誰かが亡くなったことを聞くのも悲しいです。自分の口から伝えるのも悲しいです。聞くのも、伝えるのも、いいタイミングなんてないです。
でも、もし、私が伝える立場なら、相手が既に知っていることを願うし、もし知らなかった時はその悲しみを共有できる人が側にいてほしいとも思います。
365日のたった1日でも、その人へ想いを馳せることができたのなら、きっと生き続けていることと同じなのだと思います。
誰にも思い出されず、忘れ去られていくのが1番悲しいことです。
そう考えると、命日はとても素敵な大切な1日だと気づきました。
それでも、やっぱり二度と会えないということはとても悲しくて、寂しいものです。
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