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生前説

いきなりな話をするが、
20代くらいまでの若い頃は、
自分の生きる価値なんてものをよく考えちゃって、
どれだけ考えたって価値は見出せない訳で。
価値ないな、
生きてる意味ないなとかって普通に思う。
今でもそこは変わらない。
自分で自分に価値を付けようなんてことがそもそも可笑しいんで、
わたしが自分に価値を見出だせないのは当然かなと今では思っている。
だからといって、
他所から無価値の値札を貼られるのも違う。


あれ?
何の話をここでしようと思ったんだっけ。
「価値」?
いやいや、
「意味」だ。
そうだ。
わたしは生きる「意味」ってことを主題にしたかったんだった。

あれ?
そういえば、
今まで「価値」と「意味」を同義で考えていた?
もしかしてわたしは勘違いしている?


書きながら気付いた(笑)


「生きる意味」って、
わたしが何を成し遂げるかとか、
誰にとって必要とされるとか、
そういう事じゃないんだ。
「意味」は、
わたしがどう生きたいかってことか。
という認識であたっていれば、
今わたしに生きる意味はある。



子どもの成長を見たい。
少なくともあと5〜6年は、
わたしには生きる意味があるのだと思える。
それ以降については…今はよく分からないけれど。


そもそも何でこういったことを考えていたのか。


毎度おなじみちり紙交換… 
じゃなくて(笑)。
我がnoteで常連の大森元貴氏なんですがね、
先日配信された新曲「アポロドロス」の最後の一節が凄く印象に残っていて。

今こそ
生まれてきた意味を刻む時だ

「アポロドロス」Mrs.GREEN APPLE

大森元貴の死生観のついてはまた別の記事で書きたいと思っているのだけど、
とりあえず、
彼の言葉から「生まれてきた意味」というワードが出てきたことが意外だったのだ。
曲を聞いてから、
曲について考えてみるのを楽しんでいるが、
このワードは脳内をグルグル回っていた。
わたしには自分が生まれてきた意味などないと思っているから消化できないでいたのだ。
自分の生に意味づけしようとするから心が辛くなるんだ。
意味などない。
ただ自分がどうしたいかだけだ。


結局同じこと言っている気がするが、
自分の願望=生きる意味 とは捉えていなかった。
自分の存在価値=生きる意味 と捉えていた。
行き着いている答えは同じに思えるが、
自分の願望と自分の存在価値は等しくない。
ちょっと説明が下手で伝わりにくいかもしれない。


そんなグルグル脳の中で、
今日読んだ漫画でちょっと更に考えた。

無料で読める部分なんだけど、
余命宣告を受けて緩和ケアに入る若い癌患者の話があって。

僕は死にたくないんだって知ったから
精一杯生きるなら
考えて 何かをやって
前に進まなきゃって思えたんです
そしたら
はじめて(死ぬことが)「いやだ」って言えました

フラジャイル 第4話「岸先生、助手が変です!」

生きるって、
前へ進むことなんだなって思った。
前へ進むって、
やりたい事とかやらなきゃいけない事があるっていう事。
自分が前へ進む動機。
わたしは自分のやりたい事を知るためにも自身と対話しようと思う。


先ほどの消化不良を起こしていた大森元貴の言葉について、
わたしなりの答えを見出だせた。
「ナハトムジーク」の一節にあった。

目の前の今日へ
踏み出す勇気もないけど
振り返ってみれば
足跡は続いているから

「Dear」Mrs.GREEN APPLE

前へ進むと、
後ろには足跡が残る。
わたしは足跡を刻むことにする。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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