忘れない。

一度嫌なことをされたり言われたりしたら、それが誰から受けたものだったのか、どんなことだったのか、ずっと覚えている。「時間が解決する」という言葉の意味が分からないまま小さい頃から日々生活をしている。所謂「根に持つ人間」だ。

だから、小学校の時に起きたことでも、ふと思い出してしまうと、つい30分前に起きたことのように腹が立ってきて、次第にそんなことにいつまでも腹を立て続けている自分と、その苛立ちによって何かに集中できず、結果的に無駄にしてしまった時間に対してさらに腹が立つという、負のスパイラルに入ることがよくある。

だから、軽々しく「もうそんなこと忘れなよ」と、にこやかに言ってくるような人間は、羨ましく思う反面、知った気になってアドバイスしてくるなと思う。

話は変わって、現在は夏休みのインターンシップの機会を得るために、インターンシップに応募し、気になっている企業や職業についている人を、大学のキャリアサービスが持っている卒業生の連絡先リストから探して連絡をとって、話を聞いたりしている。これは、「ネットワーキング」と言って、そこから「知り合いの勤めている会社がインターン募集しているから、紹介してあげるよ」というように更なる人脈につながっていったり、そもそも膨大な量のアプリケーションが届く企業のような場合は、自分がネットワーキングで繋がった人経由で、「履歴書の束から頭ひとつ抜け出せ」たりするそうだ。

キャリアサービスのスタッフの人と何度か会いながら、早く決めなければいけないという焦りとともに準備を進めている。その際、何度も「ネットワーキングが大事だ」と言われている。「誰を知っているかが大事」と言われる所以を少し感ている最中である。

今年の夏は絶対にインターンシップをしたい、しなければならない理由が二つある。

一つは、去年と同じことを繰り返したくないという、強迫観念に近いものだ。去年は校内でアルバイトをしながら、キャンパスの近くに3ヶ月近く生活した。知り合いは皆実家に戻ったり、他の州でインターンシップをしたりと散り散りになったので、文字通り3ヶ月間1人で生活した。

普段、学期中ではできないような、楽しいと思えることもいろいろとやってみたが、3ヶ月間ずっと「せっかく留学をさせてもらって、3ヶ月も自由な時間があるのに、こんなことをしていて本当にいいのか?」という不安と、置いて行かれているのではないかという焦りが、頭の中を覆っていた。

だから、自分が好きなこと、楽しいことをしているはずなのに、楽しめなかった。

そして、アルバイトの内容も、「ネガティブに考える時間」にぴったりだった。民間の団体が大学の寮を使用していたので、各団体が寮を出るたびに各部屋を片付け、次に来る団体のための準備をする、という単純なアルバイトだったので、膨大に考える時間があった。「自分がこうやって使用済みバスタオルを運んでいる間、周りはインターンシップをして新たな経験やスキルを得ているのではないか?」という焦燥感が、常に自分を苛立たせた。

こんな夏は絶対に繰り返さない。常にそう思って夏休みから、次の夏休みにインターンシップを得るための準備を進めていた。

ただ、夏休みまであと3ヶ月と迫っても、未だに決まらない。
周りはもう決まりだしている。焦る。弱気になって、弱音を言うことに意味はないと分かっていても、「また同じことになってしまうのではないか?」という思いが頭を掠める。

だけど、絶対に繰り返さない、と自分に言い聞かせて、日々の行動をしている。

二つ目の理由は、卒業後の進路にある。
卒業後はアメリカで仕事をして生活をしていきたいと考えているので、その意味でも今年の夏は非常に大事なのだ。夏のインターンシップから「リターンオファー」といって、卒業後のフルタイムのオファーをもらえる可能性があるからだ。仮にもらえなかったとしても、「履歴書を飾る」意味で重要になってくる。

このような焦りと、いつまでも決められない(他の応募者と比べて劣っている)自分への苛立ちを持ちながら、生活をしている。

1〜3月くらいが、ちょうどインターンシップ先が決まる時期でもあるので、先日、知り合い数名で昼食を食べている際にその話題になった。

その際、ここに書いたよりももっと短く「なんとしても、もはやなんでもいいからインターンをしたいんだけど、まだ決まらないんだよね」と言う話をした。

同じ卓の1人が、自分の発言を聞いて、こう言ってきた。

「俺は、お前が今年も、去年と同じようにその退屈なアルバイトをここでしている夏がはっきり見える」

「もしそれが嫌だったら、俺の実家に来てトイレ掃除でもしてくれればいいよ。一応夏休みの間の「職」は見つかったじゃん」

明らかに人を馬鹿にしているとわかる声のトーンと、にやけた顔。
書いていても叫びだしたくなるくらい、未だに強烈な苛立ちを覚える。

他者から見て我慢できていたのかは分からないが、空気を悪くしないようにどうにかその場は感情を抑えたつもりだ。

でも、それからその瞬間を1秒も忘れていない。

去年どれだけ精神的に来るものがあったか、「将来ビザが必要になる人の応募は受け付けません」という求人がどれほど多くて、それを見るたびにどんな気持ちになるのか、あいつにぶつけたいことは山ほどある。

ただ、それをしたところでこの屈辱が消えて無くなることはないし、虚しくなるだけだ。

この屈辱を消すためには、自分が目標としていることを達成するしかない。
アホに聞こえるけども、「卒業後、とにかくアメリカに残る」ためにできることを一つずつやっていくしかない。

インターンシップのオファーをもらう以外に、この感情を昇華させることはできない。

絶対に、「お前には将来を予測する能力が全く備わってなかったみたいだね」と言い返せる日が来るまで、諦めない。

本人が覚えていなくても、関係ない。
根に持っているだけだから。


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