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呪文

昔。

まだ海外にいた頃。

ある時期、超、ストレスだらけの毎日を過ごしていた。

メンタルがドロドロで、生まれて初めて過呼吸みたいになった。

苦しくて、辛くて、寂しくて、

このまま死ぬのかな?

あれ?楽になれるのかな?

と思った。


でも不思議な事に、

楽になれたらいいな、と思いながらも

息をしようと必死にもがいていた。


運ばれた病院で

無表情のインド人看護師とドクターに体を押えられ

酸素マスクをつけられ

足の指をペンチでつねられた。(麻痺の確認)

頭がクラクラするほど酸素が入ってくる。

余計に苦しいわ、足の指は痛いわで大暴れをし

うっかりドクターを蹴飛ばしていた。

「これだけ動けたら大丈夫 」と鼻で笑われ

鎮静剤的なものと栄養点滴をうたれて眠った。

目覚めるとヒンドゥーの女神のような整った顔立ちで

額と指先に赤い印をつけた看護師が来てくれた。

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体調はどうだ? 普段は何をしているのか?

世間話をしていると、なぜだかこの人にだけ

弱音を吐いた。

「あなたは素敵だ」「あなたは美しい」

私が弱音を吐いた分、褒めてくれた。


「あなたがネガティブな言葉を吐いたから、私がポジティブな言葉で打ち消したわ」

と言った。

I’m Sorry

Forgive me

Thank you

I love you

「いつもこの4つは足りないものなの。」

「あなたや、あなたの周りにネガティブな思いがある時、コノ4つが足ていないのよ。だから心のなかで繰り返しているといいわ。きっとバランスがとれてくるから」


ヒンドゥー教の教えなのか。

そういう類の宗教かなにかなのだろうか?

ぼーっとした頭で聞いていた。

それから、しばらくは手持ち無沙汰な時や

無心になりたい時に なんとなくやってみた。

実際、害がある訳でもなく、変な宗教に勧誘された訳でもない。

悪いことではなさそうだし、心の問題よね。

そう思って、できるだけ意識して唱えた。

どういう訳か、物事がだんだん良くなって行った気がする

おそらく、ただ、時間の経過とともに物事が変化しただけだろう。


それでも。


今でも、行き詰まると繰り返している4つの呪文。

私だけの気休めなんだろう。

手のひらに「人」と書くのと同じような事だ。


でも

しているようで足りない謝罪と感謝

伝えているようで、出来ていない愛情表現


行動で示せなかった分を補うために

家族のため、知らない誰かの平和のため

なんとなく、今日も唱える。



#優しさにふれて


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