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封筒の話。 ①

私たちマルアイが、長年にわたりつくり続けてきた”封筒”の物語を、これから3回に分けてお届けします。今回は、マルアイの封筒ブランド”藤壺”の誕生についてお話しします。

変わらない理由。 変わりゆく自由。

甲府盆地の最南端。四方を山に囲まれた、山梨県市川大門。1888年、マルアイはこの歴史ある和紙の里で、手すき和紙の問屋として創業しました。やがて、平袋や荷札など紙製品の製造をスタート。戦後にはマルアイの封筒の原点である二重封筒も誕生し、以来、今日に至るまで、たくさんの封筒を作ってきました。人々の暮らしは変わり、紙の種類や使い方も多様化しています。

常に時代のスタンダードであり続ける。基本を守りながら、新しさを柔軟に取り入れる。そんな心で、使う人に寄り添い、まじめで丁寧なものづくりに励んでいます。

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マルアイの”藤壺”封筒

マルアイの封筒ブランド“藤壺”は、2016年で誕生60周年を迎えました。
送り出した封筒の数は、およそ400億枚に上ります。その間、時代のニーズに合わせて封筒の品揃えも充実させてきました。

マルアイで封筒が作られ始めたのは、戦中から戦後の時期。その後、“藤壺”の草分け、二重封筒が誕生しました。1956年には封筒商品”藤壺“を商標登録。その後、続々と新しい封筒商品が作られていきました。“藤壺”の名を全国に広げるための販売キャンペーンでは、営業車にも”藤壺“、封筒のパッケージにも ”藤壺“。その甲斐あって、当時は「封筒と言えば”藤壺“」と呼ばれるほど、広く知られる存在になりました。

手紙を出すときに中身が透けてしまわないように作られた「二重封筒」に、横長の「洋形封筒」から、赤と紺のラインだけでそれとわかる「エアメール封筒」、様々なサイズの書類に対応した「クラフト封筒」、大切なものを包む、「クッション封筒」。

これらを含め、今では270種類を超えるバリエーションを持つ“藤壺”。どんなシーンで、どんな人が手にするのかを想像しながら、作り続けています。

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【 齊藤隆さん 0B・営業課で40年勤務 】
マルアイの商品と共に、時代の移り変わりを体感してきました。高度成長期の販売キャンペーンや、80年代の量販店の増加などは、強く印象に残っているそう。“藤壺”については、「商品への信頼があるからこそ、お店の方とも信頼関係を結ぶことができた」と言います。


次回は、封筒の話。②
あなたも一度は使ったことがあるかも?!
時代を超えて愛されるマルアイの封筒をご紹介します。


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