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専門家に聞くという病、それとコロナ後の2021年国家予算、円高と個人的資産防衛

自分が専門家として頼られる場合も、誰かを専門家として頼る場合も「専門家」をいうことばを使うときには必ずなげやり感というか、他力本願な感じが伴う。はっきり言ってあまり好きじゃない言葉だ。「専門家をご紹介します」というよりも「なので私にはわかりません」というほうの意味を感じ取ってしまうのだ。

役割としては、弁護士や会計士が押すハンコ的なものとなるのだろう。弁護士や会計士のハンコは確かに法的な意味があるが、安易に使われる「専門家」に求められるものも似たようなものだ。誰かが作ったデータやレポートに対して「これで間違いありません」という権威付けを行うために、専門家的ポジションが用意されていて、そこに間違ったことでもあろうもんなら「責任をなすりつけてやる」という含意がある。

企業文化によっては、どんな小さな社内の報告でも、顧客からのどんなフランクな問い合わせでもこういった「専門部署の確認」を求める場合がある。私のいる金融業界はまあだいたいそうだ。第三者の確認を得る作業は実際のデータを集めてレポートを作る時間よりもはるかに時間がかかるし、何も修正が入らないと専門家側としても不安なので、何かやらないといけない。壮大な時間の無駄をすることになる。それによりビジネスのチャンスを逸することだってあるだろう。もしかしたら、ビジネスのチャンスを逃したことに気づけるケースのほうが少ないのかもしれない。末端の営業担当から始まった問い合わせが、商品本部に入ってきて、リーガル、コンプラ、リスク管理の確認を取って末端の営業担当に「はいそれでまちがいありません」というのに1週間、みたいなことになる。

先日読んだ「失敗の科学」は考えさせられるところが非常に多くて、読み終わってもこれは結局、失敗を絶対に許さない文化故のことなんだよなぁと考えてしまう。

企業文化とはなんぞや、ということも考えないといけない。ルールや理念といったことは明文化されているソレだが、「企業文化」というのはおそらく明文化されていないのにも関わらず、もっとダイレクトに社員の意思決定の礎になっている概念なんだろう。アメリカの連ドラで出てくる「刑務所内で誰が一番偉いか」みたいなものだ。これが企業レベル、子会社レベル、事業部レベル、支店レベル、チームレベルですべて存在していて、意思決定を難しくしている。企業を変えるということは、企業文化を変えることであり、それは言語化されていないために把握することすら難しいのだ。

私が今いる組織について感じるのは、
・誰もそれをいいとは思っていないがコンプラが一番強い
・経営陣はそれを変えようと試行錯誤している
・コンプラ系の人間の抵抗(人員を減らされるかもしれないわけだ)

企業にしろ政治にしろ全体最適を計った結果、一方でクビになったり倒産したりといった人たちも出てくるわけだ。でもやっぱり全員ハッピーというわけにはいかない。誰かの首を切れという話になれば、情も入るし嘘も入る。子供が生まれたばかりの部下の首を切れるかみたいな判断をするわけだ。子供がいるかどうかと切るべき人材かどうかは別の話だが、おそらく判断には多分に影響する。それで泣く泣く独身の部下を切ろうとしたら、結婚式に招待された。中間管理職はターゲットを達成することを求められるがターゲットの是非を問う権利はなかったりする。金融業界のデカい会社はどこだってそうだとおもうが、どこかから降りてきた神の声(目標という)の是非を問うことなどしないのではないか。でもそれでいいのかなと思うことはある。ちょうど今みたいな年末の時期に。

末端とトップの意識のズレは意思決定の階層が多くなればなるほどデカくなるだろう。するとやっぱり組織階層は少ないほうがいいのか?一人の人間が管理できる人数にはおそらく限りがあるから、健全な意思決定ができる組織の大きさというのはきっと妥当な線引きがあるはずだ。組織がでかすぎるのが問題なんじゃないのか。

ところでシンガポールに住んでいたころ、なんでこの国はこんなにうまく回っているんだろうといつも思っていた。リークアンユーの圧倒的な有能さは疑いようのないところなんだけど、人口500万人程度の23区と同じくらいの大きさの都市で一つの国なんだから調整すべき利害関係の数がそもそも圧倒的に少ない。重要な事実だと思う。この規模であればきっと低所得層や社会的弱者に対して、それなりの保証を行ったとしても大した数にはならないのではないか。それに3割くらい外国人がなわけで、比較的給与の高い労働者は半分くらい外国人なんだろう。働き手が外から来る限り、少子高齢化もコントロールできるわけだ。日本や米国みたいな大国が少子高齢化した場合、もう増税するしかないいうえに、それでも焼け石に水になる。

日本の税率が高いとか、経済成長をとか、金融センターにという掛け声はあるが、おそらくそれを実現する方法があるとしたら、東京23区を独立させるくらいの措置が必要になると思うよ。東京に多い年収一千万程度の中の上サラリーマン階級の増税は活力を奪うよほんとに。がんばっても年収が増えないというか、年収が増えたはずなのになんだか年々貧乏になっていく気がするのだ。家は高くて買えないし、教育費にいくらかけるべきかは未知数。生活を維持するために共働きだから時間が全然ない。一番頑張っているところから取れるだけ取る。でもこの層が一番お金を使うんですよ。ここにお金を使わせないと消費が伸びませんよ。税金の使い道の話で一番すべきなのは社会保障と国債利払いでしょ。

そこで現れた現代貨幣理論MMT。国債を発行しまくれば大丈夫。今インフレしてないじゃん。これは正しいかどうかじゃなくて、支持することが利害関係に直結するので、私は乗っかりますよ。増税する代わりに、国債をじゃんじゃん発行してくださいよ。国の会計なんて知らないからさ。インフレ対策には外貨と不動産買ってるから個人的にはヘッジできてる。

今ちょうど2021年の予算案できてきているみたいだけど、総額106.6兆円。社会保障費が36兆、地方交付金が16兆、国債費が24兆くらい。これで7割だからね。もうね、国家予算ってここだけ見とけばいいと思うのよ、一般の納税者としては。でもここだけは全員しっかり見張っておくべきだと思うの。政治家の経費がどうとか、これはマジでどうでもいい。1億使い込んだところで、誤差なんで。もちろんそんなダメですよ、でもそういう話してないじゃん。社会保障費を1割減らせたら3.6兆円ですよ。(起こりえないとおもうけどね)

でこれとは別に今年は財政投融資が、40.9兆円。一般会計とは別にね。コロナで弱った(死にかけとゾンビを含む)中小企業ととかにじゃぶじゃぶお金を貸しまくる25兆円が2021年の特殊要因。ちなみに2020年の財政投融資ははすでにコロナ対策だけで2次3次補正とか弾力分とかいろいろつかって52兆円投じております。足りるのかな?

これを受けまして、日銀の総資産が大膨張しております。12月10日時点で709兆円。2019年の12月10日時点では581兆円なので、120兆円以上増えているんですね。ただし、ここで「借金ばっかふやして消しからん」とか言ってたらその辺のワンカッパー及び段ボーラーこと街の賢者たちの会話と変わらないので、ちゃんと諸外国と比べてみましょうよという話で。FRBとECBも当然同じ状況なわけです。バンバン資産を増やして(=お金を発行して)いてそのスピードが日銀の比じゃないので相対的にはなんと日銀のほうがここ一年で見たら控えめなわけですよ。もちろんGDP比でみるともう日本は行くとこまで行ってしまっている様子なので控えめなんだとおもいますが。その結果この怒涛の円高ですね。中央銀行の資産規模とその増加スピードでみると円が高くなるのはある程度整合性が取れている話です。収束具合が2021年どうなるのかわからないけど、米国ひどい状況ですねぇ。このままいくとFRBの資産膨張止まらないんじゃないですか?すると、もっと円高行く気がしますねぇ。しばらくドルを買うのはやめておこうかなぁ。と今日の結論は「しばらく円キャッシュ推奨」というところです。


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