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沼のそうぞう力

沼とか泥とか、古代人にとっては神を感じるものの中でも大きな領域を占めていたんじゃないか、という気がする。

つまり、

病(呪い)の源泉であり、
作物の生育は良い。
水ほど液体的でもなく、土ほど固体的でもない。
底があるのかないのかも分からず、足をとられると脱出は困難だ。
有るものがそこを潜ると別の状態になる。

という風に沼には恵みと煩いが同居している豊かで昏い場所として古代人に印象づけていたんじゃないか。

ひょっとすると、変身譚や異類婚姻譚のなかには沼を介したものがあるんじゃないか。小栗判官もたしか、みどろがふちの蛇と交わったところから物語が動くし。

ハマって抜け出せなくなるコンテンツを沼という。

これは「脱出が困難だ」という意味でのみそう呼ぶのではないのかもしれない。つまり沼は

偏執狂(病)の源泉であり、
快楽(作物)の生育は良い。
知れば知るほど奥が深く(ゾル状)、
どれだけ知っても興味は底を尽きず、ぐいぐい身をもっていかれる。
沼にハマるとその者は別の状態になる。

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