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選択肢って十二分にありますか?


英会話講師のまるです。

いつもは8割り英語のことを考えて生きています。
が、今回は英語関係のnoteでなく、主には『選択肢』をキーワードに、私の仕事の選択についての意見などを書くことにしました。

先日、自分のメールボックスにnote編集部からのおすすめの記事を見つけたのです。震災に触れた乙武さんの記事を読み、その後に目にした彼のプロフィールの書かれ方がこの私の記事のきっかけになりました。

なんだかいろんな想いがあふれ、何がきっかけだったかは忘れましたが妹とLINEでやりとりしたんです。選択肢ってあるのかな?普通に生きてる私たちにも。そのときの気持ちを思い出して書いてます。だから、タイトルがひとりでなく『フタリゴト』なんですけどね。笑。

ちなみに、私も妹も1児の母です。お互いそんなに若くもありません。世間で言う晩婚、高齢で出産した方だと思います。最近ここ数年までは2人とも普通に働いていた身ですが、現在はほぼ専業主婦(私は自称フリーランス)のような状況で子育てをしています。そんな自分たちのバックグラウンドも今の気持ちと大きく関係しています。

きっかけになった乙武さんの記事はこちらです↓

10年前の3月。あの震災が起こりました。
いろんな方が想いを巡らす時期でもあります。

乙武さんのことはもちろん知っていました。
特に特別な感情はありませんが、注目していない訳でもありませんでした。そのときふと目に留まった言葉がありました。

選択肢という言葉の奥深さ

彼のプロフィールに書かれた『選択肢』という言葉。それを目にしたとき、自分の心が反応するのが手にとるように分かりました。その原因に繋がりそうな質問を自分に投げかけていました。

自分には選択肢は十分にあると思えるか?

乙武さんのプロフィールの言葉から

自由=選択肢があるということ

なんだと改めて感じました。

選択肢が限られているために選べないというのは、
自分の希望が叶わず本当の気持ちとは違うのに選ばなければならないってことだよなぁ。

我慢の上で成立する選択ってことなのかな?と問い正したくなったんです。それは自分だけでなく他の人たちはどう思うんだろう、とも思いました。

乙武さんの書いている意味はこちらだと思うのですが、さらに言えば

選択肢があるから選べるわけだけど、
全くなかったらどうしたら良いのだろう。


我慢するか無いことを人に訴えるのだろうか?
もしくはあるモノの中で選んで我慢するのか?
あるいは妥協するのが普通なのかな?

質問たちが溢れてきて頭の中をグルグルしました。

小さな日々の選択肢と大きな選択肢

あるケーキ屋に行って食べたいモンブランがなかった。だから今日は我慢する、とか。まあこの人あんまりタイプじゃ無いけどとりあえず優しいからいっか、付き合ってても。とか

そういう小さな日々の選択はまた機会が巡ってきてタイミングが合えば、後々自分の満足のいく選択をすれば良いですよね?なぜなら現実的に選択肢がゼロで、ないわけではないからです。

もう少し大きな選択には、職業選択ってのもあるなぁと思います。人生の幸せの割合に大きく関わるだけに、食べ物を選ぶより確実に決断に勇気も伴いますよね。

私の場合、仕事の選択という観点で考えるとき、小さな子供を育てながら英会話の講師を続けるという選択肢は実際生む前はほぼゼロでした。

大手の英会話スクールでの勤務時間は通常は夜間がメインであったからです。勤務は午後から始まり、終わるのは22:00過ぎです。

乳児や幼児の子育てをしながらこの時間帯で働きたいと思わなかったのは、それが現実的に無理だと分かっていたからでもあります。もちろん私自身のやる気の本気度や預け先の有無でも変わってくるんでしょうけど…。

子どもと常に一緒にいたいと強く思うタイプでは無いけれども、事務職などに戻りフルタイムで働きながら子育てもして仕事もしてという選択肢がベストだとも思えませんでした。

そうしなくて済む状態なので、それこそ幸せなのかもしれません。でも英会話を教える仕事が好きだったし、いろんな人と関わり続けたいし、講師業が天職だと思って生きている私には、なんだか本当の意味での幸せはどんな『選択肢』があれば、納得いく物になるのだろうと今でも考えています。

ライフの中の家庭/仕事のバランス

仕事と育児のバランスを上手く保ちながら、そして心の余裕も持てる、私にとっての幸せな働き方は何だろうか?どこにその選択肢があるのか?

所謂ライフワークバランス?いや、ワークもライフだから、今はどう呼ぶんですかね?『家庭/仕事バランス』ですかね?このバランスを真面目にハーフハーフにしたいです。

家庭を持って子供を持って私のライフ全体は幸せになったのかもしれませんが、ワークに関しては本当の今での幸せな選択肢を未だに見つけきれていません。

探していますが、見つからない。見つからなければ、新たに作るしかないのかもしれません。作ることが可能であるならば…。

今まで過去にした選択に後悔はないけど、私の選択肢は仕事に関しては狭まったのだなと実感しています。私の完全なる仕事選択の自由は子どもを持つことによって奪われてしまったのかもしれない、と。心の片隅ではそう思えてきてしまう。

子供と過ごしながらも本当に幸せに働ける選択肢を見つけようとすること自体が無意味なのかな、とかワガママなのかな?と感じたりもします。

他の人にとっての選択肢は十分なのか?

いろんな立場の人が世の中にいます。
私の書いてることは私の意見。ひとりの子育てをしながら幸せに働きたいと願う女性としての米粒のような一意見です。

子供が沢山生まれないと日本の少子化は進みます。女性が幸せに働けないと働き方改革なんて言っても改革が進んでいるなんて思えません。

日本で生きる女性ひとりが幸せな選択肢があまりないと思ってしまう世の中だとしたら、さらにマイノリティの人たちはどう感じているんでしょうか?乙武さんの記事を思い出します。

自分と同じだろうと思っている人は同じではないかもしれません。同じ意見でもないかもしれない。誰にとっても十二分に選択肢がある世の中を作る事って絶対に無理でしょうか?

ある特定の誰かだけが幸せな世の中であってはならないと思います。多様性という言葉をよく耳にはするようになったけど、言葉が一人歩きしてないかなって心配になります。

私は少しの『思いやり』と『知ろうとする気持ち』が変えていくと信じたいです。選択肢を増やすことに繋がっていくことになる筈だと。

人のことを知る努力を忘れずにいたいです。英語であっても日本語であっても他の言語であっても。言葉があればコミュニケーションが出来ます。記事を読んだり意見を交換したり、他者を知る事ができます。持っている言葉の力を他人のために人を知るために使えると良いなって思います。

遠慮がちだと他者に対しても遠慮や配慮をします。
その遠慮や配慮が思いやりからくるモノなのか、分からないし関わらない方が身のためだからって思ってしているモノなのか、今一度私も考えようと思います。

例えばですが、ママと一言で言っても子どもが何人いるのかでその状況やママの想いなども変わってくるし、私は育ててるから分かってるって思い込みが1番恐ろしかったりします。だって本当は知らないのにただの知ったかぶりになりますもんね?汗

きちんと知ろうとしたい。
それが誰かのためになるのであればなおさら。

本当に長々と書いてしまいました。

正直公開しようか迷うほど支離滅裂かもしれません。それでも、『選択肢を増やす』『みんな誰もが自由になれる』世の中になると良いなぁと本気で思います。ひとりごとがフタリゴト、みんなで気軽に話し合えるコトになりますように…。



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