見出し画像

「プロの匂いさん」第2話

「さすがに、それはできませんよ」
「そこをなんとかさ、東雲。匂いくださいよ~」
風が匂い編集室に入ると、ディレクターの近藤武士が、東雲に頭を下げている。
「ん?この女性は?」
「新人で、今研修中の、仙花 風さんです」
「えっ、あの鼻が利くっていう、期待の若手の?」
「いや、ええと、私は鼻が利くわけじゃ……」
風が誤解を解く間もなく、近藤は紙の束を出した。
表紙には『伝説の絶滅メシ』と書かれている。
「ちょっと聞いてよ。今はなき、でも地元の人に愛された伝説メシを特集しようと思っていてね」
息巻く近藤は、企画書のページを勢いよくめくっていく。
「一番の目玉がこれ。愛宕エリアで愛された三島食堂の『味噌ちゃんぽん』」
色あせた写真であるが、美味しそうな雰囲気が伝わってくる。
「美味しそう。でも、九州でもないのに、ちゃんぽんって珍しいですね。しかも味噌って」
「そうなんだよ、ご主人が名物を作ろうってことで独自で創作らしいんだよ。それで1965年にお店を構えて、ちゃんぽんを提供し始めた。物珍しさから最初は敬遠されたらしいんだけど、時間が経つにつれ地元の名物になったんだ」
ページをめくると、暖簾の前に立つ夫婦の写真があった。
強面で腕組みする五十嵐清と、柔和な笑顔の五十嵐ナツである。
隣には店の前に並ぶ行列の写真がある。
「すごい行列」
「隣県はもちろん、これを食べに全国から集まったらしいんだ」
「なるほど。このメニューを再現したいけど、できないってことですか?」
東雲が、腕を組みながら、ため息を吐く。そして、ボロボロの紙切れを差し出した。
「レシピは見つかったんです」
「えっ。じゃあ、再現できるじゃないですか。何が問題なんです?」
「でもこれを忠実に作って、味噌ちゃんぽんファンの人にふるまったら、匂いも味も何か違うと」
近藤は、東雲の肩をポンポンと軽く叩きながら、
「東雲さあ、もうお店がなくなったのが、かなり前だから、客ももう記憶が曖昧なんだって。だから固いこと言わずにさあ。注釈で『※匂いはあくまでイメージです』とか入れれば、今の匂いでいいと思うんだよな」
「いや、ファンの皆さんが違うと言っている以上、それはイメージにもなっていません。現時点のクオリティで放送に乗せることはできません」
近藤は東雲を固物だなぁ、と思っているに違いない。現実主義者の東雲は、匂いを忠実に再現することに強いこだわりを持っている。
風は五十嵐夫婦の写真を見ていて、ふと思った。
「ちなみに、お店の人は生きてるんですか?お話聞けないんですかね?」
「ご存命ですが、難しいみたいです」
「どういうことですか?」

三島食堂は、五十嵐清とナツの一世代50年で店を閉じた。
一人娘の幸子はいるが、厳しい世界だからと、跡を継がせなかったらしい。
かろうじて、幸子から当時のレシピのメモをもらうことはできたが、一度も厨房に立ったこともなく、料理についてはさっぱりわからないそうだ。
ただ、ナツが老人ホームにいることがわかり、風は東雲とやってきた。
そこで、幸子が案内してくれることになった。
幸子についていくと、車椅子に乗った女性の姿があった。写真より顔の皺は増え、少し痩せているが、ナツが優しい笑顔で座っている。
幸子はしゃがんでナツと視線を近づける。
「お母さんきたよ」と呼びかける幸子に、ナツの表情は特に変わらない。
「お母さん、幸子よ。三島食堂の、ちゃんぽん覚えてる?」
ナツは口をぽかんと開けたまま、きょろきょろ辺りを見渡した。
「ああね、はいはい。ちゃんぽん1丁ね。清さん、ちゃんぽん1丁ね」
風と東雲は、お互い顔を見合わせる。
「ちゃんぽんの作り方をね、聞いてるのよ。わかりますか?」
「ちゃんぽん?清さんに聞いて。あれ、どこに行ったかしら?」
幸子がすっと立ち上がり、小声で話す。
「今年で90歳、認知症が進行してきてて。父が他界してから徐々に症状は進行してきちゃって。今では私のことも……」
「なるほど……」
風は、はっとして、
「東雲さん、匂い、ないんですか?味噌ちゃんぽんの」
「いや、まああるけど」
東雲がカバンから小瓶のスプレーを取り出した。『味噌ちゃんぽんサンプル⑦』のシールが貼ってある。風は、そのスプレーを受け取ると、
「ちょっと、お母様に嗅いでもらってもいいですか?」
幸子はうなずき、風はその場でスプレーを何度か振りまいた。
「ダメ元だけど、何か起きてくんないかな」
味噌の香りがほわっと来て、
「お母さん、味噌ちゃんぽん、覚えてる?」
「……」
幸子の呼びかけにも、ナツの反応はなかった。
「すみません、やっぱり難しそうです」
手がかりなしか、と風が諦めかけたとき、ナツの目にみるみる力が入っていった。
「清さんね。やっぱりヤマデラジョウゾウじゃないと、ダメね」
風は驚き、ナツに近づく。
「ヤマデラジョウゾウ?なんですか?」
しかし、ナツは何も答えず、目は緩んでいく。
「一瞬、明らかに、さっきまでのナツさんと違いましたよね?」
幸子は、静かに頷いた。
「匂いで、記憶が蘇ったような、そんな感じでしたね」

揺れるバスの中で、東雲は、
「サイレントランゲージって知ってます?」
「何ですか?直訳すると、沈黙の言葉、ですか?」
「そう、実は香りのことです。特定の匂いを嗅いだとき、昔の記憶が鮮明に蘇ることありますよね?嗅覚は五感の中で唯一、大脳辺縁系という感情や本能を司る部分に直接つながるんです」
「それは、だからナツさんも記憶が戻った?私、思いつきでやりましたけど、認知症でも有効なんですか?」
「さっき調べたら、認知症の人でも、匂いで過去の記憶が思い出すことはあるようです。風さんの鼻が利く、は確かかもしれません」
「匂いの方の鼻は、全然ですけどね」
バスは、市街地へ走って行く。
風はスマホ画面を、東雲に見せた。
「ヤマデラジョウゾウで検索してみたんですけど、やはりこの先にある山寺醸造みたいですね。ホームページで、歴史を見たら、10年前まで商店街にお店を構えていたようなんです」
「ここに行けば、何かわかるかもしれないね」

古民家を改装して作られた山寺醸造は、風情ある佇まいをしていた。
歴史は100年以上の老舗だが、大型企業ではなく、親しみやすい街のお店として地元の人に愛されている。
風がお店に入ると、中年の男性が「いらっしゃい」と迎えてくれた。
「ちょっと教えてほしいんですけど、三島食堂って知ってます?」
「知ってるも何も、三島食堂がなくなったから、うちもこっち引っ越したしね」
「どういうことですか?」
「味噌ちゃんぽんが出なくなると、うちも商売あがったりよ。そもそも、味噌ちゃんぽん、どうできたかって知ってる?」
風と東雲は首を横に振る。
「俺も親父から聞いた話なんだけど……」というと、味噌をどんどんと、棚に並べ始めた。その数10種類以上ある。
「三島食堂のご主人が、こだわりの強い人でね。ちゃんぽんに使う味噌をかたっぱしから集めて、試していったらしい」
「味噌一つで、味は全然違う?」
「そりゃそうさ、同じ味噌でも、味も風味も、別物よ」
棚の上から、1つの味噌を取り上げた。
「この、山寺味噌が最終候補に残った。この味噌は甘めの、優しい香りが特徴でね。もう1つの最終候補が、超大手の国光本舗の国光味噌。こっちは、うちのよりは少し辛めで、コクがある。それに、大量生産できるしコストも安い」
あっ、と東雲が言った。
「味噌ちゃんぽんの再現は、国光味噌で作ったはずです」
「だから食べた人も違うと感じたんだ」
と、風は納得した。
「でも、山寺醸造さんの味噌が採用されたんですよね?」
「そうそう、親父も無理だろうって思ってたらしいんだけど」
「決め手は何だったんですかね?」
「鶴の一声だったみたいよ」
「鶴の一声?」

風と東雲は、会社に戻ってきて、早速味噌ちゃんぽんを作り始めた。
具材は、レシピ通りに。そして、山寺味噌を入れ、スープを作り上げる。
湯気によって、芳醇な香りが引き立つ、味噌ちゃんぽんが完成した。
近藤によって集められたファンたちによって、試食が始まった。
「これ、めっちゃ近いかも。うまい」
「前回のと全然違う、本当、お店の食べてるみたい」
風は、拳を握りガッツポーズをした。東雲は、香りを集め、時折メモをとっている。
そして、何より、近藤は飛んで喜んでいる。

幸子がナツが乗る車椅子を押しながら、老人ホームの談話室に入ってきた。
「番組が完成したので、一緒に放送をみませんか?」と提案したのは、風だった。
幸子が申し訳なさそうに、会釈した。
「ちゃんと番組できました?あまりお力になれず」
「ちゃんとできたかどうか、ナツさんに判断してもらいたくて」
『伝説の絶滅メシ』が始まり、すぐに三島食堂の紹介になった。
白黒写真の清とナツ。満員の客席。
写真がカラーになり、ナツに抱えられた子どもの頃の幸子。
超人気メニューの味噌ちゃんぽん。
そのとき、ちゃんぽんの香りがフロアに広がった。
行ったことはないが、風はここが食堂なのではないか、そう思うくらい東雲の味噌ちゃんぽんの香りの精度は高かった。
ナツは、少しずつ、少しずつ、顔に力がこもっていった。
「さっちゃん」
幸子は驚いて、ナツを見つめる。
「そうよ、私、幸子。わかる?」
ナツは、ふっと笑い、
「さっちゃんが好きな味噌で、ちゃんぽん作ったのよね」
幸子の目から、すっと涙がこぼれた。
そっと風は、幸子に寄り添う。
「ちゃんぽんの味噌は、本当は違う味噌が使われる予定だったらしいんですけど、幸子さんが子どもの頃、山寺味噌が好きだったから、ナツさんが押し通したらしいんです。幸子さんが好きなメニューを作りたいし、他の子にも受けるんじゃないかって」
幸子は唇をかみしめながらうなずき、ナツを抱きしめた。
「そっか、そっか、知らなかったよ。食べ飽きて、もういらないとか言ってごめんね。お母さん、ありがとう」
ナツは静かに微笑んでいる。

#創作大賞2024 #漫画原作部門  #少年マンガ #少女マンガ #青年マンガ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?