【"あの時"の私】地震よりも怖かったもの

13年前の今日、東日本大震災により多くの犠牲が払われました。私の地域では震度5弱というレベルでしたが、かつてないほどの揺れに混乱と不安が押し寄せました。

が、それ以上に私を不安にさせたものがありました。


それが、テレビから流れる「緊急地震速報の音」。

当時はまだガラケーが主流で、SNSという言葉自体もありませんでした。そのため、家族はテレビやラジオを中心に様々な情報を得ていました。

地震が起きた後、暫くは震度4位の余震が頻発したのですが、その度にテレビから流れる緊急地震速報の音が本当に辛かったです。

「耳栓をして音を妨げればいい」という考えに至らなかった当時の私は、地震とあの不協和音に精神を削られ、過呼吸まで起こしたほどです。


た大学生の1年分のカリキュラムを終えて休みに入っていたのですが、この地震の影響で始業式が約3週間引き伸ばされました。

そんな大学からのお知らせに気も止められないくらい、取り乱してました。こんな状態で学校に行けるのかと、不安になったほど。


4月に入るとようやく落ち着いてきたのですが、傷はとても深かったみたいです。

これは以前も書きましたが、大学初講義の際に痛みが走り、左肺に自然肺気胸を患うことになりました。ストレスが掛かりすぎてたわけですね。

毎年この時期になると、当時のことを思い出します。大学での思い出の8割は、その時の経験に支配されてますね。


自然肺気胸は手術すれば再発はしにくいと言われていますが、実際はストレスによる負荷が大きく関係しているので、何度でもかかる可能性はあります。

2022年に肺の検査をした際、肺の一部が薄くなっている部分(ブラ)があると言われました。つまり、ストレスのかかり具合によっては、また私は肺気胸による入院を経験する事になります。

痛い思いはもう懲り懲りなので、現在はなるべくストレスや負荷をかけない生活を心がけています。ストレスの発散を苦手なものでして…


今後必ず南海トラフが来ると言われてきますが、その時に私の体は耐えられるのだろうかと不安しかありません。

音は当時比較的元気だった私が、入院まで至った位には影響を受けやすいです。今の私だったら、本当にどうなるか想像もできません。

来る時のために、ちゃんと今から対策を考えて乗り切りたいですね。

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