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「アポロドロス」がうたう世界平和

7月3日0時配信スタート
Mrs.GREEN APPLE「アポロドロス」

テレビ朝日パリオリンピック番組の応援ソング。


今年に入って、
ナハトムジーク
ライラック
Dear
コロンブス
と新曲たちが続々。
そして先日HONDA新型FREEDのCM曲で、
「familie」も。
そうか次の新曲はこれかぁ…
配信はいつかなぁ…
なんて思っていたファンたちだったが、
7月2日の夕方に突然「アポロドロス」の配信予定がお知らせされた。
買い物のレジ待ち中に何気なく開いたスマホ画面上の文字を見たわたしは、
「え??」
って声出ちゃったよね。
「familie」じゃないんかぁい!ってね。(心の声)
「アポロドロス」というのはどうやら人の名前のようだが、
ギリシャ神話の編纂者が濃厚説なのだが、
ダマスカス出身の同名の建築家もいる。
どちらもピンとくるものが今のところ見いだせず、
今回は触れないでおく…


⚠ ここからはあくまでもわたし個人の解釈です ⚠

まずはじめに、
この楽曲作成について大森元貴がこう言っている。

「実はこの楽曲は10年ほど前に 当時オリンピックを意識して描いた曲との2部構成になっていて組曲になっています。闘争心、激動な思いと、安らぐリラックスした壮大なゾーンみたいなもの、静と動がテーマだったりします。数年越しに自分とも対話をしたような感覚ですごく有意義な制作でした」

THE FIRST TIMES

なんと10年前にオリンピックへの曲を作っていた。
歌詞を読むと少しだけ幼さを感じたが、
なるほどそう言うことか?と思った。
どれほど当時の自分の言葉を残して、
あらたに今の自分から出る言葉を加えたのかはわからないが、
荒々しい感情と大きな愛情が混ざった曲になっているように感じた。


イントロでしっとり目のピアノの音が流れ、
水の滴(汗?涙?)の音と共に、
時間が巻き戻るような音が入る。
そしていきなりポップなサビに切り替わる。
若い頃に聞いていたような洋ロックのような印象を持った。
サッカーの観客のような合唱が聞こえたかと思えば、
突然ワルツになる。
背後では弦楽器の音が優雅に聴こえる。
ジャズ調のピアノも聴こえる。
様々な曲調が4分44秒の中に組み合わさっている。



歌詞は、
まず選手たちへの周囲からのエール。

辿り着く果てまで
苦しみは尽きぬけど
歓声に身を任せて
期待×不安定
望んで突き抜けろ
広げた腕で待っている 今

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

結果によらず、
我々は喜びも悲しみも悔しさもこの胸で受け止めるから、
どうかここまで辿り着いてほしいという願いのよう。

辿り着く果てなんて
あるかわからないけど
感性に身を任せて
不安を掛けないで
割って 突き抜けろ
張り詰めた身体が踊っている

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

不安に包まれるのではなく、
その不安を打ち破ってほしい。
「張り詰めた身体 ⇔ 踊っている」というまるで相反するような言葉で、
選手たちが緊張しながら競技に臨むその姿を現しているようで、
その表現に感銘を受けた。


次に選手側のアンサー。

唯一無二の人になりたかった
あぁ 認めたくないな
褒められたかった

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

国の代表で競技に臨む選手たち誰もが望む結果を得られるわけではなく、
メダルを獲得する人もいれば、
あっという間に競技を終える人だっている。
選手たちに届く言葉は称賛だけではないのかもしれない。

良い人なんかじゃないよ
怪我をした心は痛いよ
神様は何をしているの?
観ているの?

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

応援ありがとうございました。
そんな風に言葉を返していても、
心中は傷ついている。
あれだけ努力して努力して努力して…
なのに神様は助けてくれなかったのか…
絶望を感じてしまう人もいるかもしれない。
それでも時間が経てば、
努力も成果も当時の想いもすべてが綺麗な思い出になる。

いつかおとぎ話のように
綺麗になってしまうのかな
血と汗が ただ

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

いつの日にか
あの朝も
消えるんだろうか
その時が来るまでは。

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

結果の裏に隠されている計り知れない努力が、
当の本人の中でさえ良い思い出になってしまう日が来るかもしれない虚しさを表現しているようにも聞こえる。


イントロのピアノと、
アウトロでも同じメロディーでゆっくりテンポを落としてピアノが流れる。
わたしのイメージではオルゴールだ。
バレリーナのような陶器の女の子がくるくるスピンしている様子が目に浮かぶ。
最初と最後が同じメロディーになっていることから、
ずっとリピートしているようにも思える。
オリンピックを夢見て歩んできた選手たちは、
そこへ焦点を当てて計画を立て取り組むのだろうけれど、
オリンピックに出場した後は、
また次のオリンピックへ思いを馳せる。
そんな終わりなき戦いもまた輪で表現されているのかもしれない。



一方こうも考える。
近代オリンピックは、

人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励すること

オリンピック憲章

とあるように、
世界平和を目的としていることから、
リピート🔁させることで「輪→和」を印象付けたのではないかとわたしは考えた。
歌詞の中にも、
「輪」という言葉が出てくる。

ゴールテープを探そう
輪になって語ろう
本当に我々は
遠回りする生き物

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

もちろん五輪のことを想起させるようにだと思うが、
そもそも五輪は五大陸の団結・世界は一つという意味がある。
平和な世界・一つになった世界が目指しているゴール。
まぁるくなって語ろうよ。
簡単なようで、
簡単ではないから、
今でも実現できていない。

嫌気がさすよ 共々
灰になって空を舞おう
本当に神々は
私たちを試している

試している

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE

神々は、
我々がそのゴールへ辿り着けるかどうか試しているのかもしれない。
「灰になる→燃え尽きる」と捉えるなら、
選手たちが力を出し切るということをイメージさせるが、
この並びで捉えなおすならば、
「灰になる→死」なのではないか?
過去、
戦争などで命を落としていった人々の無念さを表現されているようにも思えた。


今回、
歌詞の中に「神」「神々」が登場している。
正直大森元貴の中から直接このワードがチョイスされるとは驚いた。
もちろんこれまでも聖書や神話などを元にしている部分は大いにあるので不思議ではないのかもしれないが、
想起ではなく直接的に表現されている。
それは恐らく古代オリンピックが関係していると思われる。

古代オリンピックが神々の父であるゼウスに捧げられた、宗教的祭典だったということである。ギリシア人は宗教の本質を、神々と人間との互恵関係として理解していた。神々が繁栄と幸福をもたらしてくれる返礼として、人間は神々にさまざま贈り物をする。オリンピックは、人間がゼウスに奉納する最大級の贈り物なのである。

〜 中略 〜

近代オリンピック120年の歴史には、2度の大戦による大会中止をはじめ、テロによる選手殺害事件(1972年)や、大国によるボイコットの応酬(1980年、1984年)などの出来事があった。他方、その10倍に相当する1200年もの長きにわたり続けられた古代オリンピックにおいて、戦争が原因で大会が中止されたことは、ただの一度もない。神々への敬虔が、それを許さなかったのである。

UTokyo FOCUS「古代オリンピックの知られざるリアル/橋場弦/オリパラと東大」

現代のオリンピックを観て、
神々は我々に何を思っているのだろうか…


最後に、
大森元貴から選手と私たちへのエールの言葉。

綺麗な花もいいけど
傷をも誇れる花になろう

『アポロドロス』 Mrs.GREEN APPLE


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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