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出産レポ①_切迫早産〜38週にて出産

娘が寝たタイミングで、出産の思い出を振り返って記録します。今思い出してもとても大切な、かけがえのない1日。

1人で過ごした妊娠初期〜そのまま後期へ

5月8日に顕微受精の移植をし、5月15日に陽性の確認。それから超初期の時期を夫と一緒に過ごし、8月から夫は海外へ。コロナで孤独な日々を1人過ごしていましたが、そこまで暗い気持ちにならずにやれたのは、初めて体験する妊娠生活の全てに感動していたから。

気持ち悪くて痛くて身体がどんどん変わっていって、赤ちゃんのエコー写真が毎回楽しみで。どんな顔した子なのかな、今お腹でどんな風に過ごしてるのかなとキックされる度に生命の不思議に感動していました。

結婚してすぐいった産婦人科。受付のお姉さんや看護士さん方がかなり感じ悪い人もいたり、無駄に高いお金を使って注射を自分でするようになり、何度も涙したなと思い返し、妊娠できた今がまるで夢かのような気がして急に怖くて不安になることもありました。

妊娠糖尿病からの切迫早産

ちょうど後期に近づき仕事をお休みしようと思った頃、妊娠28週に妊娠糖尿病と診断され、3食の食事を1日6回に分けて食べるように。血糖値を上げないために毎日ウォーキングをしていたのですが、それもあってか娘は予定よりどんどん下に下がってきていて、切迫早産に。先生に子宮こうがもう2ミリはあいてきてるから、早めに産まれるかと思うよと。出産がこわくてこわくて仕方なかったので、1人毎日ドキドキと過ごす日々でした。

ぼっち誕生日の夜、陣痛がきた!!

まだ海外赴任がわかる前、よくぼんやりとこの先の妊娠生活を考えることがありました。私のお腹が大きくなってきて、夫と一緒に散歩に出掛けて、一緒にお腹の動きを見て聞いたり、友人たちとカフェで美味しいスイーツを食べ、出産前は夫婦で焼肉やコース料理を食べにいって2人の時間を過ごす。イメージも出来ない陣痛の痛みが来たら夫が荷物を持ち、タクシーで病院に行って、激痛の時には横で応援してくれている。これが妊娠~出産当日のイメージでした笑

そのどれもが叶わずの妊娠〜出産当日😂コロナ前の妊婦の人たちはよくカフェしたり美味しいお店で気分転換していると聞いていたので、妊活のご褒美を自分にあげたいと思っていたにも関わらず、コロナが怖くてまさかの誰1人にもあわずの生活に、その上一緒に頑張ってきた夫も引っ越し。

クリスマスもぼっち。誕生日もぼっち。立ち合いはかならずすると思っていたのですが、コロナのせいで水際対策が長引き、まさかの待機期間、誕生日の夜にその時はやってきました。

陣痛タクシーがこない

誕生日は1人で美味しいケーキ屋さんで1つシュークリームを買って美味しく食べ、さぁ寝ようと思い早めに就寝。

その何日か前からお風呂の椅子に座るとお腹がつくくらい下に下がってきていて子宮が痛むように。

横になってしばらくするとズキーンと子宮に痛みが。いつもの痛みかなと思ってそのまま寝ることに。

横向きになって痛みに耐えているとどんどん痛む間隔が狭くなってきて耐えられないくらいに。必死で歩いてトイレにいったら血が出ていてパニックに。

これは陣痛なのかもしれない!と思って病院に電話、すぐに落ち着いてタクシーで来てくださいと。その時電話対応してくれた助産師さんの対応が素晴らしすぎて、未だに感謝しています。(病院についても同じ人が迎えてくれた)

登録していた陣痛タクシーに電話をし、まとめていた荷物を両手に抱えて待ち合わせ場所に。1月10日のさむーい深夜、待てども待てどもタクシーがこない!お腹は痛いし荷物重いし外で寒いしで電話しても繋がらず。やっと繋がったらもうすぐ着きますと。結局痛みに耐えながら30分弱くらい外で立って待っていました。陣痛タクシーの意味ない!!

やっと到着したタクシーに乗った時、電話の対応してくれた助産師さんから電話が。

「血が出てる量によっては危ないから、到着遅いので救急車呼びますか?と。」わざわざ電話くれたことにも感謝。

そうして病院に着く頃にはううーと声が出るほど子宮の痛みはかなりひどくなっていました。

つづく


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