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ビジネスと趣味で写真を10年間続けた人間がわかった、写真で生きること。

はじめて一眼レフを買って好き放題とりはじめて
気づけばもう10年。

この10年間をふりかえりながら、起こったことを書き記す

1年目、5年目などとふりわけて
当時の自分に起こったこと、今だからわかるアドバイスをかいておく
きっと同じような気持ちになってる人がいるだろうから少しでも参考になったら嬉しい

■1年目
とにかく自分がシャッターを押してキレイな写真が撮れるのが嬉しかった
ペンタックスのエントリーモデルを買ってその後ニコンのD700ってカメラを買った。
気に入った夕焼けなんかは撮れるんだけどプロが撮ったみたいな背景がボケた写真がどうやったら撮れるのか調べた
どうやらF値というのが小さいレンズで撮ってるらしい
50mmf1.4てレンズを買って撮ってみた
「これだ!」ってなった
出てくる画質のすばらしさに感動した。
ニコンさんの技術力を借りてるに過ぎないが
自分がこんなキレイな写真を撮れるなんて信じられなかった

■2年目
てきとおに遊んでた

■3年目
仕事もしないでプラプラと好きな写真を撮ってた僕に友人が
そろそろニート飽きないの?
写真好きならそういう仕事したらいいよ。
ってアドバイスと求人広告をもってきた。

結婚式の写真撮ると半日で3万円もらえるのか。
これはいいバイトだなーと思ってその事務所に面接にいった。
過去のポートフォリオ(てきとおに撮ったやつ家のプリンターで印刷しただけ)をみせたらそのまま研修日が決まっていつの間にか仕事してた。

■4年目
「写真好き」にはなぜか聞いてもないのに先生づらしてくるやつが沢山いる。
はだくん、これはこうやって撮るんだよ。
写真はこれが正しい。
写真とはこうだ!だのと。

全部無視しろ。
自分の心に刺さったり、適切なときに適切なことだけ教えてくれる人には感謝しよう。
でも「教えてあげてる自分すごい」みたいな気持ちに酔ってるゴミが
いるので、どんなに偉そうなこといってても無視していい。
そいつが教えてるときの態度や顔をみてれば何が本物か自分でわかるはずだ

■5年目
有名な芸能人や場所を撮ることになる。
その結果を他人に見せると褒められたり崇められたりする。

ここで初めて自分が認められた気がする。
誰にみせても恥ずかしくないし、称賛される。

写真は共感されないことや認められないことが多いから
とても嬉しくなるだろう。

喜んでいい。

けどそれは君の力じゃない。
君の写真がよかったわけじゃない。
被写体の力だ。

被写体の魅力を引き出したとかそういうことはあるかもしれないけど
撮られなれてるから表情作りがうまかったり
そもそもがキレイなものだっただけの可能性が高い。

その仕事を任されたのがすごいとか
そこを全力でやりきったことは自己評価して良いと思う。

でも君が翌日、同じセッティングで駅前でもらったポケットティッシュを撮れば同じ評価は得られない。
もっと技術があがってもだ。

それを忘れずに写真と向き合ったほうがいい。
世間の写真の評価とはそんなもんだと知るいいきっかけになる。

被写体9割とはよく言ったもんだ。

■6年目
色々と自分が撮れるバリエーションが増えるとクライアントからの
要求に応えられるようになる。
すると「自分が思う良い写真」と「他人が求める写真」のギャップが必ず訪れる

仕事として引き受けたときはお客さんが要求する写真を撮るべきだと思う。
それで対価をもらってるんだから。
でもその中にオリジナルを混ぜろ。
それはライトでもテイストでもこだわりでも色でもなんでもいい。

そうじゃないと自分がやってきたことに胸をはれなくなる。

他人が求める「もっとインスタばえるようなやつ撮れます?」なんてゆうオーダーに君は意気消沈するだろう。
それに答えながらも自分でいることはすごく難しい。
でも答えながら自分を差し込んでいくことを工夫するといい。

■7年目
こんだけ色々できてしまうと自分の好きな写真とはなんだったのかわからなくなる。

そんなときは初心にもどってスナップしてみたり、好きなものをとり続けるといい。
自分の心が揺れるものを素直を撮ればいい。
もちろんお金にもならないし賞を撮るものでもない。
結果の伴わないものになるけどそれでいい。

■8年目
写真で仕事をもらえるようになるとまた同業者や他人の自慢が聞こえてくる。
予算の大きな仕事や大きな代理店が絡んだ仕事をしてる人が偉い=その写真こそが価値があってそれ以下の予算やギャラの写真は劣る。ような言い草だ。

この罠の恐ろしいところは、確かに有名な広告を撮ってるフォトグラファーは優秀だし、憧れもある。
だからその通りだと疑わないんだけど
それを語ってるやつらは何も関係ないやつらだ。

でもそんな事を耳にしてると自分ももっと大きな予算やギャラの仕事が欲しくなる。
だからそれに向かって努力することはとても良いことだが
それ以外の写真を見下してはならない。
優劣はつけてはいけない。

自分でいることや自分が過去に撮った写真に胸をはれるようにしておけば、有名なフォトグラファーの写真と自分を比較して優劣をつけるような気持ちにならなくてすむ。

素直に今の自分を受け入れられるはずだ。
いつか撮りたかった人や広告なんか撮れるといいなあって素直に思える。
比べるな、自分でいろ。

■9年目
お金が欲しくて写真を仕事にするのは別に構わないけど
お金の為ならもっと違う仕事をしたほうがいいと思う。
資本主義社会で労働をしてる以上、大したお金は手に入らない。

違う仕事や投資をしてお金を得るほうが写真で稼ぐよりもはるかに簡単で楽だから。

その得たお金で好きな写真を撮ったりカメラを買ったほうが幸せだと思う。

■10年目
これからどんな10年目や先の10年を迎えるだろうと思うと
ワクワクする。
不安もあるけどワクワクが勝るのは
未来が明るいからだ。

何も根拠なく明るいわけじゃない。

今まで通りに技術を探求すること。
それと別に自分らしさみたいなものを探す為の一歩がやっと踏み出せるようになった。

今までの個性なんてのは大したことなかったと思う。
ほとんどメーカーさんの技術力だと思うし。

やっと出かける準備が最低限揃ったので
やりたいことをやりたいようにやってみる。

それでダメならそれが自分なんだから仕方ない。
誰かに言われたようにやってダメになって後悔するよりはいいと思う。

以上簡単に過去の自分に出会ったら自分はどんな事を伝えるかを書き記してみました。
箸にも棒にもかからないような記事かもしれない。
でもこれからシケってしまうかもしれない人がこれを読んで
「写真すること」に向き合ってくれたら
これを書いたことが報われる気がする。

僕にとっての「写真すること」は基本的に孤独なもの。
その孤独な分だけ報われたときの嬉しさがある。

死ぬまでに間に合うといいなと思いながら今日も写真する。

反響があったらまた記事をかくよ。

--はだちゃん--
M.HADA photography

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