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親ガチャとレゴ

 親ガチャという言葉が流行った。最初はあまりにひどい言葉に思えたが、よくよく考えてみたら何も当たり前の言葉である。ガチャに外れはないのだから。以上。  ガチャはおもちゃであって、遊びであって、そこに善いことも悪いこともない。人生だって遊びであって、そこに善いも悪いもあってたまるかと思う。これは言葉遊びだが、言葉というのはおもちゃであって、本来は遊ばないといけないはずだ。それだけが、AIに出来ない言葉の使い方ということになる。  学校の担任の先生は選べないが、そこに当たりも

    • さわやかだった一日

       東京の大都会で過ごす大学生活はあまりに退屈だった。しかも当時はコロナ・パンデミックの真っ最中で、学生寮の一室、普通は二人一部屋なのだがCKという奴は相部屋がいなかったから、そこで集まってぐだぐだと過ごすくらいしかやることがなかった。時たま、非常事態宣言でも営業している居酒屋があって、それが違法なのだろうかなどぼんやり考えたりしつつ、そこで思い切り飲むこともあった。しかし、唯でさえ辛い二日酔いに、さらに余計な罪悪感が乗っかるものだから、いくら若いとは言えどしんどいものがあった

      • 知恵と文学

        「あんた、宗教とか勉強してるんでしょ。死んだらどうなんの」  母との会話は突然始まった。  私はもともと東京にある理系の大学に通っていたが、ちょうど入学したタイミングでコロナ・パンデミックが始まり、最初の半年間は岩手の実家でオンライン授業を受けていた。あまりにも退屈だった。高校生の頃は国語の授業なんて大嫌いだからという理由で理系クラスを選択したくらいで、本なんて高校三年間で一冊も読まなかったというのに、とうとう祖母の本棚を漁ってホコリまみれの世界文学全集を読み始めた。最初

        • 新しい文学とAIと人間と神様と

           AIにエッセイを書かせてみる。美しい文章だった。間違いなく正しい日本語だった。若者の日本語はけしからんなどと言ってきた人たちは大喜びだろう。そして、日本語の間違いを探す仕事にはAIが最も適任だということになる。  人間にしか書けない文章、という言葉を使うことは、その最新技術に対する無知をさらすだけで、早かれ遅かれAIの文章だから悪いということは誰も言わなくなる。なぜ今私は文章を書いているのだろうか。  昔、といってもだいぶ昔の話だが、フランスで今という瞬間にあれこれ考え

        親ガチャとレゴ

          選挙に行くのはやめよう

           人間はみんな飽き性で、退屈に耐えられなくて、だから、小池都知事の当選は、決して多くの人が現状維持を望んでいることに起因するのではない。政治を変えたいと考えて投票する人も、別にどうでもよくて投票しない人も、政治の現状維持を望んで投票する人も、みんな自分の生活に変化を求めている。    生まれてから死ぬまで、自分の生活という世界の他に世界はどこにもないから、日本を変えたいと言うことと、自分の生活を変えたいと言うことは同じこと。人間が生きていることは現状維持の対義語で、生きている

          選挙に行くのはやめよう