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わたしがわたしを生きる為に

夜にバイトのシフトがあった日で、人とうまく話せなかった日は、帰ってすぐに布団に入れない。なんだか今日に忘れ物をしているような気分で、何かやり残したことが沢山ありそうで、見つかるわけもないのにSNSを徘徊する夜。自分のために生きるって、どうしてこんなに難しいのだろう。好きなアカウントを覗くと、趣味に没頭していたり、日々を少しでも楽しくするために工夫していたり、見ていてとても楽しい、わくわくする。だけど、わたしはきっと見ているだけで満足で、それを実際に自分がやる行動力もなければ、そこまでしようと思えるほどの趣味もないのだなと思い知る。誰かに見せるための、日常を煌びやかに見せるための見せ物でしかなくなってしまう。

今日バイト先で、クリスマスに何をしてたか聞かれた。何もなかったですよ~、と言うと驚かれた。そうだよね、わたし、話す度にいつも彼氏いたもんね。もうクリスマスのことなんて忘れていたのに、急に元彼のことを思い出して、あの頃のことを思い出してた。もうそろ思い出も美化されてきて、仲も良かったし連絡してみてもいいかなと思っていたけれど、急に別れ話をされた時の、その別れたい理由として言われた言葉を思い出して興ざめした。思い出って美化されすぎ。

SNSで好きなアカウントの投稿を見ていたとき、急に恋愛をしていた頃の気持ちを思い出した。他人の日常を覗いてわたしまでわくわくするのと同じように、わたしは、恋人の日常を覗いてわくわくして、勝手に満たされていただけなのかも。自分の日常なんてそっちのけで、好きな人の日常は新鮮で興味があって、わたしの日常を見ているより何倍も楽しかった。

今日はバ先で恋愛の話が花を咲かせていたから、なんだか急に恋愛したくなってしまったけれど、もう当分恋愛はしないと誓ったあの日のことを思い出した。わたしは、わたしの意思で、私の日常を楽しくさせられるようになるまで、恋愛なんてしている場合じゃないな。好きな人がいれば日常は楽しくなるけれど、わたしの場合は自分の日常を放棄してしまうから、まずはわたしがわたしの日常を充実させる。日記も書き始めたし、読み返してみると思ったより充実しているし、なんでかそれをすぐに忘れてしまうのだけれど、自分が思っているよりわたしの日常は空っぽじゃないから、その日にできることはやるし、やりたいと思ったことはいつか必ず実現させるし、ちゃんとじゃなく緩くでも、なんでもいいからやってみる。ドラマや映画のような完璧な日常じゃなくていいから、毎日少しずつね、日常に意思を添えて。どんな小さなことでも記録したらいいし、人間昨日のことなんかすぐ忘れてしまうけれど、残っているものがあれば自信を持って先に進めるから。行った場所とか、聴いた音楽とか、考えたこととか、今日したこととか、わたしが今日を生きた証を残すためのノートとか、作りたい、楽しそう。

人生の当事者意識を持つこと、それがわたしの小さな目標なんだ~。誰かの為に生きるんじゃなくて、わたしの為に生きる。何かをすることの理由をわたし以外の誰かに帰属させたくない。そうやって生きた先の世界を見てみたい。

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