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学ぶ

作文が得意から始まって、二十年は趣味で書いている。

作文の延長のエッセイ、少し頭を使って小説かシナリオ。

より良く書きたいがために、文章を教えてくれる場所へも通う。

そういう場所で学ぶ最大の利点は、ちゃんとした書き方を教えてもらえるということだと思っている。

そのためにあるんだから当たり前だけれど、教えてもらえる「ちゃんと」の中身というのが自分ではなかなか気づけないものだから、お金を払う価値があると分かる。

ネタをどう面白くするか、台詞の作り方に活かし方、場面の取捨選択……。

自分でもある程度、書いていればそれなりに考えられはする。

でも、そこに第三者の目線と感覚を取り入れられる機会も教えの場では得られる。

「行間を読む」「読み手、聞き手に想像させる」その意味や、面白さがどれほど大切かもそういう場で改めて確認出来た。

ただの説明文を書いてはいけない、変に洒落て詩的になってもいけない。

それと何より大切なのは、文法上の最低限のルールは守る。

この二つの決まり事を、明言されたわけではないけどじっくりと叩きこまれた。

というより、これは大前提として知っていたから「やっぱりそうだよね」と頷いた感じだ。

最近youtubeの朗読用のシナリオを書くようになって、この二つの最低限は何が何でも曲げてはいけないものだと強く意識するようになった。

シナリオの質を保つのに大切なことが、それだと思ったから。

それと自主的に、もう一つの決まり事を設けた。

意味が分からない、意味に迷った言葉はちゃんと調べる。

これは趣味の書き物でもずっと続けてきたことだけれど、賃金の発生する仕事をするうえではとてつもなく重要だと判断した。

使おうとした言葉の意味が曖昧だったり、自分が意図したいところと合うのか悩んだら迷わず辞書を引く。

今時と言われようが、そのために紙の辞書も揃えている。

国語、漢和、類語。

定期的に買い替えて、パソコンのようにアップデートもする。

賃金に見合わない労力が発生していたとしても、シナリオの質の維持と自分の筆力の為にも続けていくつもりだ。

頑固やこだわりが強いと思われるかもしれない。

けれど自分が学びの場で得た最低限の決まり事は、文章を書くなら基本の大切な要素だと信じている。


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