【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第9話 逆襲編(2)
【ナースの♡お仕事】
そのまま手術室に拉致られ、若いナースさんにいきなりズボンと下着を脱ぐよう命じられたフリムン。
「ま、またかよっ!( ̄▽ ̄;)」
あの骨折手術での悪夢が再び脳裏を過ったが、既に彼の下半身は生まれたままの姿となっていた。
しかも、今回の手術は足ではなくデリケートゾーンだ。
その恥ずかしさたるや、あの「ムスコッティ鷲掴み事件」とは雲泥である。
早速、初対面のナースさんの前でうつ伏せとなり、お尻を突き出した状態で最初にされたのが、デリケートゾーンの除毛であった。
それはゾーンだけでなく、お稲荷さんにまで及んだ。
手際よくシェービングブラシに石鹸の泡を付着させ、デリケートゾーンとお稲荷さんを撫でまわすナースさん。
かなりの恥ずかしさと若干の気持ち良さに、フリムンは何とも言えない精神状態に陥っていた。
「少し冷たいので冷っとしま~す♡」
そう言って優しく筆を走らせるナースさん。フリムンは思わず「アヒッ」という情けない声を発してしまった(-_-;)
「お、俺はこのまま変態の向こう側へ逝ってしまうのか?」
そう思ったのも束の間、ここから急転直下、ガチの地獄が待ち受けていた。
なんと切れた箇所を針と糸で縫合するというのだ!( ̄▽ ̄;)
前回の骨折手術はハンマーを使った日曜大工だったが、今回は針と糸を使った日曜洋裁である(いや曜日いらんしっ)
そしていよいよデリケートな部分に針がブッ刺される瞬間がやってきた。
「痛いので我慢できない時は手を握ってもいいですよ♡」
と優しく声を掛けられたその刹那、いきなりブスッと針を突き刺されたフリムンは、「ヒンギー」という情けない叫び声を上げながら悶絶。
そんな哀れな姿に同情したのか
「痛いよね、痛いよね、でも頑張ってね♡」
と優しく手を握りながら耳元で囁くナースさん。
その甘い声に「僕がんばるっ♡」と涙を溜めながらイエスフォーリンラブ。フリムンは恋に落ちてしまった。
もう、ナースのナースがままである(やかましわっ)
こうして無事に変態プレイ…じゃなくて手術を終えたフリムンだったが、せっかく絞り込んだのに、ボディビルコンテストに出場する夢は無残にも砕け散った。
そう、アースホールを縫合した状態でトレーニングなどできるはずもなく、更にコンテストでポージングを取るなど不可能。
出場を断念するしか選択の余地は無かった。
そんな人生初のコンテストを諦めてから数ヵ月後、抜糸も終わり何とか動けるようになった頃、沖縄支部では2回目となるウエイト制県大会が開催される運びとなっていた。
まだ手術した箇所が痛く、便を出すのが怖くて食事も喉を通らず、お陰で何とか体重をキープしていたフリムン。
せっかく辛い思いをして体重を落としたのだから、せめて空手だけでもと申込書を提出。彼が提出した出場カテゴリーは、当然「軽量級」であった。
【ガス欠】
元々は軽量級だったフリムンだが、この頃には全身筋肉で武装していたため、60㎏台で出るにはかなり無理があった。
それでも、せっかく落としたのだから挑戦しないのは嘘である。
とりあえず、先ずは計量をパスする事に全力を注いだ。
そして迎えた大会当日。ゲッソリと痩せ細ったフリムンの姿を見た極真関係者は、彼の変わり果てた姿に驚愕した。
「おわっどうしたんすか?」
「誰か分からなかったっす」
「どうやったらこうなるんですか?」
「メッチャカッコイイっす♡」
計量の間中、質問攻めとなっていたフリムンだが、体重計の針はドンピシャ68㎏を差していた。既定(当時)の70㎏以下のため、余裕でクリアである。
しかし、計量後に食べようと用意していたコンビニおにぎりを、何と胃袋が完全拒否。エネルギーの注入ができず焦りまくっていた。
「どうしよう」「どうしよう」「どうしよう」
メチャクチャ空腹なのに、体が水分以外受け付けず、まだ試合前だというのにガス欠寸前に陥っていたフリムン。
無理して口におにぎりを詰め込んでも、直後に「オエッ」とリバース。仕方なく空腹のまま戦うよう気持ちを切り替えた。
そして迎えた1回戦。
減量前なら楽々と退けたであろう格下の相手に少々苦戦。それでも何とか本戦5-0で完勝し、準決勝へと駒を進めた。
しかし、そこで待ち構えていたのは、当時まだ高校生であった沖縄支部の小さな巨人、後に全日本を制するあのK山選手であった。
高校生の全国大会で優勝するなど、既に頭角を現し始めていた若手のホープ。
一方フリムンは36歳という年齢を迎えており、歳の差は何と半分の18歳。
それでも何ら問題ないと高を括って対峙したが、いざ始まってみると彼のスピードに翻弄され、延長、再延長と振り回され続けた。
顔の周りをブンブンと飛び回る蠅を叩き落そうにも捕らえきれず、イライラしている心境と言えば解りやすいだろうか。
過度な減量によりエネルギー注入もままならず、フラフラになっていたフリムンはとうとう彼を捕まえる事が出来ず、そのまま終了の合図を聞くこととなった。
判定は再延長も引き分け。
そのまま体重判定となり、牙城を崩すことは叶わなかった。
ただ、問題は続く「三位決定戦」であった。
準決勝で完全にガス欠となったフリムンの前に立ちはだかったのは、他流派から送られてきた若き刺客。
絶対に負けられない試合である。
しかし、ここでも延長戦まで粘られ万事休すとなっていたフリムン。このまま行けば、準決勝と同じく体重判定負けとなってしまう。
延長戦を終え、主審の「引き分けっ」という声が体育館に響き渡った直後、フリムンは恐る恐る本部席に目をやった。
そう、師範の座る中央席である。
そこで、フリムンの目に飛び込んできたのは、鬼の形相でフリムンを睨み付ける師範の姿であった。
当時は、他流派は絶対に止めなきゃいけないという“空気”が今以上にあった時代である。師範の目を見た瞬間、フリムンの耳に「カチッ」という音がハッキリと聞こえた。
そう、スイッチが入った音である。
開始早々ギアを一段上げ、ガンガン大技を繰り出すフリムン。先ほどまでとは明らかに違う動きだ。
回し蹴り、後ろ回し蹴り、踵落としなど、ガス欠で上がるはずもなかった足が、相手の頭部を越える高さにまで上がったのだから驚きだ。
「絶対に勝つっ」
「絶対に倒すっ」
心の中でそう叫びながら、次々と上段蹴りを相手の顔面に集中砲火するフリムン。
もう完全に後退のネジはぶっ壊れていた。
ちなみに以前のフリムンなら、準決勝で既に心が折れていただろう。それほど、以前の彼は精神的に未熟であった。
しかし、幾多の挫折を乗り越え彼なりに進化。
目の前で起こっている現実に、我が事ながら「人体って凄っ」と驚愕していた。
これが、後に“不死鳥”と呼ばれるようになる前の、フリムン覚醒の瞬間であった。
最終延長で怒涛のラッシュを仕掛けたフリムン。お陰で全ての副審の旗はフリムンに上がり、主審の声もフリムンをコールした。
こうして何とか他流派を止めてみせたフリムンであったが、3位入賞という成績には満足していなかった。
「来年こそ絶対に優勝してやる」
試合後に控え室でぶっ倒れたフリムンは、体育館の天井を見つめながら心に誓ったのであった。
次回予告
覚醒のフリムン、田福選手の快挙!
乞うご期待!
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この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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