見出し画像

初めまして。

某大使館職員をやりながら副業で絵を描いているShunと申します。名前はShunですが、若くはありません。とは言えまだジジイではありませんよ笑

東京生まれで小中と青学に通っておりました。あの頃は何も思いませんでしたが今思うと凄い学校でした。高校はアメリカ留学をさせてもらいました。その後、大学は英国のUniversity of the Arts Londonという所のセントマーチンズカレッジ(BA graphics/illustration)を卒業。それから色々と経て今に至るわけですが、まあキャリアー的には輝かしいのですが、黒歴史もあり。涙と汗と笑いと恋。裏切りや愛や超能力。嘘や真実と光と闇とまあ極端に波瀾万丈な44年間を過ごして参りまして、先日ガンかも知れないと医師に伝えられ来月に検査施術をする事になりまして、以前から考えていたNoteにて自分の人生の断片(カケラ)を残しておきたいと考え、今回Noteを始めるに至りました。

高学歴にバラエティに飛んだ(輝かしい)職歴とは裏腹に世の中の闇も多々見てきている自分ですが、闇が強い人は光も強いのです。逆もまた然りです。光に包まれている、ポジティブで社会的にも安定した所謂「素晴らしい人」には「素晴らしくない」部分があります。陽の光が強ければ影もまた濃いのと全く同じ事です。ただだからと言って「悪い」訳ではありません。愛のある素晴らしい家庭に生産的な仕事。安定した収入を得ている人が実は大のホラー映画好きで、エルム街の悪夢とかsawとかブレア・ウィッチ・プロジェクトが大好きでも誰も構いません。狂気は誰の中にでもあるのです。
ただ、法律とは無関係に世の中にはしてはいけない事があります。それは人の金や物、愛してる人を奪うという事から車を傷つけたり、卵を投げつけたり、自転車のタイヤをパンクさせる悪戯をしたりという当たり前の事から人を傷付けない。不快にさせないといったマナー違反までありますが、では果たしてこの地球の何人の人が一生のうちで誰も何も破壊せず、傷付けず、いつも笑顔で爽やかにしていられるのか?恐らくゼロではないでしょうか?
人は「痛み」が好きなのです。それが「痛すぎ」ない場合に限り。では一体どこからどこまでが「心地よい痛み」でどこからが「苦しみ」なのでしょうか?それを決めるのは誰でしょうか。現代では最終的には裁判官ですが、訴訟を起こせず泣き寝入りするパターンも多々あるし示談に持ち込むパターンもあります。それが問題とされた場合にはです。それに問題にされるされないの定義が曖昧なので喜怒哀楽のある人間は、日々の営みの中で一喜一憂して過ごしていっている訳ですが、つまり全ては愛であると考えるとこれまた納得がいくものであり。愛とは痛みとそれに対しての感謝の気持ちの連鎖の事なのかなとも思ったりで、と前置きが長くなりましたが、こんな感じの事を書く人ですが、これからこんな感じの文を書いて行きたいと思っていますのでどうぞひとつ宜しくお願い申し上げます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?