見出し画像

「ケツメド草」  痔の入院手術日記

 徒然なるままに病室暮らし、ケツメドの神経の痛みに向いて、心に移りゆく由無し事を、そこはかとなく書き綴れば、あやしうこそ物狂る欲しけれ。 

「危」 

 数年ほど前から深酒後には出血することがママあり、こりゃ、いよいよだな、とは思っていたのだが、痛みに苛まれることも然程なかったもので切迫感もなくグズグズと放置してきた。

 実際問題、いざ手術&入院となると酒も飲めずタバコも吸えず(女?もご法度)、坊さんみたいな精進生活を強いられ、更には完治し日常生活に戻る迄には最低でも1ヶ月を要すると言うじゃないか。その間はゴルフには行けないし、進行中の仕事でもご迷惑をお掛けするしと、様々な理由をつけては、今日までずるずると来てしまっていた。 

 本音を言うと、長らく俗物の残滓で淀んだ水に慣れ親しんだドブ魚が、突然、清水の生け簀に放り込まれたらショック死するのではないかとの怯え警戒と、オッサンといえど五分の乙女心、人様に秘部を見せることに対する羞恥心が理由だったのやもしれない。

 そうこうしているうちに、ご存知コロナウイルスの大流行。御多分にもれず、週に何度か入っていた会食は皆無となり、そもそも仕事スタイルもリモートワークが当たり前となってきた。8月に入ると市中の医療機関においても、流行当初のバタバタ感が落ち着いてきた頃合いと思われたので、この際、このビッグウエーブ(?)に乗り遅れずに、一気に治療してしまおうと意を固めた。

 まずは病院選びだが「症例数の多い病院を選んでおけば、ほぼ間違いない」と亡父が言っていたのを思い出し、早速ネットで検索したところ、以前友人が手術したという病院の名前がすぐヒットした。この病院は自宅からのアクセスも良く、症例数も日本一とのこと。よし!ココにお世話になろうと決めたものの、どうやらこの病院は紹介状が原則らしい。まぁ、行けば何とかなるだろうと突撃してみると、紹介状がない場合は8,000円程度の診察料が余計にかかってしまうののですが、どうします?との旨。

 いや、8,000円をケチってまた誰かにケツメド見せ歩くのも心苦しいので、すぐさま診察してもらうことに。

 肛門科診察室には専門医の名前が書かれた表札がズラッと掲げられ、待合室のベンチシートにはケツを浮かし気味に座る老若男女がひしめいていた。流石日本一の症例数を誇る病院だ。ほどなく名前が呼ばれ診察室に入ると、30代半ばと思われる男性医師が登場。パンツを下ろし診察台で尻を突き出すような姿勢をとるように指示され、息を殺しその瞬間を待つ。 

「はい、楽にしてください〜」と言うや否や、彼は俺のケツアナに冷やりとした器具を打ち込む。
 ムヒョと思わず変な吐息が出てしまったが、無遠慮にグリグリ俺の内臓をかき回したと思うと、ものの10秒ほどで777のフィーバータイムは終了。

 「ん〜、立派な内痔核ですねぇ。まぁ皆さん最初は軟膏で治療したいとおっしゃるのですがねぇ、、、どうします?」と、奥歯に物のが挟まったような物言い。

 どういう意味ですか?先生がベストだと思う治療方針でいいでっせ、必要なら手術する気で臨んでいますと伝えると「あ、それなら話早いですね。来週はもう手術で埋まってるので再来週ならどうです?」とトントン拍子に入院スケジュールが決められた。

 かくしてオリンピック延期で失われた2020夏TOKYO。
俺の「*」の一大イベントの幕が開くこととなる。

「床」


 この病院はかなり病床数の多い総合病院である。今のご時世、院内感染なぞ発生したら、それこそ一大事と入院予定患者には事前にPCR検査が義務付けられていた。この検査は無料で受けられるが、その為だけに平日日中に通院するのは少し面倒であったものの、検査自体は鼻奥に綿棒を突っ込まれるだけで特に苦しいこともない。ただ検査待合室の隣のオッサンがゴホゴホと酷く咳き込んでいた恐ろしささえなければだが。 

 果たしてあのオッサンは大丈夫だったのだろうか?幸い俺は陰性とのことで、いよいよ明日から入院だ。これから続くであろう、まさに字句の通りの味気ない病院食生活に備え、いざ食い溜めん!と近所の寿司居酒屋に足を運んだ。鱈腹、寿司を詰め込むべく勇んで臨んだのだが、こんな日に限っていつも大将が休みのようだ。板場には「とてつも無く握りが下手くそ」な板さんしか立っていなかったので、一貫も食わずツマミとレモンサワーだけでお茶を濁し、早々に引き上げ、無念さを押し殺して就寝する。 
 (親の仇かというぐらいシャリを堅く握り、それこそ餅を食わされてるようなのだ。)

 一夜明け入院当日。

 入院手続きは昼過ぎの時刻が指定されており、昼食は自由に食べて良いと言うことだった。前夜の憂さ払しに、さて何をや喰らってやろうと、アレコレと思いを巡らすも、午前中の所用が押してしまい、最後の食事チャンスを逸してしまう。結局コンビニで惣菜パンを買い込み、病院近くの駐車場裏で、最後の一服を指が火傷しそうなほど深くキメながら半泣きで齧り付き、そそくさと入院する羽目に。これほど最低な心持ちでの入院開始となる予定ではなかったのに。
 
 入院時に持参を求められる物リストを事前に渡されるのだが、以下、院内で調達できないものや、それ以外で役立ったものなどを一部記載しておきます。

①入院中に仕事をする必要がある場合はノートPCやiPadなど。  
②院内は無線LAN環境が禁止されており、個室でも有線LANのみなので、有線LANアダプターと長めのLANケーブル。
③出血で下着を汚すので、そのまま捨てて良い「クタビレた」パンツを沢山。  
④寝衣やタオルは日額500円程度のレンタルが便利。(お洒落は無意味) 
⑤こちらの病院飯は院内調理で暖かいものが提供され、大変ありがたかったが、いかんせん粥など薄味な調理なので、醤油とふりかけは必須。
⑥この病院は昭和感ある古い病棟に狭めな6人部屋であった。生活音に神経質気味な俺には、SONYのノイズキャンセリングヘッドフォンは神アイテム。隣床の放屁や、夜のうめき声、ナースコールや深夜の救急車攻撃に対して鉄壁の防御力を発揮した
⑦事前に携帯パケットプランを容量の大きいプランに変更しておくと安心。 
⑧観たいBSやCSがあるなら、自宅にナスネを設定しiPadやノートPCで視聴するのが良い。 
⑨壁際のコンセントに各種充電器を挿すとして、そこから枕元まで届く3m程度の充電ケーブルや電源タップがあると便利。 
⑩コロナの為、見舞いも外出も一切禁止されており、大半の時間を病床で過ごすことになるので、ベッド上で体勢を楽に保持できるクッションがあると楽。

「殿」


 入院日は手術前日に設定されている。事前に抗生剤や下剤の服薬の必要があるからだ。そして前日の最も大切な事前準備は術野の剃毛だ。俺は迂闊にも、この作業の存在をすっかり失念していた。そうとわかっていたのなら、朝風呂で、もっと丁寧にシワの隙間まで洗い、自分でキレイに剃り上げ、なんなら局所にアロマオイルでも塗り込んで臨んでいただろう。

 不幸にもその担当となったのは、テレ東の新人アナウンサーによく似た小柄な女の子であった。彼女はプロフェッショナルに(慣れている感を出して)振る舞おうと努めていたが、傍目にはどう見てもテンパっていた。その実、剃毛作業というのは超至近距離で該当箇所を目視しつつ、オッサンのケツ肉を掻き分け、繰り返し繰り返し、丁寧に電気剃刀を当ててゆく作業なのである。

「あら、全然キレイですねぇ」
 俺の不安を和らげる意図があったのか、彼女は小さく呟いた。
 
 瞬間、何か被虐的な…、いやちょっと違うわ。これはアレだ、アリストテレスのいう不浄を払う魂の浄化、カタルシスと呼ばれている作用なのではないか。彼女に対する、申し訳ない、気の毒だと思う鬱々とした感情がこの拍子に解放され、喜びに似た快楽の煌きをはじめて覗き見た気がした。もっとこの新しい快感を確かめたいと思った。
 しかしその端緒を掴みとり確認する間はなかった。
 彼女はその拷問苦行を完了し、そそくさと去っていった。
 
 その後、入院期間中には毎日何度となく多数の女医、看護婦、看護師さんに患部の様子を見せることになるのだが、同じ感情の嵐は二度と訪れることはなかった。
 (剃毛って新人オペ看に割り振られる仕事だったりするのかね?)
 
 痔の手術というのは、その内容がちょっと恐ろしい。肛門という部位は排泄をコントロールするための絞り機能がある括約筋が巡っているが、その周囲の静脈が鬱血し、コブ状になってしまった箇所を切除する手術だ。一般的に手術と言えば①メスで切って②患部を除いたり繋いだり弄くり回し③その後、開腹した箇所を糸で縫合して終了という流れだと思う。一方、痔の手術の場合は創口を縫い込んでしまうと、術後に括約筋の可動域が妨げられてしまい、後々排便に支障を生じるリスクがあるという。
 そこでナント創口をそのまま放置し、塞がるのを待つのが標準的な手法となっているとのことだ。それ故、創口が開いて出血をしないよう、比較的長めの入院期間に渡ってベッド上での安静を強いられ、また術後の痛みを耐える必要があるのだ。(私の場合、患部が直腸上部の内臓側に大きくて、その部分は縫合されていることを後で知った。)

 手術は腰椎麻酔で下半身だけを麻痺させられるのだが、術中の当人の意識は全く持ってクリアなままである。麻酔の効果は圧倒的で、恐らくそのまま足を断ち切られても気づかないであろう。術位はうつ伏せで尻だけを突き出すような姿勢となり、左右の尻肉を広げるように、がっつりサージカルテープで固定されたようだ。記念にその姿を携帯で撮って欲しかったのだが、言い出す勇気がなかったのが悔やまれる。最もそんな写真を見せる相手も機会もなさそうだが。

 この病院では1日に何人も手術を受けるようで、アコーディオンカーテンの横の部屋でも他の医師が手術しているようだ。テキパキと流れ作業で進んでいく。誰の趣味かわからんが、ゆったりした協奏曲のBGMの中、執刀医とその先輩医師の会話が聞こえてくる。

「ここまで切りますかねぇ?どう思います?」

「いやぁ、以前ちょっと攻めすぎて経過悪かったケースあるんだよよねぇ、ほら、あの人…。」

「ああ、あの人、ちょっとゴニョゴニョでしたねぇ…。」

 いや、聞えてるってば。

 この間おそらく30分程度だろうか。ほんと拍子抜けするぐらい、あっという間に手術は終了する。まだ下半身の感覚が一切無いので当然自力で病室には戻れないため、多くの看護師の手を借りてストレッチャーに載せられ、ガラガラと病室に戻される。
 最中、ドナドナの歌を口ずさみたくなったが、生還したタイミングで歌うとアホな子だと思われるのでやめておいた。今後移植ドナーなんかで、このようなシーンに遭遇した際は、必ず歌ってやろう意味不明な使命感を刻んだ。(おそらく先達の多くも歌っていると思う。)
 
 腰椎麻酔は麻酔が切れると頭痛を訴える人が多いらしいが、幸い私は問題がなく、下半身の感覚が全くないと言う、半金縛り的な奇妙な状況を面白がる余裕があった。ここまでは。

その後、最初の試練が訪れる。


「ケツ」
 

 男の前立腺というのは神の設計ミスである。そのミス故に大抵の男はやがて排尿に支障をきたすようになるのだと、何かの小説で読んだ気がするが、どの小説だったのか思い出せない。自身、今まで排尿に難儀するという感覚を覚えたことは無く、いつもスッキリさっぱり切れ味良く、いばりを放出してきた。頻尿や残尿や尿もれのCMを見ても、一体どういう症状なんだろうと。
 
 体内に残る麻酔を速やかに排出するために、術後数時間以内に尿瓶に排尿することを求められるのだが、これが本当に出ない。もし出ないようならステント(尿道に管を挿入し膀胱から垂れ流しの状態にする)で無理やり排出させることになるから、なんとか頑張ってくれと。そうプレッシャーを与えてくれるなよ、更に緊張し一層出る気配がない。
 待て待て。そういえば、まだ愚息がどこにいるのかさえわからない。下半身の感覚が全く戻ってきてないのだ。そんな状態では尿意を感じるどころかイキむなんて到底無理ゲーだろ。とりあえず手元のペットボトルを3本ほどガブ飲みして、尿意に意識を集中させるも、待てど暮らせど息子は帰ってこない。

 15時までに出ないとステントですねぇと非情なる最終通告を受け、壁掛け時計と睨めっこが始まる。気は焦るがやはり出ない。もう30分も残されていないではないか。このままでは尿道に挿管するという想像するだけでも痛々しい施術を受けるハメになる。何としても、そのような事態だけは避けなければ。こんなに難儀するなら、麻酔が効いているうちに挿管してくれれば良かったのに。

 ガチで追い込まれ切羽詰まると妙案が浮かぶものだ。そうだ尿瓶にお茶を入れておけばやり過ごせるぞ!
 サイドテーブルに目を遣るが、つい先ほど一気に緑茶を飲み干してしまっており、手元に残っているのはカルピスとアセロラのペットボトルだけだ。流石に白色や赤だと他の病気を疑われ、却って大ごとになりそうだ。この案は却下。実行可能な次善策はないものか。

「ベッド上で横になってるから、重力は背面方向にかかり尿が降りてこないのではないか?」

「そもそも布団の中で瓶への排尿という非日常的シチュエーションによって生じる背徳感が尿意を妨げているのではないか?」

 危険なので今日は決してベッドから立ち上がるなとキツく言われいたが、この際そんな言いつけなんて守ってられるか。看護師の目を盗んでヨロヨロと便所に向かい、惨めな気持ちを奮い立たせ、愚息をつまみ、宥め、イキみ、格闘すること数十分。

 チョ…ロッ…テレレ…。ほんの数ccだが待望の小水を便座の「横」に溢すことに成功した。

「やったぜ!出ました!!!」「いい仕事しました!!」「そう俺は、諦めの悪い男」などと訳のわからん高揚感に包まれ、すぐにナースコールで看護師を呼びつけ、こぼれた小水を確認するようにお願いする。

「あら、頑張りましたねぇ…」と看護師は微笑みながら(苦笑いだったかも)、床にこぼした小便を拭き取ってくれる。小便撒き散らしたことを誇らしげに語るオッサンの図。なんなんだ、このカオスな状況は。
 手術当日の夜は、愚息の帰宅に一安心しつつホトホト疲れていたようで、麻酔の切れはじめと同時にジワジワと迫り来る肛門周囲の違和感に怯えながら、イブプロフェンの服薬とともに早々と寝落ちすることとなった。

 辛くも前衛一騎打ちを制したものの、翌朝からは背後からの集中波状攻撃に防戦一方となるのである。


「雲固」
 

 ”昔からあなたは痛みに弱くて、いつも大袈裟に苦痛を訴え弱音を吐くのよ。そのくせ本当に辛い時には、無口になってジッと固まってるからタチが悪いの。”(母談)

 入院生活の朝は早い。早朝6時前に看護婦が血圧と体温を測りに病室を訪れ、目覚めることになる。6時過ぎにはガチャガチャと廊下に音が鳴り響き朝食が用意される。患部に圧力がかからぬよう細心の注意を払いながら、のそりとベッド上で起き上がる。この時間帯は前夜の鎮痛剤が完全に切れ、最も痛みを感じる時間帯なのだ。

 痛みの表現というのはなかなか難しい。火鉢で熱した鉄棒をねじ込まれる?なるほど、確かに悪くない表現だ。
 幸いにも俺はそんな奇特な経験に遭遇したことはないので、経験から再解釈するならば、砂利混じりの校庭で短パン全力疾走からのスライディング。盛大に擦り剥いた膝小僧のカサブタがまだ半乾きの状態で張りついたガーゼを一息に剥がし、オキシドールをぶっかけた時の熱さを伴う痛みが肛門周辺にある感だ。(かえって分かりにくい説)
 
 人間を「物食う管(クダ)である」と言ったのは辺見庸だったかな。
 あなたが恋焦がれる可愛い顔したあの娘も、超絶明晰な頭脳を持つクールな秀才も、世界を意のままにする絶大な権力を持つ偉人も、スモーキーマウンテンでゴミを漁るストリートチルドレンも、説教地味て気高く崇高な道徳と博愛を説く人格者も、みーんな、みーーんな、すべからく口から食物を取り込んでは、盛大にケツから糞を排出する一本の管なのだと。
 
 これは蓋し至言だ。手術翌日からの向き合う最大の生活課題は排便なのである。
 
 先の説明の通り、この手術は創口が開放したまま放置されているのだが、入れたものは出さねばならぬのがモノの理り。看護婦の誰しもが口を揃えて、創口が裂け開く痛みに堪えつつ、且つ、一気に傷口が開き大量出血すると再手術となるので、絶対にイキまず短時間に排便せよと無理難題をおっしゃる。そんなオーダーは自家撞着というものだ、ブレーキとアクセルを同時に踏み込めばエンジンが壊れるか、ミッションが逝っちまう。
 
 昨日まで無意識だった排便行為が一大作業へと変わる。この作業が心底辛い。何でもかんでも、ウンコだチンコだのと厨二病的なフロイトさんの言葉を借りるなら、昨日男根期、今日肛門期、逆行しての排泄訓練やり直しというところだろう。
 
 俺は便意を我慢してでも、鎮痛剤を飲み、効き目が最大になった頃合いを見計らってトイレに篭るというルーティンを採用することにした。だが、いくら鎮痛剤が効いているといっても、トイレでは脂汗が流れるほどの痛みを耐えることになる。本来、一日に3度までと決められている鎮痛剤を目を盗んではこっそり大目に服用し、看護婦に残弾不足を叱られる。少しでもこの苦痛が和らぐのなら屁のカッパと、実際、酸化マグネシウム(下剤)の屁を放りながら格闘する。
 
 日頃の生活で全く意識していないが、無意識に括約筋に力を入れているシーンが色々とあることに気付かされる。咳をする時、靴下を履こうとした時、自販機のドリンクを取り出す時、テレビのリモコンに手を伸ばす時、シャワーの水が想定外に冷たかった時、その時々に激痛が走るのだ。少しでもこの苦痛を和らげるには、下痢を引き起こさない程度に下剤を適切に服用し、便の硬さのコントロールが大切だとのこと。
 
 来る日も来る日も、

「おはようございます。排便はできました?」
「こんにちは、今日の便の硬さはどうでしたか?」
「おやすみなさい。雲固の色はどうでしたか?」
    が唯一の人との会話。
 
 これほどまで俺の雲固が人気を博す日々は、もう二度と訪れまい。彼女たちにとっては、俺はただのウンコ製造機に過ぎないのであろう。
 
 術後4日目ぐらいになると、平時の疼痛は幾分収まってくるものの、依然としてトイレは恐怖であり苦痛である。この苦しみから逃れるために絶食してやろうかと短絡してみたりするが、生憎食欲は旺盛である。何の変化もない病室においては食事だけが唯一の楽しみであり、さらには日頃、酒を飲むことによって抑えられていた食欲さえも爆発してしまう。後先考えず院内のコンビニで買い込んだ食料を普段以上に食べては、数時間後トイレで自己嫌悪に陥るまでがワンセット。
 酒といえば、ここ20年ほど、ほぼ毎日何かしらのアルコールを入れる生活を続けてきたが、意外にも酒への執着はそれほど感じていない。もちろん寝る前に、少しひっかけられれば素敵なのにとは思うものの、まぁ実際に飲まなくてもQOLは然程、損なわれないようだ。
 
 寝ても醒めても思いを馳せるは、もっぱら煙草である。かつて父は煙草が吸えなくなるからと入院治療を拒否し、臨終直前まともに歩けなくなってさえも病室を抜け出していた。入院するぐらいならモルヒネで寝かせて欲しいと。
 当時は、慣れ親しんだ自宅で静かにその時を迎えたいが為の方便なのだろうと、少し感傷的に考えていたが、どうやら思い違いだったようだ。今ならその心持ちがよくわかる。仮に幾ばくか寿命が延びたとしても、存分に肺の奥深く煙を吸い込み、煙をたゆらす時間の方が貴重であり幸福であったのだ。
 刑事が殉職する今際の際に喫煙シーンが描かれるのは「所詮、人生の意味なんて紫煙の狭間に浮かんで消える程度のものよ」なんてメタファーなんかでは決してない。

 喫煙は今その瞬間の現世快楽を追求し、愚行権を行使するとの高らかなる宣言なのである。
 
「今日はいい天気ですね。このまま順調にいくと一両日中に退院を迎えられるそうですよ。」いつの間に入室したのか背後から看護婦の声。
 
 一体このケツの痛みのどこが順調だっつうのだ。心のうちに悪罵を吐き、副都心のビル群の後ろに広がる、すっかり秋めいた雲の固まりを眺める。そうしてラーメン後の一服へ渇望を紛らせ、日がな一日過ごすのである。


「汝、その肛門を慈しみ愛せ、そして讃え歌えよ」
(ヘモロイド人への手紙)


画像1


※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。またご自身の病状のご相談や治療ついては、適切な医療機関で受診し、その指示に従い周囲に迷惑をかけぬよう心がけてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?