【エッセイ連載】豚汁に感謝、店主にほどほどのエール|みちくさ文語|文:佐藤仁
2023年。2月25日。
17時過ぎ。ここを南国と呼ぶには冷たすぎる風の中。あたたかい豚汁を啜りつつ。
今日は、チャレンジ石垣島のイベント『夜市』の日。寒空のなか。始まったばかりの時間帯。ということもあり、人影はまだまばらですが、ちらほら聞こえる人の声は、知っている人のものも、知らない人のものも、少しずつ増えはじめているように思います。
ここは屋外のテラス席。つい1週間ほど前の、石垣島らしい陽気が恋しいのは確かです。しかし、年間通じて、”ちょっと暑い”or”暑い”or”めっちゃ暑い”日々がほとんどを占める石垣島。一杯のスープに対し、あふれんばかりの感謝の念を抱く機会はある意味貴重なもので。そう考えれば、厳寒の石垣島で豚汁に暖を求める夕方だって乙なものです。
牛蒡、人参、えのき、お揚げと具だくさんな豚汁から少し目を離して、手元のスマホ。Googleの検索画面。何気なく使ってみた言葉の意味が気になりました。
どうやら、「ほかに甲(いちばん)があることはわかってるんだけど、目の前に転がってるこれにだって、乙な(そこそこの)趣があるんじゃない。ねぇ?」というまなざしから生まれる感覚。それを「乙なもの」という言葉で表現するようです。
それはたとえば、ミシュランガイドに対して、B級グルメ。伝統的絵画に対して、グラフィティアート。法定貨幣に対して、まーる。いってみれば、本流に対する傍流。
そしてひとくちに「傍流」といえど、それらの流れは様々です。近いうち、本流にとって代わってしまいそうな勢いを持っているもの。思わず守りたくなってしまう、誰にも見つけてもらっていなさそうなもの。ずっとずっと前から密やかに、けれども確かに、流れを保ち続けてきたのだろうと感じさせるもの。
そんな傍流たちが共通してぼくに教えてくれるのは、「甲じゃないものだって、確かに世界に存在している」ということなのかもしれません。
「甲じゃダメだ」「乙じゃなきゃダメだ」と本流の座を争う、集中的、直線的な存在ではなく。「こうじゃなくたっていいかもですよね」「こんな見方もありえますよね」と、視線を散らし、話を脇道にそらし、人に道草食わせてしまうような、悪戯っぽく、だけどなんだか、懐の広い存在。
「そうじゃなくてもいい」「これもありえる」といった傍流語たち。そこには「何かを否定せず、そこにあるものの愛おしさを見つけだす」という姿勢が宿っているようにも思えます。
「まぁ、確かにパーフェクトじゃないかもしれないけれどさ、ここにだってなかなかの趣があるんじゃない。ねぇ?」といった具合に。そんな心持ちをぼくは「傍流の美学」なんて呼んでみようかなあと思います。
今日は、チャレンジ石垣島のイベント『夜市』の日。知っている声も、知らない声も、たくさんたくさん飛び交っています。声色は様々ですが、みんな「寒い、寒い」と言いながら、あたたかい豚汁をありがたそうに飲んでいます。
ここを南国と呼ぶには冷たすぎる風の中。優しくて、不器用で、皆から愛される店主がつくる豚汁を、もう一杯だけ頼んじゃおうかと悩みながら、乙な夜が、ぼくの目の前を通り過ぎてゆきます。
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この記事のふろく
仁さんが手がけたTシャツデザインをチラ見せ。
この記事を書いた人
佐藤仁(おしゃべりのデザイン/私立図書館)
1992年山梨生まれ、大阪育ち。
幼稚園時代の文集に書いた将来の夢は「サラリーマン」。大学卒業後その夢を叶えるも、3年経たぬうちに退職し、2017年に石垣島に移住。
現在は石垣島にて、名刺、ロゴ、コンセプト、しくみのデザインを仕事としつつ、Tシャツ屋『しろはら商店』、私立図書館『みちくさ文庫』を運営。
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