見出し画像

現代の子どもたちが求めているもの

現代の社会におけるつながりとは、どういうものなのだろう。

春、新たな出会いがある。

特に、若い人たちと話すと、新たな気づきがある。

最近驚いたのは、「地元」や「地域」という感覚の薄さである。

生まれた時からスマホやSNSがある世代の子たちが、もう新入社員として配属になってくる。

そんな彼らの話を聞いていると、地元や地域でつながる、ということより、趣味でつながる、ということを自然におこなっているように感じる。

彼らが地元や地域とつながれない、というわけではない。

ただ、無理にそこに合わせようということをしない、というだけ。

趣味や好きなことについては、別のコミュニティでのつながりがあるから、別に地域でつながる必要はない、ということである。

昔がよかったとか、そういう話ではもちろんないのだが、インターネットなんてない時代は、地元のリアルのコミュニティの中で、流行が作られ、その中で「イケてる」「イケてない」の判定が常になされていた。

コミュニティが「イケてる」と判断するものに対して敏感にアンテナを張り、最初はそれがなぜ「イケてる」のか皆目見当もつかないまま、半ば修行的にその「イケてる」ものを摂取する。

自分の地元で言えば、セックスピストルズやクラッシュなどのパンクロックが「イケてる」認定をされており、何が「イケてる」かわからないまま、ただそのような音楽を聞いていた。

一方で、コミュニティに「イケてない」判定をされているものがどうしても大好きな人たちもいて、そういう人たちは、決してコミュニティ内の人たちにそのことがバレないように、隠れてその趣味を楽しんでいたように思う。

セックスピストルズやクラッシュなどの音楽を耐え忍んで聴くこと、自分にとってそれは、「地元」というコミュニティの中で、生き残るための術だったように思う。

耐え忍んで聞いていると、それらの音楽がだんだん良い音楽に思えてきて、そんな音楽ばかり聴くようになっていた。

そんな自分は、なんだか自分がないように感じて嫌悪感を抱くこともあったし、「イケてない」認定をされているにもかかわらず、好きなものを貫いている人たちを羨ましく思ったこともあった。

そんな経験を経て、今は、そういうのも良い経験だなあと感じられるようになってはいる。

そして、今のSNS世代の若者に視点を移してみる。

彼らは、自分の好きなものを共有できるコミュニティがある。

どんなニッチな趣味であっても、SNSを通じて誰かと共有しようと思えば、できないものはほとんどない。

そんなSNS世代の人たちは、別に良いと思わない音楽を耐え忍んで聴くことなんてしないし、誰かに隠れてコソコソと自分の趣味を楽しむようなこともしない。

地元の友達に、自分の趣味を押し付けようとすることもない。

なんだかスマートに、地元は地元での付き合い、趣味は趣味での付き合いというものを切り分けて、うまくやれているように映る。

そのように考えるなら、彼らにとっては、「地元」というものの重要度が下がっていると言えるかもしれない。

必ずしも「地元」にしがみつかなくてもいいし、地元の流行に敏感にアンテナを張る必要もない。

だとすると、やっぱり、地元臭の強い「学校」というものの重要度も下がるかもしれないなあと感じた。

学校以外にも居場所があるということのメリットは多いと思うけれど、それで失うものもあるのかもしれないなあと思ったりもする。

だからと言って、先にも言ったけれど、昔の方がよかったとか、そういう話ではない。

時代が変わって、失われたものと、子どもたちが求めていることを改めて考えた上で、自分が子どもたちに何を提供したいのかということを考えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?