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「もったいない」は優しい言葉ではないのではないか

よく私は「もったいないね」と言われることがある。
それは私の物の使い方などではなく、私の生き方や能力の使い方に対して言及されることが多い。

私は作業療法士という資格を持っているのだが、その仕事は私にとってとても精神をすり減らす仕事であった。(このことについてはいずれ書いてみたい)
だからその資格を使わずにアルバイトをしていた時に、両親、兄弟、親戚、友人、知人から「資格を使わないのは”もったいない”よ」とよく言われた。
その発言をした本人たちは、悪意なく(と信じたい)ポロっと言った言葉であったが、私はその度に心をやすりで少し削られるような感覚を受けた。

なぜ傷ついたのか

その言葉を言われたときに内心では、
「せっかくの資格を使わないといけないよ」
「資格を使ってこそより良い人生を送れるのに…」
「せっかくお金も時間もかけたのに無駄にするの?」
とも言われていると感じた。
特に両親からは顕著にこの雰囲気があった。

そこには「資格」というツールのみがフォーカスされて、
私自身の気持ちや感情が蔑ろにされているようだった。
「辛くても我慢して資格を使った仕事をしなくちゃいけないの?」
「資格を使っていない私の今の生き方は不幸せなの?」
「じゃあどれだけ働けば無駄じゃないといえるの?」
と今は聞き返せると思うが、
当時の私は、自分が精神的に弱いからいけないんだと自分を責めた。

今現在は…

”当時の私”としたが、今現在も自分に合った働き方を見つけられていないし、気持ちの折り合いもつけれていない。
削られた心は未だに回復していないし、次にスタートしようとする時にいつも頭によぎる。
「今選ぼうとした選択も、もしかしてもったいない…?」
「辛さを我慢して資格を使った道の方が安全なのか…?」
「私が自分に甘いだけなのかな…」
と決断を容易に揺るがしてくる。

ここで私が乗り切った方法を提示して、
私は自分の新たな道を見つけました。皆さんも大丈夫ですよ!
と言えたらかっこいいのだが、
絶賛人生迷子中なので、なんかその気持ち分かるかも程度に思ってもらえたら幸いです。

ただ、なんで傷ついたのかを深く考えることで漠然と傷つくのではなく、
こう言われたと思ったから自分はそう感じたんだと客観的に捉えられたのは大きかった。
また「もったいない」と言われたときに、
目の粗いやすりではなく、やや目の細かいやすりで削られるくらいには成長できたと思う。

まずは自分が自分を守れるように、自分の心の声を聴くことが大事なのかなと日々感じている。

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