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命欠けること と 軸を守ること

先日配信された「ライラック」という曲の冒頭の一節に心掴まれる。

過ぎてゆくんだ今日も
この寿命の通りに
限りある数字が減るように
美しい数字が増えるように

「ライラック」 Mrs.GREEN APPLE より

生命は、
生まれてきた瞬間に、
死へ向かって進む。
一見マイナスにも聞こえるが、
これは逃れようのない事実である。
それぞれ長短の違いこそあれ、
いずれその日は訪れる。
わたしたちは命の消費者なのだ。


「ライラック」の考察はまた後日。
今日はまた別の話。


昨日放送されたEIGHT−JAM(前・関ジャム)。
ゲストはポルノグラフィティの岡野昭仁と、
森山直太朗だった。
森山直太朗は数年前歌うことが難しくなった時期があったという。
周囲が求めるカタチを追いかけている内に、
「自分」がなくなってしまった。
もう今後歌うことができなくなるかもしれないとさえ思った。
そんな中、
ハナレグミの永積崇の言葉が契機になったと。

「家で歌っているような感覚を取り戻したほうがいい」

「俺たちミュージシャンって、どうしても人前に晒されて、照明たかれて、マイク目の前に置かれて、どんどん表現が奇形していく。求められるとそこばかり擦って、そこばっかり癖が強くなっていく。だけど自分のゼロポイント、原点みたいなものは失わない方がいいよ」

なんの縛りもなく、
ただ自由に、
歌いたいように歌う。
家で歌っている時の方がいい声が出ることがある。
外が求める形よりもまず、
自分がどうしたいかが大事だと。
自分が好きだと思える状態を原点として忘れないでいようと。


最近似たような言葉を聞いた。
Mrs.GREEN APPLEの大森元貴が言っていた。
「自分が好きだと思えるミセスであればいい」と。
きっとそういうことなんだろう。
彼が、
彼らがミセスであり続けるために、
原点を忘れないでいればいいのだ。
これが何より大切なのだ。


わたしたちは求めすぎる。
新曲はまだか。
映像化はまだか。
TV出演はまだか。
LIVEはまだか。
更新はまだかなど。
とにかく彼らを消費しようとする。



歌手をはじめアーティスト限らず、
わたしたちは常に誰かの命の消費者であることを頭に置いておくべきだと思わされた。
今回のアーティストの話を中心に置くならば、
わたしたちは彼らが作った作品を消費する。
消費するということは減っていくという事。
だから生み出し続けていかなくてはいけない。
彼らは時間と労力を削って生み出していく。
進化を止めてはいけないのだ。
そうして彼ら自信、
自分の命を消費している。
時間は有限。
自分軸をしっかりと持っていないと、
ただ削られ、
下手をすれば自分が消えてしまいかねない。
絶対に譲ってはいけない軸を見失わないでほしい。


自分の行動が安易に誰かを消費していないか、
慎重に行動したいと思った。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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