見出し画像

愛情の形

今日母からLINEがきた。

仕事行ってるの?とのこと。

いってないと事実を伝えるだけで済む話。

なのに私は返信もせず、既読もせず、
非表示にしてしまった。

何不自由なく過ごしてこれた26年。

両親に感謝していないことは決してない。

夫と出会い結婚して、考えられる将来の幅も広がったことで、子供1人を育てることの大変さと偉大さも感じられるようになったと思う。

私自身の仕事はどうなるのか、
子育てと仕事は両立できるのか、
今夫と過ごす幸せな時間が減ってしまうのか、
自分の時間もお金も使えなくなるのか、
想像する未来に子供という存在が組み込まれるだけでこんなにも不安が湧き上がってくる。

もちろんいつかはと願う私もいるし、
子供がいる生活を想像してワクワクする私もいる。

けど今はそのワクワクよりも不安のほうが大きい。

そんな不安も感じられるようになったからこそ
母に対して感謝はもちろんある。

ただ育てるだけでなく、
何不自由なく育ててもらったということが
どれだけ大変なことだったか今なら想像できるから。

だけどどうしても心から好きと思えない。

実家にいた頃、私は常に緊張していた。

新卒で全国転勤の会社を選んだのも実家を早く出たかったから。

いつからか、母には自分の行いが正しいものだと説得しなければいけない気持ちがあった。

塾を休む時も、
アルバイトを辞めたときも、
新卒の会社を辞めた時も、
逆に何かを始めた時も、
何かちゃんとした理由がないといけないと思う私がいた。

言い訳をしなくてはいけないと思っていた。

しんどかったから、辛かったから、飽きたから、別のものに興味が出たから。

こんな気持ちで選んだ選択を、
後ろめたい思いを、
素直に伝えてはいけないと思っていた。

このまま伝えても、
また逃げたの?根性ない子やね。どうしようもない。お金は?甘えてたらあかんで。調子乗んな。

そういう言葉が返ってくると思ったから。
返ってきていたから。

私も私でわかっている。

堂々と伝えていい気持ちではないことくらい。

もう少し頑張ればよかったのに。

そう思いながら自分でも逃げたなと思う時もあった。

私が自分で自分の選択を恥じるものだ、後ろめたいことだと思っているからなのか。

母と会話することがいつからか怖くなった。

母が無茶苦茶にいっているとも思わない。

変なことをいっているとも思わないし、むしろ世間的には絶対正しいことをいってると思う。

言い訳をしないとと考えている時点で、自分の行動は本当に正しいのかと私自身思っていることも確か。

心配の裏返しであり、私のことを思っての母の愛情だともわかってはいる。

なのになんでだろう。

それを愛情だと受け止められない。

今日きた『仕事行ってるの?』という連絡も、
行ってないよと返信するだけで済んだのに、
仕事を未だしていないという現状を選んでいる正当な理由を考えないといけないな、
いってないっていったら『いい歳なってそんなんあかんで』と責められるのかなと思った。

不思議なことに
夫や友人には自分の思いを正当化しないとという気持ちにはならない。

今の仕事が辛くて、
この人が苦手で、
これ飽きたから辞めちゃったと、
頭でどう正しくあろうかと変換せずに
するする胸の内が言葉に表されていく。

また、夫と過ごすうちに
私は自分を偽ることが格段に減った。

私自身逃げ癖があって甘えている部分はきっと変わっていない。

自分が嫌いだ、ダメな人間だと思っていた時と変わっていないはずなのに、
なぜか私は今の私が好きだと思える。

夫は私を否定しない。
私の気持ちを否定しない。

同じ質問だとしても、母からなのか夫からなのかで全く別の意味に聞こえる。

夫はなぜ私を責めないのか。
わからないから聞いてみた。

すると夫は
俺もその気持ちわかるもん。
だって自分でわかってること他人から言われるの嫌やろ?といってくれた。

働くことを休んでいることも、
昼夜逆転している生活も、
自分が1番このままじゃダメだと思ってる。

夫は私が仕事行きたくないとか、
今日ご飯作りたくないとか、
めんどくさい、しんどいという気持ちも一旦受けてめてくれる。

そこにダメともアドバイスもしない。

いや、アドバイスをしてくれたとしてもあくまで一意見として伝えてくれているのだと感じる。

私がその通りに動こうがどうしようがその決定権をいつも私に与えてくれる。

だから私は自分で自分を奮い立たせることができる。

自分でも認めたくないような気持ちをそのまま伝えても夫は必ず受け止めてくれるから、私はその気持ちを否定せずに過ごせる。

だから自分でこんな自分は嫌だと心底納得した上で変わろうと行動ができるようになったし、逆に自分で嫌だと思っていた一面も案外このままでもいいじゃんと許せることも増えた。

母は母なりに私のことを思いこうした方がいいと、それはダメだと伝えてくれていたのはわかっている。

だけど私は私の気持ちを受け止めて欲しかったんだと夫と話していてわかった。

他人の幸せを思う方法はたくさんあると思う。
他人それぞれ違うとも思う。

母の思いやりを愛情だと受け止める余裕は私にまだない。

そんな私は未だ子供なのだろうか。

申し訳ない気持ちの正体がわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?