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『MARRIAGE PROJECT マリッジ・プロジェクト』Vol.9 フリーランスで、働いているんですか? クラブ好き女子が、 〝世界にたったひとつのオリジナルウェディングパーティー〟を創るフリープランナーになるまでのStory


フリーランスで、働いているんですか?


2008年

直接の友人や業界関係者の紹介、
友人のそのまた友人と、

「ウェディングプランナーをやっている人がいる。」と、紹介をしてもらい、

わたしは、会場プランナー業務に加えプライベートでも結婚式を手伝うこととなる。

ある時は有形文化財で。ある時は洋館で。ある時はおふたりの思い出の公園やカフェやレストランで。

もうこの時すでに「結婚式場以外で結婚式をしたい」という人たちにたくさん出会った。

「自由な結婚式がしたい」

そのニーズは確実にあった。

おふたりの要望をひとつずつヒアリングをし、おふたりを主体に、

クラブで出会ってきた世界レベルで見ても超優秀な人材、クリエイターさん達とともに、
会場プランニングとは異なるプロセスで、
結婚式を創っていく。

この時まだ「高いクオリティ(品質)」という意識が強くできていない。

というより、実際関わってくださったクリエイターさん達は一流で超優秀な方々ばかりだったので想像以上のパフォーマンスをしてくださっていた。

それなのに、

プランナーのわたし自身は意識はあったものの、これをどう確実に実行に移し伝えていくのか。その作業を確立することが出来ていなかった。

プランナーという新郎新婦の窓口に立ちながらも、どうしたらいいのかわからなかった。システム化ができていなかった。


当時は、会場プランナー業務で契約をとれたように。その成功体験を外でも実行していた。

わたしは、おふたりの想いに寄り添い、結婚式という仕来りとマナーはベースにありながらも、自由でとにかく業界特有の異常な費用をかけることなく、コストパフォーマンスを抑えながらもゲストに喜んでもらえる結婚式を提案していた。


じつは、会場プランナー雇われの身として
成功していたこの方法は、のちにフリーランス業務のなかでは、優秀なクリエィターさん達の首を締めていたのだと気が付き、とんでもない失敗を招き、わたしにおおきな課題を残すこととなる。


2009年

わたしのフリーランスになるきっかけをくれた、六本木のクラブ、スーパーデラックスでのウェディング。

依頼をしてくださったのは、

世界を飛び回りながら

CHANEL、SONYやPanasonicの映像も手掛けるクリエイターさんの新郎と、

じきに、たくさんの人の心と胃袋を掴むオーガニックフードのシェフとなる新婦だった。

おふたりが出会った六本木スーパーデラックスでゲストに感謝を伝えられる結婚式をしたい。

その要望を受け取り、
わたしは、おふたりの結婚式を創るために、
結婚式場の仕事が終われば、おふたりの自宅、四ツ谷のマンションに向かう。

マンションの建物には、つたの葉の絡み、あしもと階段には、オレンジ色の可愛らしい花模様がちりばめられていた。

1Fには、カフェが入っていた。

最上階にある四ツ谷のマンションの、

その部屋からも、オフィス街の夜景が綺麗に見えた。

〝東京〟を、感じさせてくれた。

白で統一したお洒落なスタジオのような

おふたりのご自宅にお邪魔をしては、スタイリストさんや、クリエイターさんも一緒に何回も打合せを重ねた。


料理は、気持ちを伝える手段


じつは、
新婦の彼女は、元ルームメイトだ。

Vol3.ルームシェアの記事で、
生姜焼きを作ってくれたフォレストマンション料理担当の彼女だった。


彼女の料理に、繊細さとやさしさに。
わたしは何度泣かされたかわからない。

わたしたちは、ともに感情に素直なまま、
たくさん恋愛の話しも仕事の話しも家族の話もして同じ時間を生きてきた。

彼女がつくる料理は、こころにもからだにもやさしくて、美しくて、

そして、身体じゅうに染み渡るようにとてもおいしい。

料理を食べる相手を

ほろりとさせてしまうなんて、

なんてすごい才能なんだろう。と尊敬した。

フードデザイナーという言葉もしっくりくる。

彼女はいう

「プレゼントは、相手のことを想って考えてる時間も含めてプレゼントだよね。」

「きょうは、寒かったから、からだをあたためる食材を使ってあれを作ったら相手はきっと喜んでくれるかな。」

「体調はわるくないかな、気持ちはどうだろうか。」

と、考えながら、

「だいすきだよ。たいせつだよ。」と、料理をつくることで相手に気持ちを伝えているんだ。と、話してくれた。

大事に食材を、ひとつひとつ選びながら、
相手を想い料理をつくる彼女を見て、

料理というのが、
気持ちを伝える手段なのであれば、
それは、レトルトじゃないほうがいい。

そう思わせてくれた。

じきに、結婚をし家族を持ち二児の母となるわたしの食卓にも、おおきく影響を与えた。

わたしが現在運営する〝マリッジプロジェクト〟の屋号を一緒に考えてくれたのも彼女だった。

わたしは、この屋号をいままでも、
これからもずっと。

彼女からもらったプレゼントのように大切に思っている。

「婚姻届の証人は、はずちゃんにお願いしよう!」と、おふたりは言ってくれた。

わたしでいいのかな。
と、戸惑いながらもとても嬉しかった。

このあと、わたしは、一般のお客様含めて
「プランナーさんに絶対お願いしたいね。」と〝婚姻届の証人〟という、

とても重要な役割を、なんと5回も務めることになった。

このおふたりが第一号だ。


フリーランスという選択肢..


六本木スーパーデラックス挙式当日。

パリコレで、Christian Diorのヘアーメイクも手掛けるヘアーメイクさんも入り、雑誌、GINZAのスタイリングもするスタイリストさんも入ってくださった。

音響は、フォレストマンションのみんながDJで盛り上げてくれた。

VJ(映像)も、LIVEも、もちろん入れて、
新郎新婦、ゲストも親族様もスタッフのわたしたちも、一緒になって踊ってハグをした。

ゲストからは、ドレスコードに一輪お花をお持ちいただき、会場を華やかに彩った。

フード、ドリンク、ケーキにギフトも、MCもカメラマンも新郎新婦の友人を中心にチームとなり結婚式を創った。

「クラブでやるっていうから、まさかこんな本格的なものだと思わなかった。」

「すごい素敵な結婚式だった。」

「わたしもこんな結婚式をあげたい!」

と、次々と、とても嬉しいお言葉をいただいた。

そのなかで、ぼそっと、

ゲストに言われた一言が、

わたしのプランナー人生をおおきく変えた。

「すごいですね、

フリーランスで、働いているんですか?」

..フリー.....ランス..?

..........フリーランス......とは....

少し遅れて、その言葉を受け取り、

ゆっくりと、呑み込んだ。

カメラマンさんとかではよく聞くけど...

フリーランス!!

うわー.....

そんな働き方があったのか!

当時Googleで検索しても、

フリーランスウェディングプランナーは、海外にはたくさんいても日本にいなかった。

だから、最初はなかなかピンとこなかった。

このゲストの一言で、

わたしは、会社を辞めることを決意し、

フリーランスウェディングプランナーとしての第一歩を踏み出す。


〈プロフィール〉

▶︎浅野 はずみ
ウェディングプランナー/空間デザイナー

規制が多く自由に選択することのできない、クォリティが不透明な 由来のウェディング業界の型にはまったウェディングを根本的に見直し、本質的なウェディングへの表現と可能性を追求し提案する。日本のウェディング業界をより良いものへとする活動家。MARRIAGE PROJECT/マリッジプロジェクト代表取締役、運営者。アウトドアウェディングのディレクション、空間デザインを得意とする。

▶︎ホームページhttps://marriageproject.theblog.me/

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