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綺麗になりたい あなたみたいに

米津玄師のインスタライブを聞いていたら、いい加減仕上げなければという思いに駆られ、重い腰を上げてずっと眠らせていた文章を書き上げることに決めた。



喜び、悲しみ、怒り、感動、恐怖、安堵、悔しさ。涙には必ず理由がある。
自分から流れた涙の理由がわからなかったのは、初めてのことだった。


昨年の秋。
新型コロナウィルスの影響でお盆に帰省することが叶わず、時期をずらしての帰省となった飛行機の中で、私は初めて米津玄師の『STRAY SHEEP』を聴いた。

サブスクが解禁されて間もないタイミングで、この時代にCDでミリオンセラーを記録した名作を早く聴きたい、とはやる気持ちは確かにあった。ただ、"初めて"は一度きりだ。私は"初めて"をものすごく大事にしていたのだと思う。今じゃない、今じゃない、を繰り返し、ようやくタイミングがあったのがたまたまこの時だった。


M1~6の『カムパネルラ』から『馬と鹿』まで、テレビやラジオなどで聴き馴染みのある曲たちが跳ねるように左右の耳を駆け抜けて行った後、その曲に出会った。


M7の『優しい人』。1番のサビに差し掛かった時、飛行機の窓越しに泣いている自分と目が合った。良い歌、という表現が正しいのかどうかわからないが、良い歌だな、と思った。

でも決してそれだけじゃない。その時抱いた感情は、私が知るどの感情にも当てはまらないものだった。

自分の感情の正体を知るためにも、この歌と向き合いたい、と思った。

ひとまず曲を理解するため、歌詞を自分なりに噛み砕いていこうと思う。


"気の毒に生まれて 汚されるあの子を
あなたは「綺麗だ」と言った
傍らで見つめる私の瞳には
とても醜く映った"

この歌には3人の人物が登場する。
嫌がらせの対象になっている《あの子》
そんなあの子の味方をする《あなた》
そしてそれを傍観する《私》

「気の毒」「醜く」という哀れみや蔑みを含む言葉で《あの子》を表現する《私》とは対照的に、《あなた》は「綺麗だ」と言う。

"噎せ返る温室の 無邪気な気晴らしに
付け入られる か弱い子
持て余す幸せ 使い分ける道徳
哀れみをそっと隠した"

「温室」「無邪気」という"子供の罪の意識のなさ"を表すような言葉が目立つ。虐める側にとっては《持て余す幸せ》故の暇つぶしなのだろう。《使い分ける道徳》、いけない事だと知りつつ《私》は、見て見ぬふりをする。

"頭を撫でて ただ「いい子だ」と言って
あの子に向けるその目で見つめて"

どうやら《あなた》は先生のようだ。冒頭では《あの子》を哀れみ、蔑んでいた《私》だが、《あなた》に優しくされる《あの子》を見る目には羨望の眼差しが入り交じっている様子が伺える。

"あなたみたいに 優しく
生きられたなら 良かったな"

「良かったな」という言葉に、諦めの気持ちが滲む。どう頑張っても《私》は《あなた》のように優しくなれないことをわかっているのだ。

"周りには愛されず 笑われる姿を
窓越しに安心していた
ババ抜きであぶれて 取り残されるのが
私じゃなくて良かった"

あからさまに目を逸らし「私じゃなくて良かった」と思う《私》。

"強く叩いて 悪い子だって言って
あの子と違う 私を治して"

見て見ぬふりをし続ける自分に嫌気が指したのだろうか。「傍観者」という立場に罪の意識を強く持っていることがわかる。

"あなたみたいに 優しく
生きられたなら 良かったな"
"優しくなりたい 正しくありたい
綺麗になりたい あなたみたいに

優しくなりたい 正しくありたい
綺麗になりたい あなたみたいに"

《あなた》は「優しく」「正しく」「綺麗」だという。そして、天国に辿り着いたかのようなピアノの音色が響く中、曲は終わる。音色の美しさが増せばますほど、綺麗じゃない《私》が浮き彫りになる一方で、《私》の中での《あなた》がどんどん神格化されていくような、そんな感覚すら覚える程美しい終わり方。


私は、知っている。

《強く叩いて 悪い子だって叱って》と思う気持ちも、「見て見ぬふりをする自分」「優しくなりたいのになれない自分」も、他の人が正しく思える感覚も、全部知っている。
《私》は、私だ。

私はこの曲を通して、自分の中に在る醜くて汚い自分の存在を認めてあげれたんだと思う。そんな意図はないのだろうけど、「あなただけじゃないんだよ」と言われた気がした。

涙に名前を付けるなら、"懺悔"と"恩赦"。


当初、この曲はもっと抽象的な表現だったそうだ。だが、米津玄師は真っ直ぐ表現することを選んだ。"何かをすることは人を傷付けることだとか、そういう戒めを自分の中に持っておくのが責任なのかとか、いろいろなことを考えました。"(音楽ナタリーより)と。

加害者でも被害者でもない、同じ教室に居るだけの《傍観者》という立場は、殆どの人が1度は体験したことがあるのではないだろうか。

センシティブがゆえに避けられがちなテーマにあえて向き合い、これほどまでに鮮烈に描写したところに、米津玄師の強い決意を感じると共に敬意を表したいと思う。

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