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『竜とそばかすの姫』 にコロサレル!

最初に言っておきたい事は私はアンチ細田守ではなくむしろ『時をかける少女』とか『サマーウォーズ』は何度も観返すくらい好き。
彼のきっちり3年ごとに新作を作りきるマネジメント能力も素晴らしい。
しかし近年の細田作品にはどーしても言いたいことがある。
そんな想いで今回はnoteを書こうと思い至りました。
決してポジティブな事ばかりではなく、むしろネガティブな事の方が多くなると思うのでそれが嫌な方はここで見るのを止めてください。

※以下ネタバレしているので未鑑賞の方はご注意ください!


イントロ。

青春、家族の絆、親子愛、種族を超えた友情、命の連鎖…。
様々な作品テーマで日本のみならず世界中の観客を魅了し続けるアニメーション映画監督・細田守。
最新作『竜とそばかすの姫』では、かつて『サマーウォーズ』で描いたインターネット世界を舞台に、『時をかける少女』以来となる10代の女子高校生をヒロインに迎えた。
そこで紡ぎ出すのは、母親の死により心に大きな傷を抱えた主人公が、もうひとつの現実と呼ばれる50億人が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>で大切な存在を見つけ、悩み葛藤しながらも懸命に未来へ歩いていこうとする勇気と希望の物語だ。
現実世界と仮想世界。2つの世界、2つのアニメーション。
細田作品ならではのリアル×ファンタジーの絶妙なマリアージュと、かつてない圧倒的スケールの物語を実現させるため、役者、音楽、デザイン、アニメーション、CGなど各ジャンルに多様性溢れる才能が奇跡の集結。
圧倒的な速度であらゆるものが変化し続ける時代、それでもずっと変わることのない大切なものとは―。
スタジオ地図が10周年を迎える2021年夏。
想像を超えたアニメーション映画“未開の境地”へ、細田守最新作『竜とそばかすの姫』が、ついに辿り着く。
ー公式HPより抜粋

重要なピースの不在。

今回はまず初めに結論から。
近年の細田作品の問題は奥寺佐渡子の不在である。
奥寺佐渡子とは脚本家であり、初期の細田作品の脚本を担当していた人物である。
『時をかける少女』『サマーウォーズ』では単独脚本。
この2作品は本当に素晴らしかった。
『おおかみこどもの雨と雪』では細田守との共同脚本。
ちょっと話がわからなくなる。
『バケモノの子』は脚本協力。
だいぶ話がわからなくなる。
前作『未来のミライ』で奥寺佐渡子の(少なくともクレジット上では)関わりがなくなる。
全然話が分からなくなり、物語として破綻していた。

奥寺佐渡子という脚本家の色が薄まり細田脚本の色が濃くなるにつれ、物語として破綻する。
それが最近の私の細田作品へのイメージである。

では今作はどーなのか?
クレジットに奥寺佐渡子の名前はない。細田守の単独脚本になっている。
そうなるとやはりというか物語の綻びが見えてしまった。


要素多すぎ問題について。

日本の映像作品ではよく起きるのがこの“要素多すぎ問題”である。
「日本には引き算の美学がある」なんて聞いたりするが、(特にメジャーやマスの)映像界においては、ごちゃごちゃした設定や増殖するキャラクター、繰り返される主人公の心情ナレーションなどなど、とにかく何かを足していく事を生きがいにしているとしか思えない人たちがいるように感じる。
映画版の『ファブル』やテレビドラマの『ネメシス』はまさにそれだった。
(コミック原作のファブルはある程度仕方ないとしてもオリジナルのネメシスは...)

今作でも明らかに122分で描くには主要テーマになれる(なるべき)要素が多すぎる。

・母親の喪失と父親との疎遠
・ネット社会の匿名性と危険性
・ガールミーツボーイ
・児童虐待

これらは今までの作品群で細田監督が扱ってきたテーマそのものなんだけど、それらを「今作に全て詰め込んでみました」と言うような雑多な印象がした。
当然122分でこれらを深く突き詰める事なんてできるはずもなく全てが中途半端で、もちろん複数の要素は多少は絡まり合ってきて互いに作用し合うんだけどそれも“多少”でありそこまで深く影響し合うわけではないので、消化不良感は否めない。
例えばルカちゃん(CV:玉城ティナ)とカミシン(CV:染谷将太)の恋はあまりにも唐突で物語の他の部分になんの影響(意味)があったのか最後まで不明だった。


傍観者。

今作で最も物語の根幹であるはずの主人公すず(CV:中村佳穂)の“母親の喪失から起きた自己の喪失&父親との決別”とそこからの父親との関係の回復があまりにもあっさり描かれ過ぎているという問題もある。
回想シーンによって差し込まれる“すずの母親が川に流されそうな知らない子供を助けて命を落とした”という事実。
その時他の大人たち(劇中に描写はないので不在だった可能性もあるが、その大事な時にその場にいてくれなかった父親も含め)がそれを黙って見ていたただの“傍観者”だった事。そしてその後、母親がネットの匿名の声によって非難された事。
すずにとって、物語にとって重要な要素。それと同じ構図をラストのシークエンスに持ってきている。

見ず知らずの虐待を受けている兄弟・恵(CV:佐藤健)と知くんのためにすずは仮想空間Uで大人気歌姫であるもう一人の自分Belleの姿を捨て、現実の自分の姿を晒す決意をする。
ネットの世界でそれをする事の意味がどれだけ危険な事か。
しかしそれに対してこれを提案したしのぶ(CV:成田凌)もカミシンもルカちゃんも母親の友達の合唱隊の方々もすず以外の誰もが安全な所からただ応援しているだけだった。ヒロちゃん(CV:幾田りら)は唯一現実の姿を晒す事に反対の姿勢を示していたが...
すず以外の皆が仮面をつけて自分の正体を隠したままで「でも一緒に歌は歌っているんだよ」というアリバイ作りのような行動をしているように見えた。
さらにその後すずが虐待されている兄弟を現実世界で救うために東京に行くシークエンスも上記の人々はただ応援するだけで、誰一人として東京に付いて行こうとはしない。
すずの父親(CV:役所広司)も夜に連絡をとった時に合唱隊の方々から詳細を聞いていたようだったが、ただすずの事を励ますだけで特に翌朝東京に駆けつけるわけでもなかった。
結果としてすずは恵と知の虐待親(CV:石黒賢)に怪我をさせられてしまう。

これは「高校生に1人でそんな事させて大丈夫なの?」という現実的な問題以上に「すずの周りにいた家族や友達や仲間たちも結局は母親を助けてくれなかった“傍観者”と本質的には同じだった」という構図になってしまっていた。
1人で物事に立ち向かう少女の姿は確かに美しくて尊く描かれていたがそれは逆説的に、個人の(すずや母親の)自己犠牲の上に誰かを救う行為は成り立っていて社会というシステムそのものの意義がかき消されているような気さえしてしまった。

ラストのみんなで川沿いを歩いているシーンの即席のハッピーエンド感には辟易や憤怒などの感情ではなく、ただただ「これで終わらせるんだ」と驚いてしまった。


匿名性。

さらにすず自身の自己矛盾も気になってしまった。
匿名の中でこそ自分は歌姫Belleとして別の人格を生きていたはずのに、執拗に竜の存在は誰なのかを探ろうとする行為がずっと謎だった。
なぜ仮想空間Uの中のAsとしての存在を尊重して“竜”そのものと向き合おうとしなかったのか?
すずにとっての“Uの中でBelleというAsになって歌う”という行為は母親との絆を確認できる唯一の方法で特別な事だったはず。
それと同じように匿名の竜としてのUの中での言動も彼にとって特別な事であるかもしれない。(実際に弟への想いが影響していた...)
他人への想像力が欠如してしまい竜の正体を執拗に探る行為(特にUの中でなく現実世界で調査する行為)はジャスティスたちがやっている事となんら変わりなく、その他のゴシップやスキャンダルを楽しむ低俗な人々と同等になってしまっている気がしてならなかった。
結果としてはそれでも竜を助けたいというすずの想いと竜(恵)の心がリンクしていく形にはなるが、成長途中である少女の好奇心や恋心(これは定かではないが)で片付けるにはあまりにも幼稚だったのではないだろうか。


エモーションとファンクション。

もちろんポジティブな面もあってそれは“音楽”の要素を取り入れた事。
Belleのライブシーン、特に終盤のアンヴェイルして歌うシーンは中村佳穂の歌声を含めて素晴らしかった。


ディズニーの『美女と野獣』をモチーフにしているので、竜のお城への道中が昔のディズニー映画のようなタッチのアニメーションになるのも面白かった。
CGキャラクターデザインのJin Kimジン・キム、プロダクションデザインのEric Wongエリック・ワン、音楽のLudvig Forssellルドウィグ・フォーセルカトゥーンサルーンの創設者であるアニメーターTomm Mooreトム・ムーアなど国外からもトップクリエイターを集めて作った世界観も圧巻だった。


細田脚本も含めてファンタジーとしてとてもパワーのあるエモーショナルな作品である事は間違いない。
しかしあまりにもエモーション(感情面)に特化しすぎてしまっていて、現実世界を生きている私たちがどこか置いていかれてしまっているような感覚があったのも間違いない。
人間にはエモーションとファンクション(機能面)の2つが備わっていてこのバランスが非常に大切である。
映画もまたこの感情と機能のバランスを失うと良い作品にはならないのだなーと改めて感じた。

細田さんにはぜひ次回作での奥寺佐渡子の復帰を考えて頂きたい。
そして本職の声優をたくさん使う事も考えて頂きたい。


映画にコロサレル!

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