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吾輩のパートナーは猫である。

 僕は犬だ。

 でも僕は猫が大好きで、今ではもう、一年と少し付き合っている。

 猫と一緒に散歩する時が、1番ワクワクするし、猫を楽しませるのが僕の役目だと思っている。

 猫は食べることが大好きだ。元気が無くても、美味しい食べ物を食べると、とたんに笑みを浮かべる。

 僕達の1番お気に入りの散歩プランは、ちょっと都会に出て、ちょっと背伸びして、ちょっと街を散策して、田舎へ帰ってきて、ちょっと安心することだ。

 散歩の途中、猫はたまに切なそうにつぶやく。

 「どこか、遠くでのんびりしたいな」

 僕は当然、猫にはのんびりして欲しいなと思っている。だから僕は声をかける。

 「いいよ、僕がリラックスさせてあげる。」

すると 猫は、笑みをこぼした。

 「ありがとう、そろそろ帰ろうか」

 僕はそんな猫と一緒にいると、心の底から安心する。猫は、僕のことを理解してくれるからだ。

 

 でも、 猫は、僕とはちょっと違う。

  僕は多分、寂しがり屋だし、単純だし、いつも人間に助けてもらってる甘えん坊だ。

 その上、そんな僕を励ましてくれる、仲良しのラクダやタヌキもいつも側にいてくれている。

 何よりも、この世界が好きだ。

 とても過ごしやすいし、僕には世の中がキラキラして見える。

 昔と違って、餌も美味しいし、お水も綺麗だし、首輪も付けていても苦にならない。

 猫と会っていない時も、「賢い電話器」を使って、連絡も取れる。

 便利な世の中だ。

 勉強も遊びも散歩も、どんどん変化していく。

そんな世界に生まれて、僕は満足している。



 けれど、猫はちょっと違うみたいだ。

「石になりたいなぁ。出来ることなら、雲になってぷかぷかしたい。」

 どうして突然そんなこと言うんだろう。

 僕はいつも猫のことを考える。

 猫は何が好きなのか、何を食べたいのか、何が楽しいのか、何が幸せなのか。


 猫はたまに言う。

「気分だよ。自由が1番。難しいことはあんまり考えたくない。」


 なるほど、確かに猫は、突然家から出て行ったと思ったら、知らないうちに僕の元へ戻ってくる。

 僕と「賢い電話機」を使って連絡を取り合う時も、猫は好きな時に返事をくれる。

猫にとって、気ままに生きるのが心地良いのだろう。


 猫以外にも、「自由=幸福」の価値観を持つ者は多いはずだ。

 多くの哲学者が自由と幸福の関係性について語っている。


  幸せの形は人それぞれである。


  お金持ちになること、他人に認められること、何事も楽しむこと、学ぶこと、皆が平等であること、いつまでも若々しくいること、子供を育てること、恋人や家族を愛すること、、、、


  ちなみに僕の幸せは、様々な存在の価値を知り、大切な仲間達とその価値を共有することだ。

  これも、僕がブログを始めた理由の一つなんだと思う。


 ところで、今猫は幸せなのだろうか。

 僕の幸せの形について話したが、実は「猫の幸せ」が僕の幸せそのものでもある。

 誰かを好きになるとはそういうことだ。

 だから僕は考える。

 猫は今幸せなのだろうか。


 「現代は、昔に比べて自由な世界になった。」と考える者がいる。

 科学が発展し、人間はより便利な世の中を望むようになった。

 たしかに、昔に比べると、やりたい事を実現させやすかなっている、気もする。

 しかし一方で、特別「やりたい事」を持っている訳ではなく、素朴な日常を望む者も存在する。

「小さな幸せ」に敏感なのである。

  それはとても素晴らしいことだ。何気ない物や出来事に感動し、心を通わせ、安らぎを取得する事ができるのだ。

 ただ、僕は現代社会はある問題を抱えているように感じる。

  それは、「小さな幸せ」を「幸せ」と認識出来ない環境が蔓延していることである。

 ストレス社会、学歴社会、ネット社会、長時間労働などの問題は、「自由」と「幸福」の間に隔たるものの例である。

 「自由」を追い求めていけばいくほど現代社会では生きていきづらくなる、という逆説が生まれる。

 

おそらく、猫もこの社会環境下において、「幸福に対しての疎外感」を抱いているだろう。


 僕は、猫に特別感を抱いていた。

 だからこそ魅力的だったのかもしれない。

 なぜ好きなのか、どこが好きなのか、と聞かれても

 僕にはうまく言い表せない。(ただでさえ説明下手なのだから)

 ただ、猫が「小さな幸せ」、つまり素朴な日常を求めているのだとするならば、

 僕は、猫が「小さな幸せ」を「幸せ」と認識出来るようにしたいし、

 そんな環境を、少なくとも猫だけには提供してあげたいと思う。


 先ほど述べたように、幸せの形は動物それぞれであるため、僕が自分なりの幸せを他者に押し付けることはできない。

 そのため、世界を変えようなどとは決して思わないが、自由を幸せの源としている者が、生きづらい世の中になっていることは、大変心苦しい。

 だから僕は、せめて猫のそばで、「小さな幸せ」を「幸せ」に感じてもらえるよう、寄り添っていたい。

 

 伝わるかな、伝わればいいなぁ。


 みんなにとって、幸せって何ですか?


 これからも、沢山の幸せの形と向き合っていきたいです。

 僕自身の幸せのためにも。


 塵も積もれば山となる。

 僕は、猫と一緒に小さな幸せを日々積み重ねていきたいと心から願う。


 そして気がついた、

 僕はやはり猫のことが大好きで、

 僕は哲学が大好きだ。


Terima kasih.

Semoga sukses semuanya.🐶


 

 



 


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