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【エッセイ】石垣島に溢れる愛|柔術家/歌手/海人の独り言 |文:渡辺直由@石垣島


実家の麻問屋の話

今回のテーマは《石垣島に溢れる愛》についてです。

島の話に行く前に、その前置きとして、
先ずは40年ほど時をさかのぼりまして、
私の母方の実家である群馬の話をしたいと思います。

私の母の実家は昔
関東一とも言われた麻問屋だった
北国屋と言うところのだそうで
そこの三治郎さんと言う人がいまして
今は検索しても見つかりませんが
私がインターネットをやり始めた2004年くらいには、
それらを特集したホームページのようなものがあったくらい
歴史に名を残す名家?だったそうで、
私はその末裔と言うことになります…
かなり落ちこぼれておりますが(汗)

私の幼少期
夏休みに群馬の母方の実家に行くと
そこは築400年以上の屋敷で
昔は大名などが泊まりにも来たらしく
天井は誰かが忍び込めば落ちてくる仕掛けまでがあったそうです。

で、現在はと言うと
おそらく50〜60年前?
私が生まれる前から母方の実家はクリーニング屋(ミツバクリーニングと言います)をやっておりまして
そのクリーニング屋さんも実は業界ではけっこう有名らしく
石垣島で知り合ったクリーニング屋さんに母の実家の話をしたら
「ミツバさんは業界では有名ですよ」と
その同業の方も話されていました。

縁側にいた人たち

で、本題の《愛》に戻りますが
幼少期、母の実家にいくと
そこにはお世辞にも身支度がキレイとは言えない方々がやってきて
よく縁側でお茶を飲んだりご飯を食べたりしていたのです。

その何人かは「ナオちゃん」と幼い僕を呼んで遊んでくれたり面白い話を聞かせてくれたりしました。

時は流れ、高校生くらいになった時ふと母親に「あのいつも群馬の家の縁側にいた人たちって誰だったの?」と聞いたら
「Mおじちゃん(母の弟でクリーニング店の先代社長)がご飯が食べられない人たちに食べさせてあげてたのよ」と聞いて
え!そうだったんだ!とビックリした記憶があります。

食べさせてあげていた側のおじちゃんも偉ぶるわけでもなく
食べさせてもらっていた側も卑屈にはならず
お互いが自然に接していたので
幼心に私は「友達なんだろう」と思っていました。

そんな食べさせてもらっていた側の1人は
後に土木か建設業か何かで成功したらしいです。


石垣島に溢れる愛

で、やっと話を石垣島に戻しますが
ある日ちょっと気になって
自分がお世話になっている海人の先輩たちに
よく漁港や海人の小屋の付近で見かけはするが自分たちのハーリー屋(チームみたいなもの)のメンバーではない人について「あの人はどこの海人ですか?」と聞いたら
「は?海人じゃないど」と言うので
では何故いつも彼らが来ているのかと訪ねたら
「ごはんが食べれんちゅーから食べさせてるさ!」と言う
衝撃の答えが返って来たのです。

40年前の古き良き日本の愛や良心が
まだ石垣島には生きていたんですね。

そういえばこちらには
物乞いやホームレスのような方は殆どいませんよね。

大袈裟に言ったり誇張した表現ではなく
この事実を知った時
本当に不思議とあの40年前の群馬の田舎の縁側に座っていた懐かしい夏の匂いがしました。

40年後に自分はこの世にいないかも知れませんが
そんな愛が40年後も日本のどこかに残っている事を願っています。

今月のふろく

①縁をつなぐレシピ | Baraque田中すみれさんのフライドエッグバインミーレシピ

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この記事を書いた人

渡辺直由(柔術家/歌手/海人)
1975年8月4日生まれ。東京都出身。19歳でメジャーレーベルから歌手デビュー。2004年に盟友早川光由と共にトライフォース柔術を創設。柔術世界選手権や欧州選手権、プロの舞台でも活躍。2011年に現役を退き憧れの八重山に移住。電灯潜り漁師(現在休業中)を経て2022年6月に美崎町にカラオケ&弾き語りバー《アームバー》をOPEN。現在も代表としてトライフォース石垣島支部で柔術クラスを持ち、後進の育成に努めている。
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