「プロの匂いさん」第3話
テレビから匂いが出ることによって、注目を浴びているのが、俳優やスポーツ選手、アーティストにモデルなど、ありとあらゆるスーパースター達の香りを嗅ぐことができることになったことだ。
「実は柑橘系の香りがする人だったんだ」
「あれだけ汗をかいても、選手はクールなミントを醸し出している」
著名人はイメージ作りで、自分の香りを気にするようになり、
さらにファンはその匂いを求めて、推しと同じ香りを纏おうとする者も少なくなかった。
風が準備室で、東雲に集香道具の使い方を教えてもらっていると、
テレビから「地上波初登場!氷河北斗が生パフォーマンス」というナレーションが聞こえてきて、画面を凝視した。
「えっ、氷河君」
東雲が、風を一瞥する。
「この人、すごいんですか?」
「知らないんですか?今人気急上昇で、この前のシングルが売上1位になったんですよ。MVも1億再生されてます」
「へえ。そうなんですね」
「若者のカリスマですよ。歌手はもちろん俳優としても成功していて、氷河君がいいといったものは若者の流行間違いなし、とも言われてます」
風はアナウンサーにでもなれるのではないかと思えるほど、驚くほど饒舌に話した。
氷河は現役高校生アイドルとして人気を博し、カラフルで派手な格好と中性的なビジュアルで話題となっている。ポップで軽快なメロディは中毒性を生み、SNSのショート動画での再生回数は凄まじい。
「じゃあ、彼が使ってる香水を買ったりとか」
「それが、氷河君はSNSで人気が爆発したので、テレビは出てないんですよ。匂いが出る装置ってスマホには実装されてないんで、ファンの中ではどんな匂いがするのか噂になっています」
「どんな匂いだと思います?」
「キャンディとか甘い感じ……いや、でもレモンとか爽やかでキレのある感じか……」
「じゃあ確かめに行きましょうか」
「はい。って、え?」
「今日の取材は、氷河北斗の取材です」
「ええっ!」
「新曲のプロモーションで撮影がOKになったそうです」
風は、その場で思わず飛び跳ねた。
「こんなことある?仕事初めてすぐに推しに会えるなんて、めちゃくちゃラッキー」
「実物を見ると、幻滅するっていうこともありますよ」
「氷河君に限ってそれはないです。ちょっと見た目は派手ですけど、真面目で清楚なんですから」
タクシーで取材現場に向かう。
風の足取りは軽い。これまでライブでは、米粒サイズにしか見られなかった氷河君にインタビュー取材、こんな幸運があっていいのかと風は思った。
「仙花さん、今どんな気持ちですか?」
「すごく、ドキドキしています」
「推しに会えることに?」
「あ、まあ、それは大きいんですけど。合法的に匂いを嗅げる……、いや忠実に再現して同じファンに届けることができるなんて、すごくやりがいがある仕事だなって」
「いいですね。その気持ち、忘れないでください」
会場につくと厳戒態勢が敷かれていて、多くの警備員がいる。
さすがの注目度と言うべきか、現場には各社から相当な数の取材陣が集まっていた。
最初は幸運だと思った取材だが、時間が経つにつれ風の鼓動は高鳴り、緊張が止まらない。
ただでさえ会うことにも恐れ多いが、同じファンに香りを届けると思うと、その責任は重大だ。どんどん体が強ばってくる。
そして、この数のマスコミの中で自分の仕事をしなくてはならない。
いつかは自分一人でやらなくてはならないが、
先輩の東雲が平然と作業をしていることに、改めてすごいと思った。
「おう、東雲来たのか」
話しかけたのは番組プロデューサーの乾だった。
同じチームなのに、風は、東雲があまり歓迎されていない雰囲気を感じた。
「来なくてもよかったんじゃねーか。匂いは後で教えてやるぞ」
「変な匂いは出せないんで。ちゃんと現場に来ました」
乾が東雲に近づき、耳元で囁く。
「余計なことはするなよ」
鋭い目つきの乾に対して、東雲の表情は一切変わらなかった。
「この仕事って厄介者扱いされてるんですか?」
「どうかな。厄介者だと思うやつもいるってことだと思うよ」
「まだ、できたばかりの仕事だから?」
「いや、職業差別ってことじゃなくて。匂いが伝えられるってことで、弊害もあるってことです」
「弊害…」
すると、氷河の関係者とみられるスーツを着た人間がバタバタと現れだした。
カメラ位置や、インタビュー内容を確認している。
東雲は、バッグから、ホースとヘッドホンをつないだようなアイテムを取り出した。
「これは?」
「ピンポイントで匂いを嗅ぐ装置です」
お世辞にもカッコいいとは到底言えないような道具だ。
一瞬にして、取材現場を華麗な香りが包んだ。氷河だ。
一歩一歩近づいてくるごとに、見た目以上の存在感を感じる。それは、氷河の香りがいち早く現場を制圧するかのようにやってくるからだろうか。
甘くて、セクシーな香り。
風は、その場が別世界に包まれるような感覚に陥った。
「今日は、僕のために来ていただいてすみません。よろしくお願いします」
そういって氷河はニコッと笑った。
風の鼓動はどんどん早くなった。至近距離での、この笑顔。この仕事についてよかったと思った。
ちらっと東雲を見ると、ポーカーフェイスのまま、ホースを氷河の方に近づけ、香りを吸っているようだ。
「すみません、ちょっと今日風邪気味で。何か移ってもよくないので、少し下がってもらってもいいですか?」
撮影班と一緒に風は少し後ろに下がったが、東雲はそのままの位置にいた。
「あれ?東雲さん」
そこに氷河のマネージャーがやってくる。
「すみません、本人風邪を引いており、ちょっと下がっていただけると」
「いや、私は風邪大丈夫です。移っても」
「えっ」
飛んできたのはプロデューサーの乾だ。
「すみません。ほら、東雲、下がれ。いいから」
「それだと正確な匂いがとれません」
「いいんだよ、だいたいで。これだけいい香りが広がってるんだから。それでわかるだろう」
乾は東雲のシャツを引っ張って撮影隊は少し下がって取材を行った。
取材陣から質問が飛ぶ。
「今回の新曲、どんな曲に仕上がりましたか?」
「これだけ注目を浴びて、プレッシャーとかはないですか?」
氷河は、数々の質問にさらりと答え、颯爽とその場を去っていった。
芳醇な香りだけがその場に取り残され、風はまるで夢を見ていたかのような気持ちになった。非現実の世界に浸っていると、声が聞こえてくる。東雲だ。
「仙花さん。仙花さんどうでした?」
「もうビジュがよすぎて、見とれてしまいました。幸せでした」
「いや、匂いの方です」
「なんていうか、セクシーな香りでした」
「香水は、アンバーやムスクなどがメインの主張が強いオリエンタルな香りですね。それ意外は?」
「それ以外?いや、あまりわかりませんでした」
「何か、違和感なかったですか?」
「違和感?」
風は自分が浮かれ上がっていたせいか、いつもと同じ氷河に見えた。
マネージャーはすっと乾に近づき、なにやら小声で話して、去っていった。
「じゃあ、撮影撤収。早速編集に取りかかってくれ」
撮影クルーが現場を離れ、乾も出口へ向かおうと東雲とすれ違った。
「彼の口元から、お酒の匂いがしました」
乾の動きがピタリと止まる。
「えっ、お酒?」
風はまさか、とは思ったが、東雲はいたずらに嘘をつく人間ではない。
乾は踵を返して、東雲と対峙した。
「そうか?何も感じなかったけどな。何か別の場所から漂ってきたんじゃないか」
「確かに、彼の口からしていました」
「それを感じていたのは、お前だけだ。他のメンバーはなんとも思わなかった。だとしたら、氷河の芳醇な香水を忠実に再現してくれよ」
「少し後ろに下がって撮影をお願いされたのは、何かやましいことがあるからでは?」
「やましいことはないさ」
東雲が、風を見る。
「彼は何歳でしたっけ?仙花さん」
「ええと……18歳です」
乾の眉間にぐっと皺が寄る。
氷河君が未成年飲酒?まさかそんなわけはないと思いながら、さっきまでの熱が嘘かのように、風の体温は急激に下がっていた。
「これを隠蔽しろと?」
東雲はまっすぐに乾を見ている。
「隠蔽もなにも、事実ではない。仮にアルコールを摂取してたとして、そもそも君が嗅いだだけで、警察が検査したわけでもない。我々マスコミには責任はないし、粛々とニュースを取り上げればいいだけだ」
それでは、と乾は足早にその場を後にした。
風は、心の整理がつかないまま立ち尽くした。
「お酒の匂い、本当ですか?」
「はい、間違いない。それも少量とは思えませんでした」
大好きなアーティストに会えたのも束の間。どうしても現実を受け入れられなかった。
「仙花さんは、どうするのがいいと思います?プロデューサーの言いなりになって香水の匂いだけにするか、それともお酒の匂いを忠実に入れるか」
究極の二択だ。あの取材現場の雰囲気を見るに、マネージャーは何かを知っていて、乾に圧力をかけたようにも思える。しかし、酒の匂いがしたのを感じたのはおそらく最初に近くで取材をした東雲だけ。証拠はない。
「氷河君のことは信じたいけど、東雲さんが嘘を言っているとも思えません。私は、真実を確かめて、本当の香りを同じファンに届けたいです」
「それは、どういうことですか?」
風が強い目で東雲を見る。
「氷河君の後を追って、聞いてみましょう。本人に」
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