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【バトン連載】私の移住ストーリー vol.14|糊井祥人@石垣島


はじめに

初めまして。ノリイです。
大阪生まれ大阪育ちの、僕の移住ストーリーです!

私が石垣島に移住した理由

そんなん「なんとなく」って人が多いんかなって思います。
地元を出たかったからなんとなくリゾート地に、とか。
沖縄は海が綺麗って聞くし、離島とかも良さそうやからって。
そんな移住者の中の1人やと思ってください。


僕が初めて石垣島を訪れたのは2013年夏。
大学を留年した僕は他の大学を留年した地元の友達と「どうせなら夏休みだけリゾバ行かへん?」ってことになりました。知り合いの妹が石垣島に移住してるでって話があったので「じゃ、石垣島でいっか!」くらいの軽いノリで石垣島に行くことに。

沖縄のリゾバって聞いたら「海のツアーガイド」とか「ラグジュアリーホテルマン」とか頭に浮かぶ人が多い思いますが、根っからのカナヅチの僕は海の仕事を選ぶこともなく「飲み屋さんのボーイ」になりました。

そんなこんなでリゾートバイトの1カ月はすぐに過ぎ、大阪へ帰って大学も卒業して。その後は淡路島で働いたりワーキングホリデーでオーストラリアへ行ったり、自分のやりたいように生きたいようにしてました。
まぁそれは今も変わらないのですが(笑)


その後は大阪で中古車屋にサラリーマンとして3年ほど勤めて、退職!!
2019年はい、ここで2度目の石垣!!


サラリーマンに飽きて息抜き程度にまたなんとなく石垣島へ〜
でもね?息抜きをしに石垣島に来たのに、その時雇ってもらったお店がすごく忙しくてめっちゃくちゃ思い出深い濃い時間でした。

そして、ここが1番大事なのですが
そのお店がマリン関係でシュノーケルなどを扱うお店でした。

お!やっと海で働いたんか!って思った人、前述の通り僕は根っからのカナヅチなのです(-_-)


初日先輩スタッフに海連れて行ってもらった時、潜ろうとしても潜れずジタバタしていたら、膨らんでしまうと泳ぐのが苦手な魚の名前「コクテンフグ」の称号を頂きました。そんな僕も、今では10m以上は潜れます。

そしてこの時の石垣島の生活も3ヶ月で終わり、大阪へ帰ることに。


また大阪へ帰って忙しい日々、旅行会社でサラリーマンとして働き出した直後、世界が打撃を受けたコロナが流行しました。
当時勤めていた旅行会社が規模縮小するってことで、またなんとなく〜ISHIGAKIへ。

そして2022年6月、3回目にしてやっと完全移住をしました。
長かったな〜(目標ではなかったけど)

移住するためにクリアしなければならなかったこと


正直無かったです。
仕事は数年前、一夏働いていたマリンショップで雇ってもらうことになり、アパートもタイミング良く条件に合う物件が見つかり、スムーズな移住やったのかな?と思います。

強いて言うなら役所の手続きくらいやったかも。足りない書類を郵送で送って〜と言われたり、そのやりとりが一番大変でした。

あとは、移動手段。
大阪から送りましたわ、、、三輪の屋根付きバイク!(ピザの配達員かて)
最初の頃はそのバイクで島中走り回ってました。
しかし、やはりバイクでは不便さもあり、その後、車を購入しました。

移住してみて今思うこと

うーーーーーーん。
正直、大阪での生活と特に変わりはありません(笑)
職場と家の往復。実際そんなもんです。

そんな生活の中でも、
ふと、家から見える広くて青い海、焼けた夕焼けには癒されています。
なんやかんや言って、この島が好きなんやなと感じます。

次のバトンは、、、

最初にご紹介した、石垣に来るきっかけをくれた僕の知り合いの妹。
石垣在住10年以上の移住の先輩、ネコちゃん!
よろしくどうぞ!


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この記事を書いた人

糊井 祥人

1990年生まれ。
大阪生まれ大阪育ち。
2022年6月石垣島移住。


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