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労働の思想史:労働の観点から見る世界の推移

お世話になっております。まるです。
今回の記事では、中山元著「労働の思想史」を読了したので、まとめ記事を書きたいと思います。

※注意:
本記事は「労働の思想史」を読んでいない方でも本の流れが分かるように書いた結果、非常に長い記事となってしまいました。
「そこまで詳しくなくて良いので、もうすこし短い要約が欲しい」という方は、別記事の「労働の思想史(要点整理ver)」をご覧ください。

序として ー 働くという営みの分類について

  • 哲学者ハンナ・アレントは、人間の行動の全体を以下の「労働」「仕事」「活動」の三つの概念に分けて考察した。

    • 労働:人間が自分の生命を維持するために必要な苦しい営み。例として料理や掃除など。

    • 仕事:人間が自分の能力を発揮して社会のために何か残そうとする者。創造的な性格がある。例として職人による制作など。

    • 活動:人々が公的な場において自分の思想と行動の独自性を発揮しようとする者。例として政治への参加など

      • 古代ギリシャでは、労働や仕事は蔑視されていた。労働や仕事をする者は公的な場で発言する自由をそなえていなかった。

      • アリストテレスは、職人たちには自由人(=活動を行う者)にふさわしい徳が欠如していて、奴隷と同じ程度の徳しか持っていなかったと考えていた。

  • 現代では時代的な変動の結果、アレントの三つの行動の分類ではうまく整理できない部分も多くなっているが、この分類は働くことの歴史を考える上で基盤とすることができる。

  • 本書の以下の部分では、人間の行為の区別が現代においてどのように変遷してきたかを、歴史的に考察していく。

第一章 ー 原初的な人間の労働

原初的な労働とは

  • 人間の原初的な生活は家族単位で構成されている。そのような原初的な集団においては、男性が狩りをし、女性が育児と採集活動をするという「労働」を行うのが自然である。

  • 実際に現在でもアフリカの採集には、そのような労働に依拠した暮らし方をしている。

    • カラハリ砂漠に住んでいるブッシュマンたちは、核家族を軸とした集団生活をしている。

    • 男は狩猟に出る時や道具の修理に励む時以外は一日中キャンプにいて休んでいる。女の採集活動も一日のわずか数時間で済んでしまう。

    • 狩猟によってたまに多量の肉が入った時には、一日中キャンプで寝転がっていたり、おしゃべりをしては笑い転げた、歌を歌ってダンスをしたりしながら、お腹が空きかけると肉を料理して食べる。

  • 彼らは、一日にごくわずかな時間だけ労働することで、生存することができる。過剰な食物は腐るだけである。労働で獲得したものをすぐ消費してしまい、余剰を残さず、蓄えるということもしないこのようなシステムは、国家や社会の形成とは疎遠なものである。国家という制度は家族に、生計の満足を超えたものを提供することを求めるからだ。

  • 一方で、エジプトなどの古代文明は、人々の労働の成果を搾取することによって成立している。

旧石器時代の労働

  • 長く厳しい氷河期であった旧石器時代の後期は狩猟の時代だった。採集という平和な活動と比較すると、狩猟という活動は、単独で行ったのでは効率が悪く、人々が集まって協力することが重要だった。

  • この時代に発生した変化の特徴は、人々が狩猟のために個人ではなく集団として行動することを学び、その集団を率いる指導者をみいだしたことである。それまで個々の小さな集団として行動していた人間たちは、大きな集団のもとに集まるようになる。これが文明社会と国家の萌芽となるのである。

新石器時代の労働

  • 新石器時代の後、間氷期の気温が上昇して、生活条件が著しく改善されたことによって、人々は移動しなくても周囲に存在する植物や動物相を採取し捕獲するだけで十分生活できるようになった。その後、人々は定住して農耕生活を開始するようになった。

  • 農耕の開始によって、新石器の利用が始まり、二つの重要な文化的な進展がみられた。農業に適した穀物の栽培のための菜園の活用と、余剰の農産物を蓄積するセンターとしての都市の形成である。

  • この時代には品種改良によって様々な植物が野菜として栽培されるようになった。またそれとほぼ同時期に、野生動物を飼い慣らして家畜にする作業が開始された。

    • 新石器時代の初期における菜園栽培は、主として女性の仕事であり、その営みは厳しい「労働」というよりも、創意と工夫が求められ、その成果が確実に目に見えるようになる「仕事」だっただろう。

  • やがて大河の流域の豊かな土壌の地域を中心として、都市が形成されるようになる。メソポタミア、エジプト、中国などの大河の流域にほぼ同時代に成立した都市において、特徴的なことは、新たな機械や道具の発明そのものよりも、主として人力の組織の規模において顕著な革新が行われたことであった。

    • かつて村で小規模に散発的になされていた灌漑と用水の開設は、公的な組織による広い水路系に変わった。

    • さらピラミッドを建設するために使われた巨大な岩石は、大きな技術革新なしに、道具を使う人間の力の他は動物の力さえ借りていなかった。

  • このような都市の成立とともに、人間の裸の労働が搾り取られるようになった。

  • 社会組織の観点からは、この新石器時代には王権が誕生したことが注目される。

    • 穀物の生産性が向上して余剰な産物が都市に集中されると、それを保管するための巨大な倉庫が建築される。そしてこうした倉庫に保管され、配分された穀物の量を記録するために、文字が発明され、文字を操る官僚的な組織が誕生した。文字を操る特権的な人々は、農業と穀物の生産にとって重要な天文学の知識を獲得し、駆使するようになる。そして、そのような天の秘密を知る人々に、農民たちは大きな敬意を払うようになった。こうして文字を操る人々のうちから神官層が形成される。さらにこのような神官層のうちから、彼らを統御し、対外的な戦争を指揮する勇ましい武人としての存在を兼ねた王が誕生する。

  • さらにこの時代には水利権や土地の境界をめぐって他国との戦争が頻発した。戦争もまた農民たちにとっては辛い労働にほかならなかった。

  • 新石器時代の労働はこのように、農業における耕作という生存のためのほんらいの労働よりも、挑発されて国家のため、国王のため、神官たちのために働かされる労役者としての強制労働や、国内の反乱を制圧し、他国を征服するための侵略戦争における兵士としての徴兵労働という性格が強いものとなり、こうした特殊な労働が人々に重くのしかかった。

  • そしてこのような労働制度は、ローマ帝国からフランスの絶対王政にいたるまで、これからの人類の歴史における労働の過酷な歴史を貫くものとなる。これが変化してくるには、フランス革命以降の国民国家における資本主義的な労働の誕生を待たねばならない。

第二章 ー 古代の労働観

古代の社会構造

  • ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは古代の国家形成のあり方として、大きく分けて民衆の労働を搾取するライトゥルギー国家と、民主的な性格を帯びたポリスの都市国家の二つの類型を想定している。

    • ライトゥルギー国家は、メソポタミアやエジプトのように、神官王が経済的な力を蓄積し、従者団と軍事的な権力を支配するようになった国家である。さらに国民を統治する官僚的な役人身分を作り出す。そして王は統治の正当性を確保するために、宗教的な神話と祭司たちの体系を確立する。この社会構造のもとでは、一般大衆は過酷な労働を搾り取られることになるだろう。

    • ポリスの都市国家は、ライトゥルギー国家に必ずそなわっている官僚制を持たない。武装した貴族は、土地と奴隷を所有することで、都市で貴族的な生活を送るようになる。アテナイのような海沿いの平地で地代を徴収できるような立地で、他国と貿易を行なって、貨幣を獲得することができると、一定の収入を確保することができ、ポリスが成立することが多い。

古代ギリシアの行為と労働

  • アントレは人間の行為を労働と仕事と活動の三種類に分類していたが、それとは別にアリストテレスは人間の行為の営みを、大きく三種類に分類する。制作、実践、観想の三つである。

    • 制作は、人間が自然の事物に手を加えて何かを創り出すことである。この制作の営みには「労働」と「仕事」の両方が含まれる。

    • 実践は、人間が他者とのあいだで行う行為であり、道徳的な行為や思慮などの活動もここに含まれる。実践の代表が政治活動である。実践と制作の大きな違いは、制作は何かを作りだすという目的をもっているが、実践はそうした別の目的をもたず、行為そのものが目的となっていることである。

    • 観想は、必然的で永遠のものを対象とする活動である。これは神や天体について、そして人間のさまざまな活動について考察する営みである。

  • 古代ギリシアでは、制作より実践が、実践より観想が尊い活動だとされた。

  • 制作、実践、観想の三種類の行為に従事する人間像は、その後の西洋の社会では聖職者、戦士、農民という三つの階級として表現されることが多かった。この階級構造はフランス革命まで、第一身分、第二身分、第三身分として明確に維持されていたのである。

ヘブライの社会と労働

  • 古代において労働に対して否定的な厳しい視線が向けられたのは、ギリシアに限られたものではなかった。ユダヤ教からキリスト教につながる伝統、すなわち西洋の社会の土台となる宗教の伝統においても、このようなまなざしは貫かれていた。

    • 旧約聖書において、禁じられた善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバに対し、怒った神は人間に辛い労働を与えることにした。

  • 労働が罰であるという伝統的な否定的な見方は、労働のもっていた自然との一体感や、しっかりと身体を使って労働したあとの快い疲労感、人々とともに労働することの喜びのような肯定的な要素を否定してきた。

第三章 ー 中世の労働観

修道院と労働

  • 上述した制作・実践・観想の階層構造のうちでも、中世のキリスト教社会において奇妙な倒錯が発生する。キリスト教の聖職者たちのうちの最上位の観想に従事すべき人々が、同時に最下位である農民の労働に従事するようになったのである。この転倒した事態を生み出したのが、修道院という制度である。

  • 修道士たちにとって、労働するということは、上司に命じられたことに従順にしたがうという意味を備えていた。労働するということは服従の精神を示し、培うということだった。修道院での仕事はその成果を得るためではなく、何よりも服従の精神を植え付けるために行われるのである。

  • さらにこの苦しい労働の営みは、修道士に自己への固執を放棄することを教え、それによって清らかな精神を実現するための重要な手段といなされた。

    • 思想家ヨハネス・カッシアヌスは、修道士の目標は天の国に赴くことであるが、それには「心の清さ」が必要であり、修道院のすべての営みは、修道士においてこの心の清さを実現することにあると考えていた。そしてこの心の清さという必須の状態を実現するため、労働に象徴される労苦がなによりも重視されたのである。

    • この修道院での仕事が、その仕事の成果を目指してではなく、修道士に自己の放棄と服従の精神を培養するために行われるべきであることは、仕事が巧みであるためにそれを誇るような修道士は罰せられていたことからも明らかである。労働の成果の大きさよりも、過酷な労働のうちで自尊心を放棄することが重視されたのである。

  • このようにして修道士たちはみずからの魂のために労働に従事したのだった。修道院での労働はこのようにして、否定的なものとみなされていた労働にもともとそなわっていた肯定的な面を再発見するきっかけとなったのである。

新たな展開

  • このようにして修道士たちの労働を通じて労働の価値が認められるようになる上でもっとも重要な影響をもたらしたのは、十字軍を経験したのちの中世社会において著しい発展が生じたことである。この時期に、農業生産力が向上し、人口が増大し、商業と貨幣経済が発達し、都市が活力をもつようになった。従来まで自給自足経済だった西欧社会は、生産性の向上によって農産物が商品化される「農産物の間接消費」の段階に到達した。このようにして西欧社会において、十二世紀ルネサンスに象徴されるような大きな文化的な革新が可能となったのだった。

  • 中世においてキリスト教の教会は、信徒たちが従事する職業のうち、特定の職業を「卑しい職業」として分類していた(例:貪欲の罪を犯しがちな商人、両替屋、税関役人、色欲の罪を犯しがちな宿屋の主人、大道芸人、売春婦など)。しかしこれらのほとんどすべての職業も、十二世紀以降はその正当な価値を認められるようになった。その裏付けとなったのが、その職業を営む際に必要とされた労苦の大きさであり、労働の辛さであった。辛い労働を強いられる職業には、それなりの報いが与えられるべきだと感じられるようになったのである。これが「労働は報酬に値する」という考え方と、「労働に基づく職業は正当である」という考え方を生み出すことになる。これは労働そのものに価値が認められなければ不可能なことであった。

  • このような中世の社会における労働の価値評価の上昇と、修道院における労働の営みの重視によって、労働の地位は大きく向上することになった。しかし修道院での労働は、本来は意図されていない奇妙な逆説を発生させることになった。イエスの貧しい生活にならい、それを反復するために人々が集まって暮らしている修道院で、人々が魂の救済のために従事した労働が、もともとは望まれていない富を生み出す結果となったのである。労働は苦痛なものであるという性格のために、禁欲の手段として、魂を浄化する方法として実行されるのが、それが富をもたらしてしまうために、修道院の本来の使命を忘却させるにいたる。労働が辛いもの、否定的なものだからこそ、禁欲の手段として採用されたのである。しかし修道士が自分の身体を痛め続けながら禁欲を強めるほど、その禁欲のそもそもの目的を覆すような副産物として富を産むのだった。

第四章 ー 宗教改革と労働

近代の労働思想の諸側面

  • 中世において労働の意味についての考え方が変動し、苦痛な労働というものが、それが苦痛で人がやりたがらないものだという理由で、価値のあるものとして認められてきたことは、すでに確認したとおりである。しかしたんに労働が価値のあるものとして容認されるだけでは十分ではなかった。資本主義的な市民社会が確立されるためには、否定的な刻印がまだ残る労働についての考え方が根底から覆される必要があった。資本主義が開花するためには、労働そのものが肯定的なものとして積極的に評価される必要があったのである。労働そのものにたいする評価が向上するのと並行するかのように、資本主義と市民社会の時代である近代の幕が開ける。このような労働の評価の変動こそが、近代という時代が到来するために重要な条件だった。近代の幕開けとともに、主として次の三つの局面で、労働の意味が新たに考え直されるようになった。

    • 第一は宗教的な局面であり、州右京改革は労働の価値評価に重要な変動をもたらした。マルティン・ルタージャン・カルヴァンによる宗教改革は、そしてその後のプロテスタントの諸宗派の活動は、それまでのカトリックの修道院における労働の肯定的な評価とは異なる観点から、労働を聖なるものとすることに貢献したのである。

    • 第二は経済学的な局面であり、国家の富を増大させるという経済学にとって重要な課題を実現するために、アダム・スミスに始まる経済の理論はすべての商品の価値を労働に求めるようになってゆく。

    • 第三は哲学的な局面であり、人間にとって労働することそのもののもつ意味が重視されるようになっていった。トマス・ホッブスからイマヌエル・カントにいたるまでの哲学者においては、主として社会契約論の枠組みで、国家や社会の形成における労働の意味が新たに考え直されることになる。さらにゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルにおいては、労働の人間学的な意味が重視されることになる。

  •  上記のそれぞれの局面については、以下で詳しく触れていく。

宗教改革と労働

  • 近代のヨーロッパの市民社会を構築する上で重要な役割をはたしたのが宗教改革だった。ルターがきっかけとなってはじまった宗教改革は、伝統的な教会が世俗化し、富を蓄積することを目的とするかのようになっていたことを疑問とするものだった。カトリックでは魂の救済のために教会の組織が存在したのであり、教会の教義で精密な手段が定められていた。しかし宗教改革によってそれがすべて否定された。しかもプロテスタントの信徒たちは、個人の業績や知識や信念などのすべての価値を否定して、ただ神の意思に沿って生きることだけを目指して、生活するようになった。プロテスタントの信徒たちは、禁欲によって生活を合理化し、与えられた仕事を使命とみなし、ひたすら神の栄光を高めることを目指した。労働そのものに価値があるのではなく、労働することで結果として生まれる禁欲的な生活に価値が認められたのだった。これによって、聖職者を最上位とし、辛い肉体労働をする労働者を最下位とする伝統的なキリスト教社会の階層構造が崩れ始めたのである。

  • プロテスタントの信徒たちにとって、人々が修道院で暮らすような俗世を離れる宗教的な生活を送るのではなく、さまざまな世俗的な職業に従事すること、すなわち社会のうちで働くこと、労働することに、そのままで宗教的な価値が与えられたのである。労働することは、たんに生計をたてる手段であるだけでなく、世界において神の意思にしたがって生きる思考の方法であるとみなされるようになった。

  • ただしルターにおける職業の思想は、労働の貴賤は問わず、もっとも卑しい労働も高貴なものとみなされてきた労働と同じように尊いものであることを主張するものではあるが、そこにはそれまでの生活のあり方そのものを変革するのではなく、社会のうちでの人々の地位をそのまま維持することを求めるような保守的な考え方が潜んでいる。特に信徒である農民たちが社会的な変革を求めるようになると、既存の秩序の変革を望まないルターは保守的な傾向を強めていくようになる。ルターは次第に、「各人の職業と身分は神が与えたものであり、各人はそこにとどまるべきであり、各人の現世における努力は、神から与えられた生活上の枠組みから逸脱してはならない」と教えるようになったのだった。

  • ルターのこのように保守的な傾向を打破して、近代の資本主義社会にふさわしい労働感を作り出すことになったのは、フランスの宗改革者のジャン・カルヴァンとカルヴァン派の思想家たちの功績だった。

    • カルヴァンの宗教思想の基本的な教義は予定説だった。予定説において、特定の信徒が救われるかどうかはすでに神が恩寵によって選び、定めているのであり、信徒が現世でどれほど信仰深く、善行を積んだとしても、それで神の選びを変えることはできないという理論である。

  • カルヴァニズムの信仰においては、勤勉に労働に従事することが推奨された。職業労働だけが、宗教的な疑惑を追い払い、恩寵を与えられた状態にあるという<救いの確証>をもたらすことができるとされたからである。信徒たちにとってはこの救いの確証が何よりも重要なものであっただけに、信徒は労働を軸として、自分の生き方そのものを秩序立てる必要があった。自分の救いを革新していることができるためには、あるときは熱心に働き、あるときは仕事を怠るようなことがあってはならないのである。

  • この秩序立てられた生活というものは、もともとはすでに中世の修道院で確立されていたものだった。カルヴァン派の信徒たちもこのような厳しい規律を採用した。修道士でも世俗のカルヴァン派の信徒でも、合言葉は「禁欲」だった。このカルヴァン派の信徒たちによる世俗内的な禁欲は、かつて中世の修道院で行われた世俗外的な禁欲を、市民生活のうちに持ち込んだものだった。

  • ところがこの世俗内的な禁欲にも、世俗外的な修道院での禁欲と同じような逆説が発生してしまう。明確な方法に基づいて、合理的な姿勢で、神の栄光を高めるために禁欲的な労働をすること、そして消費を贅沢とみなして、それを生産のために投資すること、それによってどうしても富が蓄積されてしまうのである。信仰心が篤く、熱心に働き、節約すると、どうしても豊かになるのであり、最初の信仰心は薄れざるを得ないのである。これは中世の修道士だけでなく、プロテスタントの信徒たちも襲った運命だった。

労働の聖化

  • 上記の逆説はどうにもならない成り行きだった。やがて市民社会が成熟してくると、この勤労の背後にあった宗教心は忘れ去られていく。こうして労働は来世における救済を確保し、保証する行為ではなくなり、労働する行為そのものが、人間にとっては富をもたらす好ましい営みと見做されるようになった。労働に対する宗教的な蔑視が弱まり、労働することそのものに価値があるとみなされるようになったのだ。このようにして近代において労働が肯定的なものに、そしてやがては聖なるものになってゆくのだが、その道筋をここでは以下で二つ挙げる。

    • 一つ目の道筋として、プロテスタントの内部から、労働の肯定性を理論化することが試みられるようになった。労働が救いをもたらす手段であるだけでなく、労働し、豊かになることが神の意思に適ったものであると明確に主張する意見が登場してくる。

    • 二つ目の道筋といて、資本主義の原理に基づいた市民社会が発達してゆくにつれて、労働せず貧しい暮らしをすることが道徳的に劣ったこととみなされるようになった。労働するかどうかが、道徳的に重要な意味を持ち始めたのである。労働しない者は怠惰な者であり、神の恵みを得られないことを、その怠惰なありかたで公然と示している者なのである。

      • このことを象徴的に示したのが、十七世紀の「大いなる閉じ込め」とよばれる現象だろう。フランスの思想家ミシェル・フーコーが指摘した通り、当時のヨーロッパのほとんど全土で監禁施設が建設され、やがてそこには、土地を追われた農民、解雇されたり脱走した兵士、失業した職人、貧しい学生、病人たちが、狂者とともに監禁され、労働させられるようになる。これらのさまざまな人々は、要するに定職についていない人々、労働していない人々である。

      • 注目するのは、宗教改革が進んだ諸国だけでなく、カトリック系の諸国でも同じような施設が建設され、監禁が行われていることである。プロテスタントの諸国だけでなく、ヨーロッパの全土で、労働が倫理的な色彩のもとで眺められるようになったのである。働かない者は、神や社会に反抗する者、労働によって社会に貢献しない者、怠惰で不道徳な者、悪に染まった者と感じる感性が社会に浸透する。

労働する主体の構築

  • このようにして、宗教改革ののちのヨーロッパ社会では、労働が道徳化された。そして労働することが道徳的な主体のありかたであり、労働しないことは不道徳なあり方であるとみなされるようになった。

  • しかし資本主義の体制にとって重要なのは、人々が働くことは善であると考えて働くようになるかどうかということだけではない。それよりも、住民を一つの集合体とみなして、その全体の労働の質を高めること、そのようにして国家の富を増やすことほうがさらに重要なこととなる。そのために不可欠なのは、それまでの労働者と異なる、資本主義の社会にふさわしい労働者という主体を構築することである。

  • この労働する主体の構築は、労働者の身体の側面と精神の側面の二つの側面で考えることができる。この二つの側面から、近代における労働する主体の構築について考えてみよう。

  • 資本主義社会では、従来の農業中心の労働とは異なり、分業体制のもとで、時間を守り、規則正しく労働することが重視される。同じ時間に一斉に仕事を始め、互いに協力し合って作業を進めることが必要となったために、労働者の身体をそのような作業にふさわしいものに改造する必要があった。そのためには、労働者に規律・訓練を与えることが不可欠だった。この身体に対する規律・訓練の技術は、主に三つの特徴を持つ技術で展開された。

    • この技術の第一の特徴は、それが閉ざされた空間で、閉ざされた時間のうちに行われたことである。精神異常者と貧民たちを一緒に監禁した「大いなる閉じ込め」を手始めとして、労働者は向上などの特定の空間のうちに集められ、閉じ込められた。工場の門衛は、労働の開始の時間になると工場の門を閉じて、それ以降は工場に入ることを許さず、また労働終了の時間になるまで工場から出ることを許さない。作業場所と作業時間の両方が、この閉じた空間のうちで管理される。この方式の目的は、労働力を集中させて、その力を最大限に活用しながら、工場での盗難や破壊行為を防ぎ、原材料と機械備品を保全して労働力を制御することだった。

    • 第二の特徴は、この閉じた空間の内部で、労働者の位置を決定し、そこに固定することで、労働者の労働の質を監視し、評価することだった。許可のない立ち入りを防ぎ、無用な労働者の移動やおしゃべりを防ぐためにも、労働者の作業場所を画定しておくこと、それを見通しの良いものとすることが必要である。このようにして労働者が怠らずに働いていることがすぐに確認でき、その作業の質の高さを確認し、それを評価することができるようになる。仕事場の中央道路を端から端まで歩けば、全般的にも個別的にも十分な監視を行うことができる。すなわち職工の出勤と勤勉さ、仕事の質を確認すること、職工を相互に比較して熟練と迅速さに応じて分類すること、製造過程の連続的な段階をたどることが可能になる。

    • 第三の特徴は、作業の時間も規制されることである。時間は一定の規則にしたがって、量的に正確に分割し、碁盤目状に配分しなければならない。労働の開始時間、休憩時間、昼食時間、就業時間を正確に定めて、それに反することがないようにしなければならない。また定められた時間の枠組みのあいだは、定められた仕事だけに集中させ、無駄話や飲酒を禁止することで、労働時間を質的にも純粋なものとしなければならない。さらに労働時間を細分して、どんな些細な瞬間の活用も強化しなければならない。たとえばベルトコンベアの作業では、手が空くことのないように、労働プロセスと労働時間を監視し、隙間の時間には別の作業をさせることが望ましい。

    • これらすべての規律・訓練が目指すのは、設計に基づいて自動的に作動する機械と同じように、命令と指示に基づいて従順に作業する身体をもつ労働者を作りだすことである。これらの全ての要素は、現代にいたるまで工場労働の基本的なありかたを規定するものとなったのである。

  • 労働者はこのように身体の次元から従順な機械となるように訓練されるが、労働者は機械ではなく、心をもつ人間であるために、精神の側面からも、資本主義的な労働者にふささしい存在へと作り変えられるべきであると考えられた。そのために活用されたので、「階層秩序的な監視」「規格化を行う制裁」「試験」という手段である。

    • 階層秩序的な監視では、作業上をそれぞれの階層別に秩序正しく配置することが望ましかった。一直線のラインをいくつも並列に配置することで、作業の進展、個々の労働者の能力、トラブルの発生源などを、すぐに確認できるだろう。

    • 規格化を行う制裁では、労働者にさまざまな規則を教え込み、それを遵守させる。こうした規則は、労働の質を気につかし、向上させるために必要なものが多いが、それ以外にも労働者に勤労と命令への服従の態度を構築させることを目指したものも多い。こうした規則に違反した場合には、厳しい罰が科せられる。こうした罰は、労働者の「規格化」にも役立つ。

    • 試験では、労働者をその能力に従ってランク分けし、そのランクに認定するための試験を行う。試験とは、規格化の試験であり、資格付与と分類と処罰を可能にする監視である。

第五章 ー 経済学の誕生

重商主義と重農主義の労働論

  • このようにして労働が聖化され、規律化され、労働する身体が構築されるとともに、資本主義は産業革命と相まって、近代の市民社会を支える経済的な原理となり、生活様式となる。「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスは、この市民社会の論理を社会のうちから読み取って、近代経済学を確立することになる。それとともに、労働そのものの概念と労働者の概念が一新されることになった。

  • スミスが登場する前に経済学の分野で重要な役割を果たしたのが、重商主義と重農主義だった。この二つの理論はどちらも、国家の富を拡大することを目指すものだった。

  • 重商主義にとっては、労働者をどのように勤労させ、生産過程で活用することができるかという問題が悩みの種であった。というのも当時のイギリスでは、労働者はなすべき労働を嫌うものだとかんがえられていたからである。当時においても労働は相変わらず辛く厳しい肉体労働とみなされ、こうした肉体労働の評価は依然として低かった。そして労働者もまた下層民の肉体労働者として軽蔑され、賭け事に熱中し、怠けて仕事などしようとしない人々とみなされていた。労働者を怠惰貧民とみなすイギリスの救貧法の思想がまだ続いていたのである。このような労働者を働かせる方法としては、主として三つの方策が考えられた。

    • 第一は賃金を低くすることである。後期重商主義の思想家であるイギリスのバーナード・デ・マンデヴィルは、当時のイギリス職人たちが「一週間のうち四日間の労働で食べていけるならば、五日働くように説得することはほとんどできないであろう」と述べている。労働者は生存するために働く。もしも賃金を高くすると、労働者は生存に必要なだけしか働かなくなるから、労働者が働く日数は短くなってしまうというのである。

    • 第二は慈善をできるだけ減らすことである。マンデヴィルは「事前があまりに行われると、必ず怠惰と無為を助長せずにはいない。そして国家を利するどころか、かえって堕民をふやし勤勉を滅ぼす」と主張する。

    • 第三は、できるだけ労働者に教育を与えないようにすることである。「社会を幸福とし、人民の最低の境遇に安居させるには、かれらの大多数が貧民であると同時に、無知であることが必要である。知識は彼らの欲望を拡大増加する。人々の欲するところ少なければ、その必要を満たすこともそれだけ容易である」とマンデヴィルは主張している。

  • 労働者にはできるだけ欲望を持たせず、生きていけるだけの賃金を支払っておけば、労働者は生き延びるためにも勤勉に働くようになると、マンデヴィルは考えた。これは重商主義の時代の労働者についての基本的な考え方だったのである。

  • 一方、フランスの重農主義では、土地という自然に働きかける「生産者」としての人間の労働にかぎって、労働の価値そのものを高く評価していた。

  • 重農主義の重要な理論家であるジャック・テュルゴーは、社会の生産システムは二つの階級、すなわち「生産者」の階級と「被雇用者」の階級で形成されていると主張する。生産者の階級には地主と農業労働者が含まれ、被雇用者の階級は土地の生産物に加工する産業労働者の階級である。

    • 被雇用者の階級では、労働者の間の競争が激しいために、自分たちの生命を維持するための収入しか獲得することができないという。だからこの階級の労働は価値を生み出すことがないとみなしたのである

    • これにたいして生産者の階級は、富を生み出すことができる。というのも、自然である土地に働きかけるならば、人間の労働はその労力を上回る価値のある産物を生み出すことができるからである。畑に蒔いた百粒の種は、その数十倍の穀物をもたらす。この富は農業労働者がみずからの労働により作り出したものなのである。

アダム・スミスの登場

  • このようにイギリスの重商主義では労働と労働者は蔑視される傾向があり、労働が生み出す価値を認めていない。フランスの重農主義では農業労働者の労働だけが価値を生み出すことを認めていたが、産業労働者はその労働によって価値のある製品を作りだすことはなく、ただ農業労働者の生み出す価値に寄生しているものと考えられた。これにたいして商品の価値というものが労働によって形成されるものであることを、産業分野にこだわらずに普遍的なものとして認めたのは、スコットランド生まれの経済学者アダム・スミスであった。

  • まずスミスは人間の社会がそもそも形成されるのは、人間が労働することによってであり、それぞれの人は自分の得意な労働分野で特に力を発揮するものであると想定した。そしてさまざまな能力を持つ人々が集まって分業し、その生産物を交換するために社会というものが形成されると考えた。社会の形成の根幹は、人間の労働とその産物の交換にあるとみなしたのである。

  • スミスはこの交換の欲望を人類に固有なものとして考えており、その背景にあるのはエゴイズムだという。誰もが自分の欲望を満たすためには、自分の得意な分野で労働し、その余剰分を他者と交換するしかないのである。逆に言えば、社会のうちでさまざまな商品が売られているのは、生産者の誰もが同じように交換によって自分の欲望を満たそうとするからである。

  • このようにしてスミスは社会の成り立ちを分業と交換にあると考えた。こうした社会は全ての市民が交換と商業によって生きている商業社会である。商業社会では誰もが自分の利己心を満たして労働することによって、社会全体の利益が実現されるとスミスは考えた。こうした商業社会においては、価値の源泉は労働にある。こうしてスミスはごく自然に、さまざまな商人の労働こそが、人々の必要とする財を生産する源泉であると主張することになる。

  • なおスミスはこのように労働の価値を認めたからこそ、労働者の賃金を低く抑えるのではなく、できるだけ高くする必要があることを主張したのだった。まずスミスは、国富が増加しているときには、労働賃金も一般的に上昇することを指摘する。労働者の賃金の水準は、その国の富が増加傾向にあるか、減少傾向にあるかを示す忠実な指標なのである。

  • そして社会の大多数を占める労働者の生活が向上するということは、社会全体にとって不都合だとは考えられないことを確認する。

    • 労働者の生活の向上は、何よりも社会の基本的な生産資源である労働人口の増大を示すものである。労働の需要が増え続ければ、労働の報酬が良くなり、労働者の結婚と元気に育つ子供の数が増え、人口が増加して、増え続ける労働需要を満たすのに必要な水準になるはずである。

    • また賃金の上昇はたんに労働人口の増加をもたらすだけではなく、労働者の勤労意欲を高めることによって、生産性を向上させることができるだろう。食糧が十分にあれば労働者は体力もつくし、生活をもっと向上させ、老後は安楽に生活できるようにしたいとの希望が膨らんで、最大限に力を発揮するようになることが期待できる。

  • スミスに始まる近代経済学は、この市場のシステムを解剖することを目的として誕生したのである。そしてこの市民社会における市場のシステムのもとで、労働という営みと労働者という存在は近代の市民社会と資本主義にふさわしい地位と資格を与えられることになった。

第六章 ー 近代哲学における労働

ホッブズの第一歩

  • このように近代の資本主義的な市民社会において、労働がさまざまな商品の価値を生み出す源泉であることが認識され、労働が社会を構成する営みとして肯定的に評価されるようになった。近代の哲学においても、こうした背景のもとで、労働という活動が人間の重要な活動として認められるようになる。

  • アリストテレス以来の伝統的な社会思想では、人間のうちには自然に社会を構成する人間性のようなものがそなわっているとみなしてきた。そして社会にとって善きことは公的な善として、人間の目指すべき最高の善として、社会のうちで生きる人間が追求すべきものとされていた。人間は社会においてこの最高善を目指す道徳的な存在とみなされ、その本性からしてたがいに協力して社会を形成すると考えられていた。

  • しかし近代哲学の到来とともに、人間はそのような公的な善を目指す自然な道徳性をそなえた存在ではなく、ひたすら自分の欲望の充足を追求する孤立した存在であり、そのような存在として自立したものであるとみなされるようにある。

  • そうした人間観の先駆となったのが、イングランドの哲学者トマス・ホッブズだった。ホッブズは善と悪を、公共善のような超越的な観点から考察するのではなく、人間を動かす内的な欲望という観点から考察した。この視点の転換は市民社会が形成された近代において初めて可能になったものである。「ある人の欲望と意欲の対象たるもの、それがすなわち彼が彼自身としては善と呼ぶものである。そして彼の憎悪と嫌悪の対象は、悪である」。善と悪はもはや社会における公共善のような観点からではなく、個人の人間の欲望とその対象との関係で定義されるようになったのである。このことをホッブズは「昔の道徳哲学者の書物に語られているような究極目的とか至高善といいうものは存在しない」と明言している。

  • このように人間が自己の欲望を実現しようとする存在であると考えるならば、人間には他者とともに社会を構成し、至高善を実現しようとする自然な道徳性のようなものが存在すると考えることはできなくなる。そして社会はみずからの欲望であれば、他者の所有物を奪うことを厭わない人々で構成されていると考えることになる。誰もが他者の所有するものを嫉妬と妬みのまなざしで眺め、隙があればそれを奪おうとするだろう。これは万人が万人にんとって狼であるような戦争状態であり、ホッブズは人間が社会を構築するまでは、人間はこのような戦争状態のうちに生きていたと考え、これを「自然状態」と呼んだ。

  • この自然状態の重要な特徴は、法というものがないために所有権が守られていないことであり、所有権が守られないために、労働というものの意味が失われることである。畑を耕して穀物を豊かに実らせたとしよう。しかしその畑の豊かな実りは多くの人々の羨望を掻き立てることになり、多数の人々がそれを手に入れようと狙うことになるだろう。いざ収穫しようとするときに、隣人がやってきて「勤労の果実」を奪ってしまうことを妨げる手段はないのである。だから労働することの意味は失われる。その結果、技術も文明も社会も存在しえないだろう。労働こそがこうした文明の土台となるものだからだ。

  • ホッブズは万人の戦争状態を集結させ、社会を構築するには、人間たちは社会契約を終結せざるをえなくなると考える。人間が社会を構築するのは、自分の欲望を実現するため、自分の労働によって獲得できるはずの「勤労の果実」を保護してくれる法を定めるためである。労働は社会と文明の土台を構築するものであり、人々が安心して労働することができるように、国家を成立させるために社会契約を終結する必要が生じたとホッブズは考えたのである。

ロックの貢献

  • ホッブズにおいてこのような労働は、その果実が社会と文明の基礎となるものとされている。そしてその果実を守って、社会と文明を可能とするために、社会契約が必要となる。法と国家は、勤労の果実を守るために要請されるのである。

  • イングランドに生まれたジョン・ロックも同じく、人間の所有が労働から生まれるという発想を明確に示した。

  • ロックにおいて重要となるのは、誰もが自分の身体は自分だけのものとして所有していることである。またロックは、個人の身体の所有権に基づいて、その身体の労働によって獲得したものにたいして、各人の所有権が発生することを指摘する。労働が権利を発生させる。こうして私有財産の制度と権利が生まれるのである。

  • ただしこの権利はまだいわば「裸の」状態であり、ホッブズが指摘したように、他社の羨望と略奪から保護されていない。ロックはホッブズと同じように、各人の所有権を保護するために、社会契約が終結される必要があると考える。

  • この国家の設立の目的はホッブズと同じであるが、ホッブズが暗黙のうちに労働の産物によって生まれるとみなした個人の所有権を、ロックは明示的に労働の概念を提起することで確立する。労働こそが、人間が社会を構築し、社会のうちで共存する可能性を作り出す営みである。ここにおいて近代の労働概念が所有権と国家の設立の根幹をなすものとして、明示的に定められたのである。

ヒュームによる変容

  • このように労働を人間の権利と社会の根源と考えたのはロックであるが、スコットランド生まれのデイヴィッット・ヒュームは伝統的な社会の理論とは全く違う視点を提供する。

  • ヒュームの考えによると、人間の労働には三つの欠陥がある。

    • 第一の欠陥は、各個人が別々に、ただ自分自身のために労働するときには、人間の力は小さすぎて、何らかの著しい仕事を遂行するに足りないことである。

    • 第二に、個人ですべての仕事を遂行しようとしても、技術的に不十分であるために、成功はおぼつかないという重大な欠陥がある。

    • 第三に、同じ人において、あるときは成功しても、また別の時には失敗することもあり、人々ができるかぎりの力を発揮しても、それに応じた成果が生まれるとは限らないという欠陥がある。

  • 人間の個人的な労働のこれらの欠陥を補うのが社会の役割である。社会を形成することで、人間は個々の個人にまつわるこうした欠陥を是正することができる。

    • 第一の単独の労働者の不十分さは、多数の人々の力を合わせて協力することで解決できる。

    • 第二の技術的な不十分さは、それぞれの人が自分に適した仕事をして、その成果の余剰を交換することで、すなわち分業によって解決できる。

    • 第三の安定性と均衡の欠如の問題も、社会を形成したことで生まれる集団の内部での相互援助によって、たがいに助け合うことで、われわれが運命や偶然にさらされることは少なくなることで解消できるだろう。

  • ヒュームは労働によって所有権を基礎付けることなどは目指さず、各人が個別に行なっている労働の不十分さを、社会的な共同労働によって解決する可能性に、社会の構築の根拠をみいだす。そしてヒュームの理論構成においてユニークなことは、そのために特別な社会契約のようなものが必要とされないことである。そこには明示的な契約ではなく、「黙約」のようなものがあればよいという。誰もが自分の所有するものを他者から奪われたくないと考える。そのためにはどうすればよいだろうか。

  • ホッブズであれば、社会契約で国家を設立し、その国家に警察の機能をはたさせることを考える。ロックも社会契約で政府を樹立し、その司法の機能によって権利を保護することを考える。ところがヒュームは、自分が他者の所有を奪わないことによって、自分の所有も守られると考える。誰でも理性的に考えてみれば、「各人が幸運と勤勉によって獲得できたものを平和的に享受させておく」ことが、自分にも有利なことが、自分に他も有利であるのが分かるはずだという。

  • わたしが他人にたいして行うことを同じことを他人もわたしにたいして行うとすれば、「他人の物財を他人に所持させておくのが、私の利益となる」だろう。そして他人もまた自分の行動を、この観点から規制することに利益を感じるだろう。だからたがいに自分の所有物を守り、他者の所有物を侵害しないことが、自己の所有物を安全に確保するために必要であることを認識できるはずである。この理性による洞察は、契約のような明示的な取り決めを終結することで表現されるのではなく、暗黙のうちに約束というかたちをとることで示されるという。

  • ロックは労働から権利が生まれると考えたが、ヒュームは労働の産物を安全に所有するという目的から、ごく自然に所有と権利という観念が生まれると考える。ヒュームのこの考え方は、社会契約という観念を明確に否定するものである。社会が契約のような外的な手段によって形成されるのではなく、暗黙の了解という内的な同意に基づいて自然に生まれるのだという。ただしロックとヒュームどちらの考え方においても、社会の構築のための基軸となるのは、人間の労働とその産物である所有の保護であった。

ルソーの労働論

  • フランス生まれのルソーは人間の歴史において何らかの自然の劇的な変化のために、野生人が自然状態のままでは生き延びることができなくなったと想定している。人々は集団で農耕をしなければならなくなったのである。しかし採集生活から農耕生活に移行するためには、幾つもの障害があった。特に問題となったのは、苦労して栽培したものを他人が横取りするのを防ぐ方法がなかったことである。人々は所有をどのようにして保護すれば良いだろうか。

  • 人々は集団生活を始めて、農耕を開始し、新たな技術を開発することで、農業生活を実現したのであり、この生活こそが現代につながる文明生活の端緒となる。このようにして農業生活を始めると、いくつかの新たな要素が誕生することになる。

    • 第一は、自分の耕作する土地からする土地から収穫する権利を人々から認められるためには、労働が必要であることが確認されたことだる。まだ私的な所有というものが認められていない原初的な段階にあっては、土地に実際に労働を投下した人に、その土地からの収穫を確保することが認められることになるだろう。所有は労働によって基礎付けられる。これはロックの理論と同じである。

    • 第二に、このようにしてみずから労働を投下した人物には、その土地から収穫するための権利が認められ、それは所有物として承認される。

    • 第三に、このようにして土地の所有の権利が認められるようになると、さまざまな能力や力量などの違いによって人間のあいだに不平等が発生することになる。技術の利用がこのような不公平と格差の違いをさらに大きなものとすることになるだろう。

    • そして第四に、このようにして大きな財産を所有するようになった人々は、みずからの私有財産を保護し、所有の権利を無視する者にたいして、そのような権利の侵害を禁じる法を定める国家というものが樹立されることになるだろう。このようにして国家と法は、自然の自由をもはやとりかえしのつかないまでに破壊し、私有財産と不平等を定めた法を永久のものとして定めるようになるのである。

  • ルソーはこのようにして、労働が生み出した不平等が法と社会を作りだし、人間の自由を破壊したことを明らかにするのであり、そのような不平等に基礎付けられた社会を改革するための社会契約を提唱するのである。

カントの労働と遊戯

  • このようにイギリスとフランスでは労働に関わる理論は、社会における所有の概念を軸に展開されたが、ドイツではイマヌエル・カントが、労働について人間の尊厳と進捗という観点からユニークな議論を展開している。カントは労働という営みが人間にとっていきていくために必須であるものと同時に、辛く過酷なものであることを認めている。しかし人間はこの辛い労働を経験することで、よりより状態へと進歩していくと考えるのである。

  • カントは人間が労働することは社会のためだけではなく、自己を向上させるための熟練と、技術を開発するようになるためのきっかけになるとも考えている。

  • 人間は誰もが働いて、社会に貢献しながら生きることを求められる。しかし労働する人は、自分の好きなことをするのではない。自分の好きなことをするのは遊戯である。労働は辛い仕事である。そしてその労働の辛さに耐えられるようになることが、人間としての品位を高めるのだとカントは考える。そのためには人間は幼い頃から精神を「教育される」必要があるとカントは考えたのだった。

  • この精神の教育には、二種類のものがある。自然による教育と、道徳的な教育である。自然による教育としては、自由な教育と学校的な教育を考えることができる。自由な教育は、子どもだちが学校などにおいて強制されずに教育されるものであって、遊戯に等しいものとみなされる。これにたいして学校的な教育は、学校で強制されることで学ぶことであり、それは労働と等しいものとみなされる。

  • 子どもが生きるために働くことを学ぶのは大切なことである。しかしカントは、労働の意味は、整形を立てること、社会に貢献することなどとは別の側面があると考える。それが自分の好まないことも、仕事として、労働として行う習慣をつけるということである。そしてそれは人間がみずから必要とすることであり、好むことでもある。

  • このように人間が精神的に向上するためには訓練が必要であり、そのために労働が役立つというのは、カントが啓蒙の精神のもとで労働の人間学的な効用として考えてきたことである。この労働と訓練が目指すものは、精神に品性を与えることである。

  • 品性を与えるために行う、学校的な教育や労働といった強制は、人間の成長の段階に応じて異なるものとなる。幼い子どもには規則を外部から与えて、それに従うことを教えねばならない。「ほかの子どもを叩いてはいけません」とか「先生から言われたことにしたがいなさい」と、幼稚園児には教えてやらねばならない。そしてそれに違反したならば、何らかの罰を与えて、将来は違反しないように動機づけなければならない。

  • しかし子どもが成長したときには、たんに強制するのではなく、義務という観念を育てさせる必要がある。幼児の従順は処罰の恐れから生まれるが、成長した少年の従順は義務の規則に服従することである。義務に基づいて何かをするということは、理性に従うことを意味するのである。こうして子どもは労働の強制によって、処罰への恐れから義務の観念へと理性を自然に成長させていくのである。

  • このように義務の観念が植え付けられるまでは、教育という名前の労働は、理性の自然の成長のプロセスとして行われるだろう。ここまでは精神の自然な教育の段階であったが、少年が、そのようにして植え付けられた義務の観念を、自らの理性を行使しながら遵守するようになると、それはすでに精神の道徳的な教育が始まっているのである。

  • 少年は理性を行使して道徳的な主体となり、真の意味で自由になることが求められる。子どもは労働のうちで強制され、自分で定めた法則をきちんと守ることで、品格を高める。しかしこれは外的に強制されたもので、自由ではない。だから道徳的な教育という営みは、きわめて逆説的な性格をそなえているのである。教育ということは、人間に学びという労働を与えることである。労働は強制されたものであり、わたしの自由な意思を阻むものである。しかしそれが道徳的なものであるということは、わたしが自由な意思によって選択することを意味しなければならない。

  • この強制と自由の不一致は義務の観念を完全に内面化することで克服できる。わたしは義務を感じる。それは法則的な強制に服従することである。しかしそれが外部からの強制ではなく、わたしの自由な意思によって行われるならば、それはもはや強制ではなく、自由な意思による選択である。

  • このように労働による強制は、まず子どもに外部から与えられた命令に服従する従順さを植え付け、次にそうした命令に含まれる一般的な法則を道徳的な原理として、みずから自由な意思で選択するように、理性を成長させるという意味をそなえているのである。労働はこのように人間が生存するために営まなければならない辛い活動であり、ある種の悪でもあるが、人間はみずからこのような辛い労働を強要することによって、自己の理性を成長させ、人格的な存在としての尊厳をもてるようにすることができるとみなされている。労働はすでに考察してきた「人間を成長させる」という目的を実現するための重要な手段である。カントは労働は辛いものであはあるが、人間がその歴史を推進していくためには不可欠なものと考えているのである。

ヘーゲルの労働論

  • ドイツにおいてゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、自己意識としての自我が、まだ社会というものが成立していない自然状態で他者と出会うことを考えた。

  • ホッブズ以来の政治哲学は、この自然状態を想定することで議論を展開してきたが、ヘーゲルは近代の社会契約論で考察された人間の自然状態という想定を強く批判していた。万人が万人の狼となる戦争状態というホッブズの自然状態論は、国家の形成を説明するために導入された社会契約論の土台となる理論であり、これは現実に行われた契約を想定するものではなく、社会の形成のために必要とされる理論的な仮説のようなものとして想定されている。ところがヘーゲルは、国家の設立にあたってそのような社会契約のような仮説が必要であるとは考えなかったのであり、社会契約論そのものには批判的である。

  • ヘーゲルはこのような自然状態において人間が他者と出会ったときにどのようなことが起こるかについて、裸の人間と裸の人間との出会いとして考察しようとした。自己意識が他なる意識に出会う時は何が起こるだろうか。ヘーゲルはこのときにはわたしの自己意識は他者を一人の人間として、自己意識をもつ独立した別の存在として承認するだろうと考える。この自己意識は他の自己意識と出会った時には、ホッブズの想定したように相手の財産を奪おうなどとは考えずに、自分と対等な他なる自己意識と出会えたことに喜ぶだろうと考える。

  • ただしわたしの自己意識はそのことだけでは満足できないだろう。他者もまた自分と同じ一つの自己意識であり、この他なる自己意識にとっては、私は他者であるだろう。そのとき、他なる自己意識がわたしを自分と対等な他者として承認してくれるかどうか、わたしは確信することができないだろう。他者にとってわたしは、たんなる動物と同じように取るに足らぬ存在にみえているかもしれないのである。こうして私の自己意識は他者においてみずからの自己意識が否定されているかもしれないことに気づく。そこでわたしの自己意識は、他者にたいして、わたしが相手と同等な自己意識であることを承認してほしいと要求することになるだろう。

  • ここで両者のあいだに、たがいに他者を自己と同等で対等な存在であることを承認するように求める闘争が発生するとヘーゲルは考える。たがいに相手にたいして、自己の自己意識が相手と対等な自己意識であることを、相手が自己を一つの自己意識であることを認めることを、自分の生命を賭けてでも求めて戦うのである。

  • この自己意識の出会いにおいては、それぞれの自己意識は相手がたんなる動物のような取るに足らぬ存在であるとみなしている可能性があることを想定しなければならない。そして相手に対して、自分は自己意識を持つ人間であることを証明しなければならない。ヘーゲルは自分がたんなる生き物としての動物であるのではなく一人の人間であることを証明するには、自分の生命を賭ける行為に出る必要があると考えている。この戦いは二人の間の戦いであるから、これは互いに自分の生命を賭けて、相手を殺す用意があることを示すことである。この闘争の結果として、二人が殺し合い、誰もいなくなるか、両方とも譲らずに、力の強い方が相手を殺してしまうか、あるいは片方が生命を惜しんで相手に屈服することで、両方が生き残るかのいずれかになるだろう。誰もいなくなるならそれでおしまいだし、片方だけが生き残るのでは、状況は二人が出会う前と同じである。自己意識をめぐる状況に変化が生じるのは、片方が自分の命を惜しんで屈服した場合だけである。その場合には、一方の自己意識は自分の生命を失うことを恐れずに戦うことによって自律的な意識であることを承認されるだろう。そして他方の自己意識は自分の生命を失うことを恐れて、従属的な意識であることに甘んじることになるだろう。自律的な意識は主であり、隷属した意識は奴である。自己意識は最初は自己を肯定して自足していたが、他なる自己意識に出会って、みずからをそのままで肯定していることができず、生命を賭けた戦いによって、相手の自己意識を否定し、そこで他者から承認される自己意識へ還帰することができた。

  • このようにして他者から承認された自己意識としての主は勝ち誇って、自分の生命の維持に必要なものを手に入れるために、奴に労働するように強いるだろう。奴は自然に働きかけ、「物に労働を加えて加工する」ことを強いられるのである。労働しない主は、自然との間では、奴を通じた間接的な関係をもつだけである。奴は主に強いられて自然に働きかける労働をする。

  • 労働するということは、今そこにある欲望を抑制し、消失を延期させることだ。これが人間が、欲望を充足するために目の前にあるものを消費して満足する動物と異なる存在になるための第一歩であるとヘーゲルは位置づける。次の一歩は、道具を作ることである。土を耕すには、何か道具が必要である。最初は木を削ったものでもいいだろう。しかしやがては金属の有用性が認められ、鉄製の道具が作られるだろう。

  • 道具において、実り豊かな畑において、人間はもはや動物ではなく、人間であることを確証する。労働と道具こそが、なによりも人間が人間であることを明らかにするものとみなされたのである。このようにして奴は自分が主の命令によって他律的に労働するだけでなく、自然にたいしては道具を作り、利用するという自律的な行為をすることを学んできたのである。奴は労働のうちで、世界を変え、自己を変える。この労働の結果として、真の意味で自律的な存在となったのは奴である。それは労働によって初めて可能になったのである。

  • このように奴から承認された主は、自己を肯定し、他者を否定しながら、奴となった他者に労働を強いる。奴は主の命令で自然との間の戦いである労働を開始する。労働するということは、自分の身体を酷使することであり、自然に対して自己の欲望の充足を否定しながら、自然からその果実を手にすることである。しかし奴はこの自己否定としての労働によって、自然からその対価としての産物を獲得したのであり、しかも労働することで、みずからのうちに技術と経験を蓄積することができたのである。

  • この段階でもはや自立しているのは奴であり、従属しているのは主である。奴は労働することで自立した主になり、主は奴の労働に依存していたことで、従属した奴になった。主と奴はその立場を逆転させたのである。奴は労働して自分の手で自然に働きかけることで、世界を変えたのである。承認を求める闘争という自然状態では主であった者は、歴史的な世界では、奴隷に依存する者となった。奴はみずからの欲望の充足を否定することで、自分を否定する存在であった主を否定し、主の主になることができたのである。これが主と奴のあいだの弁証法である。

  • 労働には、自然に作り変える働きだけではなく、人間そのものを変える働きがあるのである。ヘーゲルによると労働することで人間は初めて人間らしい存在になることができたのであり、労働にこそ人間の人間らしさとしての人間性が生まれると考えることができる

  • ヘーゲルにおいて労働はたんなる労苦ではなく、人間らしさを形成するものとして、きわめて肯定的に描かれたのだった。

第七章 ー マルクスとエンゲルスの労働論

人間にとっての労働の意味

  • ヘーゲルの労働論をもっとも直接的に受け入れたのがフリードリヒ・エンゲルスである。エンゲルスにとって、人間が動物でなくなるプロセスは、まず人間が直立歩行することで、手を使えるようになり、やがて脳が発達する、というようにたどられている。直立歩行する人間が手で道具を使い、頭脳を働かせて工夫することで、文化が形成される。エンゲルスにとっても人間は労働することで人間になるのである。社会が形成されたのも労働のおかげである。人間が人間となるのは労働によってであるという考え方は、十九世紀のエンゲルスの時点で、もはや疑うことのできないものとなっている。

  • ヘーゲルの主奴論を受け継いだカール・マルクスにとっても労働こそが人間とその他の動物との違いを作り出すものであることは間違いのないことだった。マルクスは人間と動物の違いについて、「動物も生産しはする。ミツバチやビーバーやアリのように動物も巣や住居を作る。しかし動物はただ自分の子どものためにすぐに必要なものしか生産しない」。動物は自分の肉体的な欲求にしたがって、必要なものを作り出す。しかし、「人間は肉体的欲求から自由にみずから生産し、しかもこの自由のなかではじめて真に生産する」のである。

マルクスの労働価値説

  • マルクスは「資本論」において、この自然との関係を根本的に考え直すことになる。それが労働過程論と呼ばれる議論である。この議論ではマルクスは、労働を広い意味での自然との相互関係として考えている。労働は人間が自然に働きかける一つの形式である。

  • 人間がこのように労働するのは、労働の果実である生産物が欲望の対象であり、固有の価値があるからである。この価値は、使用価値と呼ばれ、その生産物の有用性によってその価値の大きさが決定される。

労働による疎外

  • マルクスは、ヘーゲルと同じように人間と他の動物との違いを作るのは労働であると考えていたが、現実の資本主義社会において人間の労働はプロテスタントの諸派の考えるような「聖なるもの」とはまったくかけ離れたものだった。マルクスが労働と階級社会について検討していた十九世紀の半ば、それまで共同体の内部で生活していた人々は、農地の囲い込み、資本主義的な農業経営の進展で共同体における生活を奪われ、都市に生活の場を求めざるを得なくなっていた。

    • 1833年の工場法によると、通常の工場労働は朝5時半にはじまり、夜の8時半に終わるとされている。そしてこの15時間という制限時間のうちであれば、青少年たち、すなわち13歳から18歳までの子供たちを一日のいずれかの時間帯において働かせるのは、適法とみなされる。すなわち子供であっても朝から夜まで、または夕方から朝まで、いつでも働かせることができるのである。

    • ロンドンでは、今夜どこに自分の身体を横たえたらよいかわからない人が、毎朝五万人も起床するのだった。

  • アダム・スミスが提唱した分業による作業員の生産性の向上は、工場では機械化によって実現された。機会は夜間でも休まずに働き続け、耐久年数は長い。そして熟練工の仕事は、子供でも操作できる単純作業に還元される。こうして労働者の間の競争はさらに激化してゆく。労働は自己実現の場であるどころか、資本家による搾取の現場であり、生存を賭けて、他の労働者と競争する場になっていたのである。

  • マルクスは、資本主義は労働者が提供する労働力を利用して、長い時間にわたって労働させて剰余価値を「搾取する」と指摘した。しかし労働の意味を重視するマルクスにとって、この搾取の概念よりもさらに重要な意味を持つのが、疎外という概念である。労働は全ての商品の価値を作り出すものであるにもかかわらず、現実のイギリスにおける労働は、過酷なものとなっていた。神からの召命としての労働の思想と、現実における「搾取」との乖離ははなはだしいものであり、それについての説明のためにマルクスが利用したのが、この「疎外」という概念である。

  • 疎外された賃金労働においては、人間は四重の疎外を経験し、その疎外のうちに人間の理性の営みとしての労働の意味はほとんど失われてしまうとマルクスは考える。

    • 第一に労働者は生産物から疎外される。向上生産においては、労働者は生産物をみずからのものとすることはできない。生産した製品は資本家の所有物である。労働者はみずからの生命を製品に注ぎ込む。しかし、製品に注ぎ込まれた生命はもはやかれのものではなく、製品のものである。彼の労働の生産物であるものは、彼ではない。したがって、この生産物が大きくなればなるほど、労働者自身は貧しくなっていくのである。

    • 第二に労働者は生産行為そのものにおいても疎外される。まず労働者は、賃金を受け取るために、自分の労働力を資本家に売らねばならない。この売られた時間において、労働者は資本家に命じられたように労働しなければならない。この労働はみずから望んだものではなく、みずからの発意のもとで行われるものでもなく、強制された労働である。確かに労働者は自由な契約のもとで、自発的に就労する。しかしこの自発性は、労働しなければ生存できないという理由から生まれたものであり、みせかけだけの自発性、強いられた自発性である。この強制された労働は「労働者にとって外的であり、労働者の本質に属さず、そのために労働者はみずからの労働においてみずからを肯定せず、むしろ否定し、幸福と感じず、むしろ不幸と感じ、自由な肉体的・精神的なエネルギーを発揮するどころか、その肉体を消耗させ、その精神を荒廃させる」ものに他ならない。労働者がくつろぎ、幸福であるのは、労働していないときである。労働者は、「労働以外のところではじめて自己のもとにあると感じ、労働しているときには自己の外にあると感じる」のである。

    • 第三に労働者は、人間にとってみずからの人間らしさを発揮できる営みであるはずの労働という行為そのものを、目的ではなく生存の手段とせざるをえない。阻害された労働においては、人間は自己の自由な活動を、自己の実現を放棄せざるをえない。人間は労働以外のところでしか、生存しているという喜びを感じることができない。労働においては、自由を否定され、強制されて働いているという疎外感を抱かざるをえないのである。

    • 第四に、阻害された労働においては、労働者は仲間と労働の喜びを味わうことができない。同じ工場で働く労働者は、潜在的には競争相手となる。

  • このように、現実の資本主義の生産体制のもとでの賃金労働は、このような四重の意味での阻害のもとにあったのである。マルクスはこのような苦しい労働にあえぐ人々をプロレタリアートと呼んだ。労働することによってしか生きることができず、しかも労働することにおいてこうした疎外の極にあるプロレタリアートは「人間性を完全に喪失しているために、自己を獲得するためには、人間性を完全に再獲得しなければならない階層」である。プロレタリアートは資本主義的な生産様式の根幹にある私有財産を否定し、「これまでの世界秩序の解体を告げ知らせる」任務を負っているとマルクスは主張するのである。

  • マルクスはこのように疎外の極にあるプロレタリアートが、資本主義的な生産様式の廃棄と、疎外された労働の廃棄を遂行する役割をはたすことを期待した。資本主義社会では、ブルジョワ階級が私有財産制度のもとで、生産手段を手中に収め、労働者は賃労働によって、その労働力を切り売りするしかない。

  • しかし工場での賃労働をせざるを得ないプロレタリアは、団結して革命をおこすことができる。マルクスによれば、この革命によって生まれるはずのコミュニズム社会で、賃労働とは異なる種類の新しい労働と新しい生き方が実現されることになっていた。この新しい生き方とは、資本の増殖だけを目指した労働を廃棄することである。

  • 重要なのは、このように賃労働を廃止することによって、「他者の労働をみずから隷属下におく力」が廃棄されることになり、労働は協同社会のうちで、万人の自由を発展させるための力となると考えられていることである。「階級と階級対立を伴う旧ブルジョワ社会にかわって、一人一人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような一つの協同社会が出現する」ことをマルクスは期待したのである。

  • マルクスとエンゲルスは自分の手で何かを作り出す労働は、もともとは喜びを伴うものだったと考えている。資本主義的な生産様式における機械化と分業化が、その喜びを奪ったのである。「プロレタリアの労働は、機会の拡大と分業によって、自立した労働という性格をいっさい失い、労働者自身にとっても、いっさいの魅力がきえてしあっている。労働者はたんに機械の部品でしかない」ものに成り下がったのである。各区名によって資本主義的な生産体制が廃絶されれば、もともと労働にそなわっているはずの魅力が戻ってくるだろうと考えたわけである。

  • この革命の目的は、労働をこのような疎外されたものとして人間たちに強制する装置となっている国家を廃絶することである。マルクスとエンゲルスは労働の疎外を廃絶するためには、現在の所有の形式に依拠し、これを維持しようとする権力を行使している国家を、革命によって廃絶しなければならないと考えたのである。

  • 分業が廃止された共産主義社会では「私は今日はこれをし、明日はあれをするということができるようになり、狩人、漁師、牧人、あるいは批評家になることなしに、私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批評をするということができるようになる」。このような社会では人間は労働するだけではなく、人々と交わり、批判をする生活を営むことになるだろう。

  • そして労働そのものは、「自発的な手と臨機応変な精神と喜びに満ちた心で自分の仕事をこなすアソシエーション労働」に変わるだろう。このアソシエーション労働とは、労働手段を資本家の独占から取り戻して、社会的なかたちで所有することによって生まれる労働のことである。これは共同生産方式を個別の工場ではなく、コミュニズム革命の力で、社会全体で所有する労働組織を実現することによって初めて可能となる労働なのである。

第八章 ー 労働の喜びの哲学

フランス革命と産業階級の理論

  • マルクスは、近代の「社会全体は、二つの大きな、敵対し合う陣営にますますはっきりと分かれている。二つの大きな相互に直接に対峙しあう階級、つまりブルジョワジーとプロレタリアートである」と主張した。マルクスの思想においてはブルジョワとプロレタリアの対立は階級的な対立であり、これは私有財産の廃止という革命なしでは、解決できない絶対的な対立なのである。

  • ところがこうしたプロレタリアートの概念を採用しない思想家においては、このように労働者が常に「階級」を形成して、ブルジョワジーと対立するという構図が必ずしも生まれるとは限らない。労働は確かに特定の集団を形成するとしても、労働者以外の人々と絶対的に対立するとはみなされない。そしてマルクスとエンゲルスのプロレタリアの労働理論とは別のかたちで展開された理論においては、労働について「疎外」とは異なる考え方が展開されてきた。

  • このような労働の思想を展開した思想家たちとして、マルクスとエンゲルスによって「空想的社会主義者たち」と呼ばれた思想家たちの系譜がある。エンゲルスが「三人の偉大な空想的社会主義者」と呼んだのは、サン=シモン、フーリエ、オーウェンだった。彼らが空想的と呼ばれたのは、マルクス主義では資本主義の世界において疎外されていない労働を実現することができると考えるのは「空想」であり、甘い楽観的な考え方であるとみなされたからである。

  • しかし革命が実現しなければ、現実の世界における労働がすべて疎外の極いあり、わたしたちは労働の喜びを享受することができないと考えるのは、あまりに偏ったかんがえではないだろうか。それに私たちの労働は、プロレタリアとしての労働だけに限定されるものではないし、現代の労働概念を考察する上で、こうしたプロレタリア的な労働の概念は硬直したものと思われる。革命が実現すれば全てが良くなり、革命なしでは絶望的な世界を生きるだけであるというのは、革命家らしい考え方ではあっても、革命の理念が失われた現代にあっては、もはや維持できないと言わざるを得ない。私たちは彼岸での救済を望むのではなく、現世における労働をよりまともなものとするように努めざるをえないのである。

  • アンリ・ド・サン=シモンは、「産業者」という概念を提起した。「産業者とは、社会のさまざまな成員たちの物質的欲求や嗜好を満足させる一つまたは複数の物的な手段を生産したり、それらを彼らの手に入れさせるために働いている人たちである」。具体的には、彼らは「農業者、製造業者、商人と呼ばれる三代部類を構成している」ということになる。この産業の階級は、他の階級を扶養しているのであり、「他の諸階級は、産業者階級のためにつくさねばならない」と、サン=シモンは指摘する。

  • この階級分類で注目されるのは、ブルジョワと産業者は明確に対立する関係にあると主張されていたことである。ここで、サン=シモンによるブルジョワの定義が「産業者でない諸階級」、具体的には貴族、軍人、法律家、不労所得者であり、資本家としてのブルジョワというマルクスの概念とは異なっている。サン=シモンはフランス革命の成果を独占したブルジョワとは異なる階層としての産業者の概念を確立しようとした。国民は革命前には、「国民は三つの階級、つまり貴族、ブルジョワ、産業者に分かれていた」のであるが、革命ののちには、ブルジョワの階級と産業者の階級に対立したことを指摘する。

  • ところで産業者は「社会のうちで最も有能な階級」であるのに、「最下位のものとされている」のである。だからサン=シモンの目的は、「社会の金銭的利益の高度の指導を、産業者の手に移させるために、ブルジョワのてから離させることが、暴力的手段を用いずにできる」ようにすることである。それが可能であるのは、産業者にはいくつもの優位があるからである。

    • 第一は数的な優位である。「産業者は国民の25分の24以上をなしている。それゆえ彼らは肉体的な点で優越している」のである。

    • 第二は知的な優位である。「彼らは知性の点でも優越している。なぜなら、彼らの才覚こそ、公共の繁栄に最も直接的に寄与しているからである」。

    • 第三は現実的な処世の能力の優位である。「彼は国民の経済的な利益をはかることが最もよくできる者である」。

  • そのためにサン=シモンが目指すのは、革命によらず、政党を組織し、世論を産業者を重視する方向に導くことである。この改革は、パリから全フランスへと普及し、フランスから西ヨーロッパ全体へ普及すると考えられていた。

  • サン=シモンは産業活動を賛美するあまり、「勤労階級」そのものに信頼を抱いていたのであり、その内部で労働者と資本家の対立が存在することを全く無視していた。サン=シモン「現実において資本家としての雇用主が個人的なエゴイズムに動かされていることを認めていたが、それは社会が悪いためだと考えていた」。社会的な組織体制が改善されれば「偉大な産業家たちは、実際に責任を負い、統合された知識をもつようになれば、産業者階級の本体と連帯の精神をもって行動するようになる」と信じていたのである。

  • サン=シモンは歴史の進歩への信仰に基づいて、人間の未来は輝かしいものと信じていたのであり、産業体制が改善されて生産性が向上すれば、労働の苦痛の問題は解決されると考えていた。要するにサン=シモンは、産業革命によって生まれたダイナミズムの力を信奉するあまり、プロレタリアと資本家が対立する階級であることを見抜くことができなかった。その意味でサン=シモンはエンゲルスの語ったように、空想的な社会主義者だったのである。

オーウェンのユートピア

  • イギリスの社会改革運動家ロバート・オーウェンは、手工業者の家に生まれる。商店に奉公したのち、紡績工場の経営に携わり成功する。彼の名を高めたのは、ニュー・ラナアック工場の実験プロジェクトだった。

  • このプロジェクトの特徴は、産業革命で実現された機械化システムを利用しながらも、人間の労働を機械に隷属させるのではなく、できるかぎり合理的な労働システムを投入して、生産性を向上させ、労働者の生活の質を向上させようとしたことだった。そのためには作業の進め方を見直して能率を改善し、労働時間を短縮すること、福祉施設と工場の内部の販売店を経営して労働者の低い賃金を補うこと、そして幼い子供の労働の禁止と教育によって、労働の資質を改善することなどが目指され、実現された。

  • オーウェンのこのプロジェクトで特に重視されたのは、労働者の資質の改善である。オーウェンは、当時の風潮として労働者よりも工場の機械類が重要であるとみなされていることを認めながらも、その機械を動かす人間は、「生きた機械」であって、死んだ機械よりもずっと貴重なものであると訴えた。「生命のない機械」の素材は木材と金属に過ぎないが、人間は「肉体と精神というずっと優れた素材を結合」させているのである。

  • そこでオーウェンが目指したのが、労働者の知性を改善すること、非合理的な法律を廃止すること、信仰告白を廃止し、宗教教育をやめることなどである。とくに「生きた機械」としての労働者の性格の改善に重点が置かれた。そして政府に「貧しく教育のない人々のために国民教育訓練制度を採用する」ことを強く求めた。何よりも重要とみなしたのは、幼児教育によって、国民の性格を改善することである。教育は「人間の悲惨さを和らげ、幸福を増進するために、合理的な人間が採用しうる唯一の実践的な手段」だからである。

  • サン=シモンは産業という活動そのものに信頼を抱き、その内部で生きる人間にはそれほど注目しなかったがオーウェンと次に考察するフーリエは、産業活動そのものよりも、労働する人間に秘められた可能性に注目したのだった。

  • オーウェンの構想では、現在のような過酷な肉体労働は姿を消して、労働することが楽しい営みになるはずであった。その基本となるのは労働者の教育水準の向上であり、そのための手段となるのは、機械と道具を資本の目的のためではなく、労働者の生産性の向上と作業効率の改善という目的のために使うことである。資本主義という観点からは事業体の収益の改善のために資本と技術が利用されることになるが、オーウェンの制度においては労働者の労働の質の改善と労働時間の短縮のために、資本と技術を利用することが目指されたのである。

  • オーウェンは労働こそが国富の源泉であると信じていたから、国家が労働者を教育せず、過酷な労働に従事させているのは国富を損なうものであってこれは国家の支配者も冷静に考えれば納得できるはずだと考えていた。これは支配者の理性に訴えるという方法であり、オーウェンは自分御プロジェクトもこうした理性的な配慮によって支援されるべきだと考えていたことになる。ここにも啓蒙期以来の進歩信仰の思想が控えていると言えるだろう。

  • オーウェンはこのように、労働者階級の生活を改善することで、社会全体の幸福を向上させることができると考えていた。彼の当面のプロジェクトは、この目的を推進するために遂行される。しかし彼はさらに大きな展望を描いていた。社会そのものの変革を目指していたのである。

  • まずオーウェンは私有財産全般の廃止を訴える。社会において人々は財産を所有しようと願っているが、不平等な財産の所有は貧困を生み出す。それは抑圧の原因であり、戦争と殺人の原因であり、人々の傲慢さの原因であり、人々の間で愛が生まれるのを阻害する要因である。この私有財産の制度が維持されることによって、人々の心がたがいに対立し合うようになるとオーウェンは唱えた。

  • この私有財産の制度を作り出し、また再生させている重要な社会的な要素が、宗教と結婚制度であるとオーウェンは主張する。

    • 結婚の制度は「人々の自然の本能に逆らって案出されたものであり、多数の人々を、少数者の特権と優位性のもとに、鞭と服従の状態のもとにおくもの」である。この結婚制度こそが私有財産の制度を生み出し、それを奨励するものであるとオーウェンは主張する。

    • そして何よりも宗教こそが、この制度を人々に押し付けたものであるという。「世界の僧侶たちが、両性間の自然な性交を、犯罪あるいは何らかの程度の不道徳なものと考えさせる唯一の原因だった」とオーウェンは強調する。

  • 人間を抑圧するこれらの三つの要因、私有財産、宗教、結婚制度のない社会こそ、オーウェンの考えるユートピア的な「新しい社会」である。オーウェンはこれを革命によって実現しようとするのではない。労働者の共同社会が社会の模範になり、人々の間で新しい労働と新しい生活のあり方が信奉されるようになることで、こうした新しい社会に接近しようとするのである。

  • オーウェンがイギリスやアメリカで実行したさまざまな実験は、多くは失敗に終わったものの、彼の思想はイギリスの労働運動と協同組合運動にしっかりと受け継がれた。オーウェンの思想は現実の社会においては多分にユートピア的なものではあったが、彼の思想がイギリスの労働者運動に及ぼした影響は、非常に大きく、多面的な者であったということができるだろう。

シャルル・フーリエの労働の喜び

  • シャルル・フーリエの批判について、サン=シモンと比較した重要な違いは、サン=シモンにとって基軸となる考えである産業主義の概念をフーリエが正面から否定していることである。サン=シモンは既存の産業者たちの地位を向上させようと望むが、フーリエは既存の産業者たちの活動はむしろ精神錯乱のようなものであると考えた。

  • フーリエにとっては「細分化された、つまり文明社会の産業のもとでは、すべてが悪循環になる」のであり、「産業はその進歩によって幸福の基礎を作りはするが、幸福そのものを作り出すことはない」という。サン=シモンは産業活動そのものを賛美したが、フーリエは資本主義的な産業にあっては、貧困をなくすことはできないことを鋭く見抜いていた。

  • フーリエが既存の産業を批判しながら提起する改革案の中で、特に重要なのは産業的な魅力の概念である。これは労働を人々にとって魅力のあるものにすることを目指すものである。この構想の背景にあるのは、フーリエ特有の情念の理論であり、フーリエは人間の情念をうまく働かせることで、労働そのものが喜びになると考えるのである。オーウェンと同じように労働に従事する人間そのものに注目したフーリエは、人間の労働そのものが価値の源泉であるだけでなく、働く人において喜びを生み出すものだと信じていた。このフーリエの理論は、労働の思想の歴史において、労働の喜びという新たな局面を開くものだった。

  • フーリエは人間の情念を、個人、集団、社会全体という三つの次元で考える。特に社会の次元の情念である「移り気の情念」「密謀の情念」「複合の情念」について、フーリエはこれらこそ労働を楽しいものとするために役立たせるべきだと考えた。

    • 移り気の情念は、労働が単調になるのを避けて、つねに生き生きとした魅力を維持するために必要な情念とされている。曲これらの情念はそれぞれこれは2時間ほどは強く働くとされており、フーリエの想定する理想的な労働スケジュールでは、早朝に庭師の仕事を2時間したら朝食をとり、その後に草刈りの仕事を2時間、牛小屋での仕事を2時間して、昼食にする。午後は森林での仕事を2時間、感慨の仕事を2時間したら夕食になるとされている。このように目先を次々と変えることで、「快楽の多様性を魅力的なものとなった労働に適用する」のである。

    • 密謀の情念は、互いに競い合う党派的な精神である。競合する他の団体に負けまいとするとき、仕事が極めて捗り、創造的な精神も発揮されるのである。

    • 複合の情念は、これらの情念を複合させることで、さらに強い熱狂を生み出す。

  • フーリエはこうした情念を組み合わせて人々が働く理想の共同体を、ファランジュと呼んだ。この理想的なファランジュのうちで、諸集団の系列を巧みに配置し、これらの情念を働かせるならば、労働は人々にとって、たんなる娯楽にはない魅力をもち、喜びに満ちたものになるだろう。「ただ朝から夕まで楽しんでやりさえすればいいのだ。なぜなら、楽しみによって労働に誘い入れられるのであり、その労働は、今日の見世物や舞踏会以上に魅了的なものとなるからである」。こうしてフーリエは、労働を魅力的なものとするアイデアを駆使して、労働することが快楽である共同社会を構想するのである。

労働の喜びの哲学

  • 労働に喜びという要素が含まれるのはたしかである。求められた課題を実現することの喜び、作業をする技術の向上の喜び、自分が習得した技術によって目的通りの製品を作り出すことによって得られる自己実現の喜びなどは、実際に労働によってもたらされうるものであり、実際の仕事の内容とは別に、労働は働く人に満足と喜びをもたらすことができる。ドイツの哲学者マックス・シェーラーは、労働がもたらす喜びとして次の4つを挙げている。

    • 第一に、労働者は自分の能力の向上に喜びを見出すことができる。自分に与えられた課題をきちんと実現し、その結果がなんらかのかたちで実現されるときには、労働者は誇りと喜びを感じるものである。

    • 第二に、労働という営みは身体に適度な緊張を与え、労働のあとでは心地よい疲労感をもたらすことができる。

    • 第三に「想像の主である人間の大体な手中にあって、素材が曲げられ、有意義な形態へとまとめられる場合における、幸福感に満ちた力および能力の体験」をえることができる。これは自然に働きかける労働者が、対象のうちにもたらした有用な変化のうちに、自分の力を感じることで得られる満足である。

    • 第四に「有機体にたいして労働が有する鍛錬や訓練の価値と身体的ならびに心的な展開価値」が生み出されるとい喜びも生じうる。ここでシェーラーは農業について考えている。畑に種を蒔き、水をやり、雑草を刈って育てた野菜という有機物の成長と収穫は、大きな満足感をもたらすものである。

    • さらにシェーラーは特に明記していないが、人々との共同作業のもたらす喜びも、労働の喜びとして見逃すことはできない。人々と力を合わせて労働することによって、個人では実現できなかった大きな成果をもたらすことができ、その成果のうちに自分の労働の一部をみいだすとき、大きな満足が得られるだろう。

  • これらの喜びは、わたしたちが労働を強いられながらも、その苦しい労働のうちに喜びを見出すことができ、そうした喜びをみいださざるをえないという現状から生まれるものである。労働することが一日の主要な時間を占めるのであるから、せめてそうした労働のうちで喜びを得ようとするのは、労働する者としては必然的なことであり、必要なことであろう。

第九章 ー 労働の悲惨と怠惰の賛歌

怠惰の賛歌

  • しかしこのような労働の賛歌や、労働がもたらす満足の哲学とは対照的に、労働の苦しさを直視して、労働からの解放と自由時間における自己充足の尊さを主張する哲学が生まれてくることもまた、避けがたいことである。労働の喜びではなく、怠惰の喜びの哲学の代表となるのは、ポール・ラファルグである。

  • ラファルグは、労働を賛美するのは、労働の成果を享受する人々、すなわちブルジョワジーと商人たちであって、自分の身体を使って苦しく辛い労働を強いられるプロレタリアートは、ブルジョワジーの労働賛歌にごまかされてはならないと訴える。労働者はこうした労働賛歌や「労働の教義」などを信じ込んではならず、労働者を解放するのが務めであると力説する。ラファルグは、労働者たちが働きすぎるならば自分たちを苦しめるだけであり、さらには過剰生産によって恐慌を招いて、社会の破滅を導くことを指摘する。

  • ラファルグの議論はかなり単純なものである。労働者は一日に3時間働くだけで、残りの自由を使って、人間らしい生活を送るべきである。働く権利などというものは悲惨になる権利に他ならないのであり、怠惰になる権利こそを要求すべきである。

  • これとほとんど同じ論拠を採用しているのが、イギリスの論理哲学者バートランド・ラッセルである。彼は、近代の機械と技術の発明のおかげで、人間の生存のため必要な生活必需品を生産するために必要な労働量は著しく減少しており、産業的な生産能力の大部分は、贅沢品を生産するために使われていることを指摘している。それなのに労働の道徳が働いて人々を無駄に労働させつづけているのが現状である。

  • 現代の生産能力をもってすれば、労働者は一日に4時間ほども働けば十分である。「一日四時間の労働をすれば、常識ある人が欲求するだけの物質的快楽を生産するのに十分である」はずだとラッセルは指摘する。残りの余暇の時間は、自分の望むことをするために費やすべきである。余暇の時間は自己実現に利用することができるはずである。

  • 怠惰の勧めの理論は、論理的な根拠は脆いものであるかもしれないが、労働の倫理に抗して、誰ものひそかな願いを表明しているという点で、わたしたちに必要とされていたものと言えるだろう。

シモーヌ・ヴェイユの労働論

  • 社会主義の思想の到来とともに、このように労働という営みが「聖なるもの」というイメージを帯びる傾向が強くなる。労働と労働者という概念が、尊いものとさえ思えてくるのである。しかし現実の資本主義社会において、ユートピア的な構想が実現されていないかぎりは、労働が過酷なものであることに変わりはない。そのことは、現実に往生で労働者として働いて、労働の過酷さと労働がどのようにして働く人々の人間性を押し潰してしまうかを実際に体験したフランスの哲学者シモーヌ・ヴェーユが明らかにしたことだった。

  • ヴェーユが工場労働をしてみて実感したのは、工場労働というものは、さまざまな意味で人間を「他人に委ねられた一個の物体」にしてしまうということだった。ヴェーユは「疲労」「飢餓感」「恐怖」「屈辱」「屈服」という五つの観点から、労働の辛さを克明につづっている。

    • 工場労働は働くものをとことんまで疲労させる。「疲労。死んだほうがましだと思うくらい耐えがたくきびしい、そしてときとしては苦痛な疲労。」

    • 飢餓感について、これはたんなる空腹ではなく、空腹であるために働けず、解雇されるという恐怖と結びついた恐れである。

    • 空腹は激しい労働から生まれるが、この空腹のために労働にも支障が発生する。そうした不出来な労働はただちに解雇の恐怖を生み出す。仕事がうまくゆかない原因はさまざまなものがある。自分の空腹や疲労だけではなく、素材にまつわるトラブル、機械のトラブル、他の部署から流れてくる仕掛品の欠陥など、仕事は万全な体調のときでも、トラブルが発生しかねない。

    • こうした恐怖のうちで働くことは、屈辱を招く。ちょっとした叱責が大変な屈辱である。そしてなんと多くのことが叱責を招く原因になることだろう。調整工が機械をよく整備しなかった、ある道具の鋼鉄の質が悪い。部品がうまく装置できない、すると叱られる。

    • 屈服は上役の命令に物体のように服従することだけではなく、上役の行為を勝ち取るため、少なくとも敵意を招かないようにするために、その意にしたがうことを求められるという意味での精神の屈服をも意味する。

  • ヴェーユはこのように工場労働が非人間的なものであることを確認した上で、それを少しでも改善することを試みた。ヴェーユが彼女の働いたことのある工場の責任者であった工場長に提示した案は、次の三つ要素で構成されている。

    • 第一に労働課程への服従によって生じる隷属の感情を緩和するために、倫理的な援護を与えることである。

    • 第二にヴェーユは、労働者に誇りをもたせるためにも、ある程度の階級精神をもたせるべきだと考える。

    • 第三にヴェーユは、労働者たちに自分たちの苦しみ、感情、思考を表現する場を与えようとする。それには富津の利点があると考えている。一つは労働者の間での連帯感を形成することである。それだけではなく、現場の労働者たちが書いたこうした文章は上司に対して、部下の労働者たちが抱えている問題を理解させることができるだろう。もしも彼らが労働者たちの苦境を理解したならば、たんに利益を最大にすることではなく、工場の中の労働環境を改善することで、労働者からの協力を獲得するという重要な目的を実現することができることを学ぶだろう。

  • ヴェーユが理想とするのは、厳しい労働条件をできる限り人間的なものとすることである。そのために労働者の屈従と抑圧の感情を緩和し、倫理的に支え、労働者に発言させて、上司との相互理解の道を開くことが必要であると考えた。こうしたことによって労働者と管理職のあいだに「協力の精神」が生まれ、労働者の労働の意思が向上するだろう。それは工場の管理職にとっても好ましいことだろうとヴェーユは考えたのである。

  • ヴェーユは政治的な革命では、工場のうちで働く労働者が必然的に味わう屈辱感や抑圧感がなくなるとは考えない。労働の条件は過酷である。この過酷さを取り除くことはできない。工場の体制のもとで、労働が喜びであることはほとんど期待できない。この労働の条件は政治的な革命では改善されないだろう。だからそれをすこしでも耐えやすいものにするしかないと、ヴェーユは考えるのである。

  • ただしヴェーユは、労働がこのように過酷で抑圧的なものであることを確認しながら、そこに一つの「効用」のようなものをみいだしている。過酷な工場労働は彼女に、自分が「無」であることを体験させるという意味を持っていたのである。労働における完全な隷属という状態は、人間のふつうの生活ではなかなか体験できないことである。それはあらゆる意思と目的を奪われて、物質のような状態にまで落ちることだ。それは死を擬似的に体験することのできる稀有な経験なのである。この死のような状態においてこそ、神の恩寵が訪れる場が生まれると彼女は考える。ヴェーユにとって過酷な肉体労働は、善についての考察や欲望を放棄し、みずからの無性を再確認し、実際に体験することの困難な死を経験するための重要な方途とし考えられたのである。

現代の労働システムとその変遷

  • ヴェーユの経験したフランスの工場での労働は、作業が細分化され、監督されたテーラ・システム(後述)の最盛期だったのだろう。二十世紀の初頭から、フォーディズム(後述)がテーラー主義と組み合わさったかたちで、工場の生産過程を一新した。

  • テーラー主義の重要な目標は、それまで数値化することが困難だった熟練労働者の労働を分析して単純な労働過程に分解し、それを組み合わせることで、未熟練労働者でも同じような質の高い労働を遂行できるようにさせることを目的としていた。

  • テーラー主義を作り出したフレデリック・テーラーは、工場長として、労働者の調子を絶えず上げさせるという執念をもちつづけた。もちろん労働者と対立する結果になったが、これに対抗しようとしたテーラーは、二つの問題に直面した。第一は、彼は「作業の各操作を実現するにはどれだけの時間が不可欠であり、時間を一番短くするにはどんな工程がやりやすいものであるかをまったく知らなかった」ことである。第二は、「向上の組織のために、彼は労働者の消極的抵抗を効果的に克服する方法を取ることができなかった」ことである。

  • この二つの問題に対処するためにテーラーは研究を続けた。第一の問題は、労働の工程の分析と機械化によって克服された。そのためにはそれぞれの作業を細かく分解し、それを実現するための最短のプロセスを考案し、それを機械化した。旋盤工の作業の工程を細かく分解し、それを自動旋盤で実行できるようにしたのである。

  • 第二の問題もこの自動化によってほぼ解決できたようなものであるが、テラーはさらに「仕事の工程とリズムを労働者たち自身で決定する可能性を彼らから奪い取り、生産のあいだに実施すべき動作の選択を管理者の手に取り戻す」ことに成功した。労働者からすべてのイニシアティブを取り上げ、ひたすら管理者の命令にしたがって、定められた動作だけを実行させるようにしたのである。

  • このテーラー方式は効率的ではあるが、労働者からあらゆる自発性と熟練を奪う結果となった。そしてこのシステムは、労働者から自分の仕事への生きがいや誇りのようなものを完全に奪い取り、経営者に隷従することを求めるものとなった。

  • このテーラー方式を採用して、大量生産のシステムを確立したのが、自動車の生産にライン方式を導入して「自動車王」と呼ばれたヘンリーフォードであり、彼がフォード者の自動車生産プロセスで実現したフォーディズムによる生産方式である。この方式は、労働システムにおける生産性の向上と、労働者への購買力の賊与という二つの要素で構成されている。

  • この第一の要素はテーラー主義と同じことを目指すものであるが、フォードは作業を分解して機械化するだけでなく、分解した作業を直線的に配列し、それぞれの作業を連続的に行わせるベルトコンベアによる労働方式を発明し、これによって生産を流れ作業にした。この装置で仕掛品を運びながら、ベルトコンベアの側に配置された労働者が作業を順に、円滑に遂行できるようにしたのである。これは機械化が困難であり、労働者が現場で従事しなければならない仕事の作業効率を著しく高めた。

  • 第二の要素はテーラー・システムにはみられないものであり、フォーディズムに特有の重要な仕掛けである。フォードはその当時としては異例なほどに高い賃金を従業員に支払った。テーラー主義とベルトコンベア・システムの組み合わせによって生産性が向上しているため、こうした高い賃金を支払うことができるようになったのである。こうしてフォード社の労働者は、他の企業よりも著しく高い給与を稼ぐことができ、それまでは手が届かなかった自動車を自分たちでも購入できるようになった。これが自動車の市場を爆発的に拡大するために役立った。

  • それだけではなく、これによって「アメリカ的な生活様式」が実現され、この快適さが世界の注目を集め、憧れを生んだのだった。アメリカ的生活様式は、すべての人が商品の消費の増加を通して幸福を追求するモデルである。

  • これはたんにアメリカの富を拡大しただけでなく、アメリカによる世界的な覇権を実現する上で、非常に重要な役割をはたしたのだった。世界の人々が「アメリカ的生活様式」に憧れるようになったことが、アメリカの軍事的な覇権を背後から支える文化的な威力となったのである。このアメリカの覇権は、フォーディズムに大言された生産様式に依拠しながら、次の三つの進歩を謳うことができた。すなわちこの方式によって、生産技術の発展に伴う「技術的な進歩」を実現し、購買力の上昇を伴う「社会的な進歩」を達成し、それが国家が経済政策によって援護することで福祉国家が実現され、「国家の次元の進歩」も確保されたのである。このモデルは最近まで確固とした地位を確保してきたのだった。

  • アメリカ合衆国の国外でもこのフォーディズムが次第に採用されるようになったが、この時期からアメリカではフォーディズムの行き詰まりが明らかになり始めていた。それはフォーディズムに内在する問題が露呈し始めたためである。この方式は、労働者のイニシアティブを否定する。そのため、労働の生産性を向上させるには、機械化に頼るしかない。しかし機械化には限界がある。またフォーディズムの流れ作業が労働の士気を損なうのは明白であった。

  • このようにして、テーラー・システムとフォーディズムの組み合わせに依拠したアメリカ的な生活様式と所得増大のモデルは行き詰まることになった。これに対応して登場したのが、ネオリベラリズム的なモデルとネオテーラー・システムのモデルである。ネオリベラリズム的なモデルは福祉国家を否定し、国家による過剰な統制を批判しながら規制を緩和し、自由貿易を主唱し、技術革新を推進するものだった。またネオテーラー・システムは、テーラー・システムにおいて重視された機械化をさらに推進したものだった。労働者の抵抗を最小限にするには、結局のところ人間の「生きた労働」をなくし、機械という「死んだ労働」で全てを解決することを目指すのである。テーラー・システムでは熟練労働者の労働を機械化することを目指したが、ネオテーラー・システムでは、「単純労働者やスーパーマーケットのレジ係やタイピストの参加をなしですます」ことを目指したのだった。

  • また、テーラー・システムの欠陥を是正するために、労働者のイニシアティブを重視するモデルも採用された。これはスウェーデンや日本で活用されたモデルである。特に1980年代のトヨタ方式はフォーディズムの遺産を拒絶するものであり、オペレータと呼ばれることになる労働者たちは、「徐々に品質管理やメンテナンス作業を担わされるようになっていった」。さらに「労働者を量と質の点で生産全体に責任を負う<自立したチーム>に組織しようとする努力も行われている」。これによって労働者たちには阻害された労働が強制されるのではなく、「特定の生産の全体について責任を持つようになる」のであり、それによって彼らの労働は「豊かになった」とされている。スウェーデンのボルボでは、ベルトコンベアの生産方式を改めて、一人または少数の労働者がチームを組んで、一つの製品を最初から最後まで完成させる「セル生産方式」を採用した。さらに労働者の勤務条件を改善して、高い離職率を抑えようともした。

  • こうした改良版のテーラーシステムが日本、ドイツ、スウェーデンなどで成功し、高い生産性を確保できるようになったために、それまでのテーラー・システムのように労働者の労働意欲を殺ぐような労働方式では生産性を高めることができないことが次第に明らかになってきた。ただしこれらの改良もまた労働者の意欲を掻き立てて生産性を向上させるための手段であることに変わりはない。こうした改良は後述する承認労働の一つとみなすべきであろう。

第十章 ー 労働論批判のさまざまな観点

ニーチェによる労働批判

  • 労働することは人間の類的なあありかたなどではなく、堕落であるという見方は、西洋哲学の伝統的な価値を転倒したフリードリヒ・ニーチェにも明確に見られる。ニーチェもまたヘーゲルの主奴論を手がかりに考察するが、ニーチェの主奴論では、<奴>が労働することで経験を積み、主人の主人になるということは発生しない。ヘーゲルの主奴論では<主>に相当する「高貴な者」は能動的な人間であり、行動することに幸福を見出す者たちである。これにたいして<奴>に相当する「無力なもの、抑圧された者」は、労働を強いられているために、行動することではなく、休息や平和のうちに幸福を見出しうるにすぎない。ニーチェは、彼らは受動的な人間であり、高貴な者たちを恨み、自分たちの境遇を恨むことしかできないと考える。こうして奴隷たちは、怨恨、すなわちルサンチマンの感情で満たされるのである。

  • こうした者は、境遇を変えるために行動することができない無力な者であるために、心の中で価値を逆転させるしかない。そこで心の中で密かにこう考える。我々は無力である。しかし無力であるということは行動しないことであり、他人を強制して働かせたりすることも、他人に暴力を行使することもないということである。ということは、我々は善人だということだ。こうしてニーチェにおいては<奴>は善なるものとなり、<主>は悪なる者となったのである。自然への働きかけの労働のような実際の行動に裏付けられていない精神のうちだけで、<奴>は<主>になったのである。

  • しかしこの価値の転倒は、ただ心の中で生じたものにすぎない。たんなる恨みの感情からの自己欺瞞にすぎない。しかしここでの感情を理解し、これに働きかける人物が登場する。これがユダヤ教とキリスト教の聖職者であり、この聖職者の働きかけのもとで、善と悪の逆転が実現する。

  • 聖職者は奴隷たちに話しかけ、奴隷たちのルサンチマンから、新たな道徳が作り出される。善なる者は、惨めな者、強いられて労働する者、苦悩する者である。これにたいして悪なる者は、高貴な者、力を振るう者であり、「汝らは永久に救われぬ者、呪われた者、堕ちた者であろう」と断罪される。このような道徳観のもとでは、禁欲的な意味をもつ労働は申請なものとなる。すでにマックス・ウェーバーがプロテスタンティズムの倫理のもとで、いかにヨーロッパにおいて労働を神聖と考える道徳観が生み出されたかを解明してきたが、その考え方の源泉の一つがこのニーチェの道徳の系譜学にある。

フロイトにおける応用

  • ニーチェから強い影響を受けていたジークムント・フロイトは、労働することが、そして自然を支配することが、実際に人間たちに幸福をもたらしたのかどうかという観点から、この問題を考察した。そして技術の進歩にかかわらず、人間は文明化された社会のうちで、幸福になっていないことを指摘する。フロイトは、西洋の文化が自然を制御し、制覇しているにもかかわらず、人間が作り出した禁欲的な文化のために、人々は自然な欲望を実現できず、不幸に感じていると指摘する。

  • フロイトは、労働するということには両義的な意味があると考えている。労働という営みは、人間の欲望の充足を断念するためにやむを得ず採用する迂回的な手段だと考える。もしも人間たちの全てが自分の欲望の充足を目指し始めたならば、社会は混乱するだろう。だから人間たちに労働させ、欲望の充足を放棄させるのは、ある意味では社会の安寧のために好ましいことである。しかし人間の本性は労働を嫌うものである。

  • ただしときに、自分の仕事のうちに自分の欲望を「昇華する」道をみいだすことができる幸福な人がいるのもたしかである。「職業における活動が自由に選択されたものである場合や、昇華によってすでにそなわっている傾向、つまりうまれつきにそなえている欲動や素質として強められた欲動を利用できた場合には、それがもたらす満足はとくに大きなものとなる」。自分のやりたいことに没頭できる人々には、労働もまた「幸福に至る道」でありうるのである。

第十一章 ー グローバリゼーション時代の労働

シャドウワーク

  • これまでの労働論で特に検討されていなかった家事労働について考えてみよう。労働が生産の観点から眺められるかぎり、労働を支えるさまざまな営みは、生産性の低い、補助的な活動として貶められることになる。それを最も象徴的に示すのが、女性の家事という営みだろう。労働者が生産活動に従事するためには、食事をし、休息し、睡眠しなければならない。多くの社会においては労働者を支えるこれらの補助的な活動は、ほぼ女性が担当するものとされていた。そしてこうした活動には、賃金は支払われないのである。

  • ところが資本主義の社会においては商品の生産のための労働だけが、仕事として認められる。この社会では賃金を支払われる労働だけが仕事であり、自律的な活動は無価値なものとみなされる。

  • そしてこうした活動に従事する人々は、あるいはこうした活動に費やされた時間は、生産的でないもの、価値を生まないものと貶められる。オーストラリア生まれの文明批評家イヴァン・イリイチはこのような活動をシャドウワークと呼ぶ。シャドウワークの定義では、価値を生まないとされた労働は家事労働だけにかぎられない。労働者が労働の準備のために行う活動もまた、賃金が支払われない影の労働である。たとえば「ひたすら昇進を望んで、嫌いな科目の試験のために杖込み勉強をする夫とか、毎日オフィスに長距離通勤をする男」たちの労働もまた、シャドウワークである。社会的に定められた勤務時間のために、通勤時間は労働者にとっては過酷な時間である。通勤しなければ労働することができないのだから、これは労働そのものではなく労働が可能となるための条件である。仕事場で好条件で働けるようにするための時間外の準備も、資格の取得のための時間外の学習も、労働を可能とする条件としては、賃金が支払われないシャドウワークということになるだろう。

  • このようなシャドウワークは、資本主義の社会において、生産活動が価値を作り出す活動とみなされたことから生まれたものである。資本主義以前の社会であれば、家族のために買い物をして料理する作業が貶められることはなかっただろう。それは生活を楽しむための重要な営みだったはずである。それに資本主義の社会においても、買い物や料理は、喜びでもありうるものだ。しかしこうした営みは賃労働を成立させるための条件として行われるものであるために、構造的に劣った活動とみなされることになる。

感情労働

  • 普通労働は、その作業を遂行するのが主として身体であるか精神であるかに応じて、肉体労働と精神労働に分類されることが多い。これにたいして感情労働というのは、この分類には含まれない新たな観点から考えられた労働である。この感情労働という概念を提起したのはアメリカのフェミニスト社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドである。ブティックでセーターを売る販売係は、相手に微笑みかけ、客が買い物を楽しめるようにするという側面では感情労働をすることが求められる。

  • こうした感情労働が極めて強く求められる労働の一例として、ホックシールドは、航空機における客室乗務員の例を挙げている。客に満足を与え、リピーターになってもらうことを求められる大手の航空会社では、客室乗務員は多くの作業をする必要がある。客に笑顔で接する必要があり、しかもそれが仕事のために作った笑顔ではなく、「自分の仕事を愛している」客室乗務員らしい笑顔でなければいけない。

  • この感情労働は、ときに客室乗務員にたいして自己犠牲を求めることがある。無理難題を言われれば、誰もがムッとするものだし、自分の感情を表現するのに抑えるのに苦労するだろう。しかし多くの客室乗務員は、単に感情の表出を抑制するという感情管理を求められるだけでなく、そうしたクレームや無理難題を出す客にも満足を与え、その航空会社が好かれるようにしなければならない。そこに感情労働が求められるのである。「この種の労働は精神と感情の協調を要請し、ひいては人格にとって深くかつ必須のものとし私たちが重んじている自己の源泉をもむしばむことが多い」ことも危惧されるのである。

  • 感情労働は、演技によって自己の感情を否定し、ごまかすことを求めるものである。それは会社が求める利益のために、自分の感情を否定しつづけるということである。それが続くことによって「労働者たちは、常に誠実であるように維持している自分の笑顔や感情労働が、本当に自分のものなのかどうかと、疑問に思う」ようになるのは避けられないのである。

承認労働

  • 労働者を自律した人間として承認する際に生まれる喜びの感情を掻き立てることによって成立する新たな種類の労働が誕生している。これは承認労働と呼ぶことができるだろう。他者による承認を求めたいというのは、わたしたち人間にとっては本質的なものである。

  • 現代の労働市場においては他者による承認を求める感情を刺激し、充足するようなかたちで巧みな労働調達が行われているように思われる。たとえば最近のドイツでは、企業において従業員を「賃金労働者」と呼ばずに、「労働経営者」と呼ぶのが流行しているようである。この呼び替えは労働者を経営の一部に取り入れて「幅広い<利害関係者>の間で権限を分担する取り決めを優先する」システムで採用されることが多い。世界的に次第に広がっていく傾向があると思えるこの呼び替えは、社員に経営者としての自覚をもたせることで、社員の能力をさらに全面的に活用しようとするものである。

  • 社員はもしも自分が経営者の一人であるという視点をもつならば、自分の労働の重要性を認識するようになるだろう。そして経営目標の実現のために尽力するようになるだろう。そして自分の業務がうまく遂行できないときには、経営者の視点から自己を評価し、自己の責任を痛感するようになるだろう。

  • しかしこれがたんに呼び替えにすぎず、会社の組織的なバックアップがない場合には、このような自覚は従業員の労働をさらに過酷なものとするだろうし、成果をあげようとしてみずからの発意のもとで行った作業が失敗した際には、本人の罪悪感を自己責任という名目で強めることになるだろう。自己実現を望む労働者の欲求を巧みに利用した承認労働は、労働者の自発性を刺激するという好ましい側面と同時に、抑圧を強めるという側面も備えている。

ギグエコノミー

  • 現在の日本では、個人が単独の労働力として企業と契約するギグエコノミーと呼ばれる労働形態が増えている。最近増えてきたウーバーイーツの配達員の仕事がその代表と考えることができるだろう。登録するだけで手軽に収入を得ることができる手段として、こうしたジョブは現代社会ではすでに不可欠なものとしての地位を占めているようである。しかし企業と自由な個人との対等な契約とされたこうした形態の労働契約は、仕事を手配し、賃金を決定する会社側にあまりに大きな権限を与えるものとなることも多く、労働者は自分の働く時間を選択できるという自由を確保できたとしても、重いハンディキャップを負わされることになる。

  • まず労働者は連帯する同僚がいないために会社との交渉の手段を奪われていることが多いだろう。また同僚との連隊は、仕事をする上での大きな喜びをもたらす関係でありうるのである。またある程度の収入を確保するためには、仕事のオファーをすぐに受けることができるように、自分の時間を空けておかなければならないだろう。これは家族との関係の構築には大きな障害になりかねない。

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