私が看護師になった理由

私は大学を卒業してから中小企業で15年間働いていました。
営業から総務、人事、採用、財務まで小さな会社の何でも屋として色々な仕事をしてきました。
そんな私がなぜ看護師になったのか。
2012年に夫ががんで亡くなったことがきっかけです。夫も私も30歳でした。夫の闘病期間中に私は病院、訪問看護師、緩和ケアチームなどたくさんの看護師さんに出会い、本当にお世話になりました。彼が亡くなったあとしばらくは会社員として働いていたのですが、看護師になりたい、緩和ケアに携わりたいという気持ちがムクムクと湧いてきて看護師になることを決心しました。
2018年に3年制の看護学校に入学、2021年から看護師として働いています。

私が今働いている場所

私は今、緩和ケア病棟で働いています。
基本的にがんの終末期の患者さんが多い病棟です。
がんの痛みや症状をコントロールし穏やかに過ごせることを支援する場所です。
痛みのコントロールができたらご自宅へ退院する方もいらっしゃいますが、多くの方がお看取りまですることを目的とされている場所です。

私が発信していきたいこと

・緩和ケアって何だろう?

私たちが緩和ケアに出会ったのは夫が亡くなる3ヶ月前でした。症状コントロールができて、精神的にフォローもしていただき安定した彼は穏やかな時間を過ごせたと思います。もっと早く出会いたかった。もっと早く緩和ケアに出会っていればもっと「生活の質」が上がったんじゃないか。もっとできたことがあったんじゃないか。しなくていい我慢があったんじゃないか。と私はあとから思いました。
痛みを我慢しなくていい、治療の最初から緩和ケアがともにあるべき、緩和ケアは基本的人権であると私は思っています。
緩和ケアってなんだろう。痛みのコントロールを薬ですることなの?
私の経験や緩和ケアについて考えながら発信していきたいと思っています。

・社会人から看護師になることについて!

私は36歳の時に看護学校に入りました。
同級生は高校を卒業したばかりの18歳が多かったですが、20代〜40代まで同じく社会人経験のある同級生もたくさんいました。
年齢関係なく濃い3年間を過ごし、今でも若い同級生たちに助けられています。
社会人から看護師になった時の学校選びや、授業、実習の乗り越え方など発信していきます。
看護学校はとっても大変だったけどとっても楽しかったですよ!

・大切な人が自分より先に亡くなることについて。

私は数年間立ち直れないくらい辛かったです。
今でも思い出します。痛くて痛くてずっと彼の腰をさすっていた夜を。
何を見ても何かを思い出し、泣いてばかりいたことを。
それでも辛いことだけじゃなくて、楽しかったことや嬉しかったことが思い出せて、ああ会えて良かったなと思える日が来ました。
それでも今でも思い出して涙が出ることもあります。
自分の大切な人が自分より先に亡くなることは誰にでも訪れることです。これ以上の一大事は人生にないかもしれません。以前はこの気持ちから抜け出したい、苦しさから解放されたいと思っていたような気がします。今はこの気持ちを大切にしていきたいと思っています。それだけ私にとって本当に大切な人だったと思うからです。





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