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感情の記憶

先日のCDTVでBUMP OF CHICKENが歌っていた。
滅多にメディアの前に出てこない彼らが。
これはちょっと飛びついてしまった。
相変わらず「いい声だな」と思う。
ここ最近の曲は「曲」として聴ける。
ところが、
「ray」が流れた時、
更には「天体観測」が流れた時、
聴けて嬉しいと思う一方で、
胸元がザワザワしていた。
なぜか?
それらは良く聞いていたからだ。
バンプとの出会いは18歳。
バンプがメジャーデビューした頃。
友達の勧めで聞くようになった。
すっかりハマったわたしは、
登下校中など移動時にMDプレーヤーで聞いていた。
実家から離れて孤独に襲われていた時、
就職してボロボロだった時、
結婚して、
上の子が生まれて、
車中の音楽はバンプのCDが繰り返し流れていた。
事実上、
彼らの曲に自分の背中を預けていたような存在。
自分の数々の記憶とリンクしている。
それらの記憶と結びついている感情もまた同じ。
今バンプの曲を聴くとザワツキ始める胸は、
その記憶と感情に反応してしまっている。


また新しい記憶と感情を結びなおせばいいのか。


残念ながらそうでもない。
「今の」自分が聞いても、
背中を預けることができないのだ。
それは、
彼らの作る曲に変化を感じてしまったから。
違和感を持ってしまったから。
彼らの変化にわたしの気持ちがついて行かなかった。
同じ様な感覚で離れた人もいるのではないだろうか。


でもそれは普通の事で。
彼らはプロとして同じで居続けることは許されない。
これからもたくさんの人に曲を届けたいと願うのならば、
進化を避けていてはいられない。
例え離れる人が出てきたとしても、だ。
目指したい場所があるならば、
留まってはいられないのだ。


そして受け手側もまた進化している。
同じ場所に留まっていることはできない。
背景は変わる。
想いも、
経験も、
価値観でさえも変わる。
絶対はない。
「一生推せる」なんて言葉を実践できる人がどれほどいるだろうか。


彼らが預けてくれていた背中から背を離し、
立ち上がったのは自分自身だ。
彼らは想い出になった。




Mrs.GREEN APPLEとは休止期間中にであった。
精神的に一番安定した時に、
ただ曲を聞いて、
なんとなく聞くようになった。
聞けば聞くほど好きになった。
人も好きになった。
のめり込んでいると思う。
それでもバンプの時とは違うと思っている。
何が違うか?
感情がリンクしていないという事がである。
もちろん今のところは…ではあるけれど。


以前父についての記事を書いたことがあるが、
その時は角野隼斗の曲と父の記憶をリンクさせてしまった。
それ以降は曲を聴くたびに胸がザワツキだしてしまうようになった。
父に関しては思い出したくない過去ではないので、
ある意味いい機会なのかもしれない。
ちなみに、
父の運転する車中で流れていた谷村新司とさだまさしを聞くと同じく思い出せる。



脱線しました。


ミセスは好きだ。
曲も常に聞いている。
生活の一部だ。
思考を巡らせる機会をもらっている。
純粋に?
大森元貴の言葉を借りれば、
ヘルシーに、
Mrs.GREEN APPLEにのめり込めている。



ちょっと意味がわからない(笑)


わたしは活動休止前の彼らを知らない。
ただ曲を聞き、
活動再開した「ニュー・マイ・ノーマル」を観た時ワクワクした。
曲にも、
そしてビジュアルにも。
それ以前(以下フェーズ1)のMV等で見ていた様子とまるで違っていた。
フェーズ1の頃の思い入れがないので、
違和感などはまったくなく、
きらびやかなMVの中で、
とても楽しそうに歌う姿に魅了された。
その後の彼らはとても多彩だ。
メイクをする。
髪色を変える。
音楽劇をする。
外語で歌う。
ドラマに出る。
まったく飽きさせない。


それでも中には彼らの変化に戸惑う人たちがいる。
ロックバンドなのにダンスする?
アイドルか?
5人で活動していた頃が良かった。
どこに向かっているのか分からない。
もうファンやめようかな。
そんな声が聞こえてくる。
この2年で急加速的にファンを増やしているが、
その一方で、
離れていった人たちも実際いるのだろう。
フェーズ1の頃の、
数々の記憶と感情が、
今の彼らの変化を受け入れられないのかもしれない。
彼らの変化のスピードが早すぎて、
気持ちが追いついていかないのかもしれない。
フェーズ1の頃のファン層は、
圧倒的に若い世代だったろう。
青春時代真っ只中の子たちの背中を支えたのではないだろうか。
フェーズ2になってからは、
ファンの年齢層は幅広くなり、
小さい子から80歳代の方もいると聞いたことがある。
若い世代にとって、
自分たちのミセスが大衆化していくように思えてならないのかもしれない。


もしわたしが、
10代20代でミセスに出会っていたら。
フェーズ1の頃に背中を預けていたら。
果たして今の彼らを受け入れていただろうか。


彼らはこれからも進化し続けるだろう。
目指したい場所を明確に描いているだろうから、
そのために成すべき事がまだまだたくさんあるのだろう。
それはいわゆる古参と呼ばれる人を置き去りにするようなものに思えるだろうか。
大森元貴は「置いていかないよ」と言っているにも関わらず、
以前から好きだったファンにとっては蔑ろにされている感覚があるのかもしれない。
これだけ人気が出て忙しくなりながらも、
数々のライブを開催したり参加したり、
メディアへの露出を増やしたり、
SNS等での投稿やインスタライブもこまめにこなす。
それでも、
不満の声が尽きることはない。
だからといって辿り着きたい場所へ行くことを諦めたくはない。
だから進化を止めてはいけない。
だから彼らは、
人間(ファン)の尽きない欲望(我儘)と闘っている。


今の年齢で彼らに出会えたことは、
わたしにとっては有り難いことだ。
彼らの全てを追いかけている訳でもなく、
全ての感情を預けてしまわないように、
そんな一線の引き方で推し活を楽しんでいる。
もしかしたらそのうち、
自分から離れる日が来るのかもしれないが、
それもまた仕方のないことだと受け入れられる。


今はただ楽しい。
それだけで彼らに感謝しかない。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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