることができた。

『経験』とは、特別なことではないと肌で学ぶことができた。

戦う『ヒト』は美しい

今でも、鮮明に覚えてることがある。

小さな小さな「アーチェリー」大会の決勝で、

仲良だった、『車椅子』の選手と戦った時の記憶だ。

日が傾き、夕日が影を長くしていた。

その中で、真剣な眼差しと落ち着いた『呼吸』が、ゆっくりと流れていた。

最後の1射、10点以外はわたしの勝ちだった。

そんな緊迫した中で、彼は理想的な『パフォーマンス』を発揮した。

いつもは、すぐに冗談を言っては、場を和ますことが得意で、

緊張が増すと、『ありえないミス』をすることも多かった彼が、

無風の中、的に真っ直ぐ飛んでいく矢を放った。

ただ、ひたすら真っ直ぐ、真っ直ぐ、的に翔んでいく。

矢を放った後の『フォロースルー』の姿勢がとても眩しかった。

はじめて、『戦う相手』に『美しさ』と『尊敬』を感じた瞬間だった。




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今回の写真は、『みんなのギャラリー』からお借りいたしました。
稲垣さんありがとうございます。

#スポーツがくれたもの

誰が見ても「綺麗な言葉」を紡いでいきたいと、理想を、希望を胸に。 日々精進しています。 どこかの、だれかのために役立てれば幸いです。 そんな私に少しの勇気をください。 ・・・◯◯