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テキストエディタのこと

 どのエディタを使って文章を打ち込むのか。案外、これが大切なことなのかもしれない。とにかく、自分におって、使いやすいものを選ぶべきだ。それを選択することができれば、それだけで、答えに近づくことになる。
 文章を書くことは、簡単だが、面倒くさいこと。もっとシンプルに情報を表現する方法を自分の中で極めていければいいなと思っている。見えなくても、文章を打つことはできる。いや、むしろ、視覚を一時的に遮断すればこそ見えない文章を正確に捉えることができるはずなのだ
 文章は、「音」と「形」によって、捕捉される。おそらく、最初に頭の中にやってくるのは、「音」であろう。世界の向こう側にある、音が、その思念を呼び込み、それに意義づけを与える。世界は、膠着し、沈殿する。そうして、文章なるものができあがる。すべては、ばらばらなもののような気もするが、しかし、その実、もっともっと、明確に論理付けによって、その意味付けが成り立っている。
 それをうまく捉える方法を、つまりは、それをうまく生かせるマシンにを使用することが大切である。文章を打つには肉体働きが必須だ。その働きを、十全たらしめるために、文章を特価するためのテキストエディタが必要なのだと思う。一般的に簡単に文章を打つことは、どれでもできるように思うかもしれない。しかし、「すべの力を生かす」ということになると簡単にはいかない。それを可能にするには実のところシンプルな力が必要なのである。そのシンプルなものを求めていくのが今回の、話で、意外と様々な能力を得てきた、もろもろのワードプロセッサーは、その多様な能力ゆえにかえって、本質を見失ってしまうこともあって、結局は、ただただ、「早く打てる」という点がとても大切ことを忘れてしまっているように思う。
 自分なりに、様々なテキストエディタを使用するべきだと思う。しかし、なるべくシンプルにあるべきっだ。簡単に、簡潔に、それが複雑な文章を世界をよりシンプルにするための唯一の方策であると考える。

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