「死を思って生きる」という言葉が大嫌いだったこと

「死を思って生きる」とか
「明日しぬかもしれないと思って生きる」とか
「あなたが生きる明日は誰かが生きたかった明日」
みたいな言葉にとらわれすぎて
大っ嫌いだったことがありました。

明日死んじゃうかもしれないから
ダラダラ生きるんじゃなくて、
やりたいことをやろうよ
という意味だと思うんですけど、
がんばれない、
やる気が起こらない、
無理、辛い。

明日があると思うから、
来年も一緒に生きていられると思うから、
やりたいことがあるのであって、
明日がないなら、
一緒に生きていられないなら、
もうやりたいことなんて
思いつかないと思ってました。

私ってまあまあネガティブで
まじめで昭和でA型なんですわ笑。

でも最近、やっと意味がわかって。
死ぬってわかった時に
あれもやれば良かった、
これもやれば良かったって思うなら
今やろうよということだよなと
腑に落ちたんですよ。

言葉の意味は変わってないんですけど、
言葉を受け取る私の心持ちが
変わったんでしょうね。

だれも、悲しくて辛くて立ち直れない私に、
誰よりも明日を生きたかった人を
知っている私に、
やりたいことやれとか
彼の分まで生きろなんて
言ってなかったんですよ。

私が勝手に言われてると思いこんで、
そんなのできないと
プレッシャーに感じてただけ。

そんな時は誰だって
自分をケアすることを第一優先にして、
いつまでだって悲しんでいていいんです。

悲しくて悲しくて悲しくて
ずっと悲しかったその先に、
本当に大事だからいつまでも悲しくて、
そんな存在がいた自分がありがたくて、
悲しいこともあったけど、
嬉しかったことも
楽しかったことも
たくさんあったなと
思いいたったら、
たくさんやりたいことができた今日この頃です。

久しぶりになんでこんなことを考えたかと
言いますと...
実は大けがしてたかもしれない、
と思った出来事があったんです。

....つづく


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