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吹き替えで映画を観る

吹き替えで映画を観て、仲間はずれにされる。
お前は真に映画好きではないと言わんばかりの扱い。言われたりもする。
俳優の演技、英語ならではの間と空気感を味わって欲しいということらしい。
ならそんな言い方しなくても。

日本の俳優・声優だって演技してますが

たまに棒読みの人がいるのは「あはは、棒読みの奴がいらぁ。」くらいの気持ちで観てる。和むし、その記憶が強く残ったりもする。だけど映画の記憶ってそんなもんでいいんじゃないだろうか。映画を生業にしていたり、たくさんそれについて考えている人は違うんだろうな。でも僕も違うからこういうことを言う。

お前が観たくて観てんだろ

強要はよくない。解釈の押し付けも、受け取った印象をそういう表現ではなかったと修正させたり。自由な表現を掲げる映画のファンであればあるほど、これはよくない。
ほんとによくないよ。
受け取り方だって自由であるべきだ。
もしその表現をそうとしか受け取ってほしくないのに、たくさんの人が受け取ったものが様々あって、そのどれもがばらばらで違っていたら、表現が少しまずかったのかもしれない。
インタビューや対談でしか真意に気付けない表現なんて、誰のためのものなんだろう。自分のためなんだろうな。

英語ならでは

僕は洋楽を聴いたりする時、歌詞の意味がわからないことが殆どだ。あとで口ずさみたくなって何度苦労したことか。映画を観ている時字幕で見ていると、殆どセリフは心に残っていない。どうしたものか。
字幕で見た時、とてもいい映画だったのに後から聞かれても、「...?」となることがある。どうしたものか。

聞き取れる言語で観ればいいんじゃないの

今年は映画をおそらく30本くらい観た。
映画館でも観たし、スマホでもテレビでも観た。
人生の時間のうち、たまに貴重なんじゃないかと思う休みのうち、2.3時間を使って作品を観る。少しでも覚えておきたいと思うのは間違っているだろうか。間違っていないことは僕がわかっていればそれでいい。

字幕で観るのもやめないよ

字幕で観ないと話が合わない人もいる。
「アイアム アイアンマン」と言われてもわからなかったことを忘れない。本当につらい。知ったかぶりはなるべくしたくないけど「あーー。あーあー。ねーー。」とか言う。
苦痛だ。
何を言ってるのかはわからないけど字幕を見て時差を感じながらわかって、時差を感じながら凄みを感じる。そんなに悪いとも思っていない。

自由な表現を自由に受け取る

面白かったり面白くなかったりだけど、これからも映画を観る。
たまに楽しいと思えたらいい。ずっと楽しいのはもう無理だと諦めている。ずっと楽しかったら楽しいという概念が曖昧になる。もしくはもっともっとと欲しくなってどこかで頭打ちになる。
面白いものとそうでないものが自分の中に確実にある。二分化させなくていいものを二分化している。これは一体。

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