自己主張ができる場
「自己主張ができないやつはバカだ」みたいな、アメリカナイズされたことを言う人がいるのだけれど、やっぱり自己主張できない場というのはある。
何も言葉を発することができないような空気というのはあると思う。
かと思えば、自分でも驚くほどめちゃくちゃ自己主張してしまっているなあと感じる場もある。
何も言葉を発することができないような空気の中、「自己主張ができないやつはバカだ」というアメリカナイズされた主張が頭をよぎって、無理に自己主張をしてみたこともある。
けれどそういう時に無理して自己主張した時には決まって、なんだか気まずい空気となり、いわゆる「すべった」みたいな空気になる。
そして、結局その後はやっぱり、何も言葉を発せなくなる。
そんな経験を振り返ると、これは自分が自己主張しているというよりも、場に自己主張させられたり、場に自己主張させられなかったりしているだけなのではないかという気もする。
そう考えると、「自己主張ができないやつはバカだ」というようなアメリカナイズされた主張も、あまり的を射ていないような気がしてくる。
自己主張できないことを気に病んで、バカだなんて思わなくていい。
それは、自己主張できないような場にいるだけ。
きっと、自己主張できるような場に行けば、自然と自己主張するようになる。
場が、背中を押してくれる。
もしかしたら、あなたはまだそういう場を持っていないかもしれない。
でも、どんな場であろうと、あなたもその場を構成する一人なのである。
ペラペラと自信満々に持論を展開している人を見て、羨ましく思うこともあるかもしれないけれど、その人のそのパフォーマンスも、その人個人の力というよりも、場に導かれているだけで、あなたもその場を構成する一人である。
だから言うなれば、あなたのおかげでその持論ペラペラ展開男(あるいは女)は、持論ペラペラ男(あるいは女)として存在することができているとも言える。
場は皆で作るものであって、その場で生まれた発言は、本来的には誰か一人に帰属するものではない。
ただ、自分が場を作る立場になるとしたら、場の構成員みんなが、目にみえる自己主張をするしないに関わらず、その場のやりとりに参加できたと思えるような、そんな場づくりを心がけたいなあと思う。
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